量子コンピュータって何?今さら人に聞くのはちょっと・・・大丈夫!この記事を読めば大体のことは分かる!

2.量子コンピュータは何ができるのか?

 穏やかな湖に2つの小石を投げ入れたとします。2つの小石が湖面にぶつかると、それぞれから同心円状の波紋が生じ、それが衝突すると干渉によって複雑な波紋が作り出されます。いわゆる干渉パターンが見られます。20世紀初頭、電子の振る舞いを研究していた物理学者たちが、原子核内部でも波と同じような干渉パターンが見られることを発見しました。しかし、この発見は、何かを誤って認識したのではないかという疑念を持たれました。というのは、他の条件下では、同じ電子が空間内で全く干渉を受けず、独自に単なる粒子のように振る舞うからです。やがて物理学者たちは、電子が粒子として振る舞うか、波として振る舞うかは、それを観測している人がいるかいないかによって決まるということに気付きました。それは、史上最も奇妙な科学的発見でした。そうして、量子力学という学問分野が誕生したのです。

 その後の数十年間で、量子力学の知見に基づいてさまざまな技術が開発されました。レーザーやトランジスタなどです。1980年代初頭に物理学者リチャード・ファインマン(Richard Feynman)が、従来の方法では計算できない結果を得るために「量子コンピュータ」を作ることを提案しました。コンピュータに詳しい者たちからの反応はほとんどありませんでした。それ故、初期の量子コンピュータ研究者たちは、学会等で発表枠を確保するのにさえ苦労しました。1994年まで、量子コンピュータの有効な利用方法は無いと思われていました。しかし、その年にニュージャージー州のベル研究所(Bell Labs)に在籍していた数学者ピーター・ショア(Peter Shor) が、量子コンピュータを使えば、最も広く使われている暗号化規格を容易に解読することができることを示しました。ショアは、そうしたことを発表する以前から、国家安全保障局(National Security Agency:略号はNSA)の関係者から接触を受けていました。「このような暗号解読能力を持てば、これまでの暗号化技術を完全に無効化できるし、従来の概念を根底から覆す可能性があります。」とNSAの幹部の1人が後に記していました。

 現在、ショアは、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)で応用数学委員会の委員長を務めています。私は8月に彼を訪ねました。狭いオフィスの壁一面に大きな黒板があり、彼の机やテーブルの上はレポート用紙であふれかえっていました。部屋の隅には段ボール箱がいくつか置いてあり、ショアが落書きのように手書きした紙がいっぱい詰まっていました。その内の1つは、11年前に倒産した書店「ボーダーズ(Borders)」の箱でした。

 ショアは丸眼鏡をかけ、腹は丸々としていて、髪の毛は白く、無精髭をはやしています。私が彼と会った日に、彼が黒板に六角形を描いた際には、片方の靴の紐が解けていました。彼の講演をしている動画がネット上にあがっているのですが、コメント欄には、「彼は正しくアルゴリズムを発明しそうな風貌をしている。」というコメントがありました。

 アルゴリズムとは、計算のための命令の集合体であると言えます。子供が割り算の筆算をするのもアルゴリズムに従ったものですし、スーパーコンピュータが宇宙の進化をシミュレートする際もアルゴリズムに従っています。数学分野においてアルゴリズムの研究が始まったのは20世紀に入ってからのことで、ショアがこれまで研究してきて明らかになったのは、人類がアルゴリズムについて理解していないことは非常にたくさんあるということです。実験物理学者のミシェル・デボレ(Michel Devoret)は私に言いました、「人類のアルゴリズムに関しての理解は非常にお粗末なものです。ローマ帝国ではなぜか数字が発展しなかったわけですが、同じようなレベルにあると言えます。」と。彼は、ショアの研究は非常に重要であると指摘していて、18世紀の虚数に関する画期的な大発見に比類するとのことです。

 ショアには、いささかアルゴリズムに執着するところがあります。「深夜でも、シャワーを浴びているときでも、どこでもアルゴリズムについて考えています。ふと何かを思いつけば、紙に数字や色んな記号を殴り書きしたりします。」と彼は言います。ときどき、夢中でアルゴリズムについて思考を巡らせている時には、ショアは他の者から話しかけられても気がつかないことがあります。彼は言いました、「話しかけた人からすれば、とても戸惑うかもしれませんね。しかし、妻は別ですね。そんなことには、すっかり慣れていますからね。」と。グーグルのネーヴェンは、ショアが最新の研究成果を発表するためにケンブリッジに行った際に一緒に散歩したことを思い出して言いました、「彼は、4車線の道路の車道を歩いていましたよ!」と。(ショアが私に語ったところでは、彼の2人の娘はいずれも自閉症と診断されており、彼自身も似た特質があることを認識しているとのことでした。)

 ショアの研究で有名なことは、従来不可能であった非常に大きな数の素因数分解を高速量子アルゴリズムを用いて解決する方法を提唱したことです。私は彼にその仕組みを説明するように頼んでみました。すると彼は黒板に描いてあった六角形を消しました。素因数分解の鍵は、素数を特定することだとショアは言います。ご存知の通り、素数とは、1とその数自身のみが正の約数となる整数のことです(5は素数ですが、6は2と3で割り切れますから素数ではありません)。1から100までの間に25個の素数がありますが、数が大きくなるにつれて、だんだん素数の出現頻度は少なくなっていきます。ショアは、黒板にそれほど長くない数式をいくつも書きながら、ある種の数の配列パターンが数直線上に周期的に繰り返し現れることを説明しました。しかし、その繰り返しの間隔は指数関数的に広がっていくので、従来のコンピュータでは計算がほぼ不可能でした。

 ショアは、次に私の方を向いて言いました、「ここで、私の発見の核心に触れることになります。あなたは、回折格子(diffraction grating)って知っていますか?」と。私が正直に知らないと答えると、ショアは心配そうに目を見開きました。彼は、いろんな色のチョークを使って簡単な絵を描きました。光線がフィルターに当たって虹色に回折する様子を説明するものでした。ショアは言いました、「光の色にはそれぞれ波長があります。これと似たようなことだと考えてください。つまり、計算上の回折格子があるようなものだと考えてください。そこで、光の波長を分類したように、ある種の数字配列の出現する異なる間隔や周期を分類するのです。」と。黒板で使われたさまざまな色は、それぞれが異なる数字のグループを表しています。従来のコンピュータでは、これらのグループ分けをしようとすると、1度に1つのグループしか分析できませんでした。しかし、量子コンピュータは、沢山のグループを1度に処理することができるのです。

 ショアの研究でもっとも困難なのは、理論的研究を物理的なハードウェアで実現するという点です。2001年、IBMの実験物理学者によるチームが、液体中に浮遊する分子に電磁パルスを発射して、ショアのアルゴリズムを実現しようとしました。ショアは言いました、「その機械は50万ドルくらいしたと思いますが、それが私たちに教えてくれたことは、15は3の5倍に相当するということだけでした。」と。従来のコンピュータで使うビットは比較的簡単に扱うことができます。電灯のスイッチを思い浮かべればよいのですが、オンかオフしか無いわけです。量子コンピュータで扱う量子ビットは、それとは異なっていて、ダイヤルのようなものを思い浮かべるとよいのかもしれません。より正確性を期すと、複数のダイヤルを思い浮かべるべきで、個々のダイヤルは特定の偏角に調整されなければなりません。このような精密な制御を素粒子レベルで実現することは、現時点では非常に厄介なことです。

 サイバーセキュリティの専門家が「Y2Q」と呼ぶ問題があります。Y2Qは、”Year Two Questionnaire”の略で、RSAなど現在用いられている暗号アルゴリズムが、量子コンピュータによってすべて解読されてしまう問題を指します。そうした事態が発生する前に、テキストメッセージ、電子メール、医療記録、金融取引などを保護するプロトコルを取り壊し、作り変えなけれなりません。今年初め、バイデン政権は、量子コンピュータによっても解読されない新しい暗号化規格の構築に向けて動き出したと発表しました。それは、ショアのアルゴリズムを用いても解読できないものでなければなりません。それが実装されるまでには10年以上かかり、数百億ドルの費用がかかると予想されています。サイバーセキュリティの専門家にとっては一攫千金のチャンスが広がります。暗号化技術研究者のブルース・シュナイアー(Bruce Schneier)は言いました、「Y2QとY2K問題(西暦2000年1月1日に、コンピュータの動作に何らかの異常が発生する可能性が取り沙汰された問題)で大きく異なるのは、Y2Kは問題が発生する日が特定されていたことです。」と。

 Y2Q 問題を見越して、多くのスパイ活動をしている機関が暗号化されたインターネット・トラフィックを膨大な量で保存し始めてているようです。近い将来にそれを解読できるようになることを期待しているようです。アメリカの数学者で量子コンピュータ時代の暗号化技術の標準化の推進責任者のダスティン・ムーディ(Dustin Moody)は、「多くの仮想敵国の諜報機関がインターネット上の暗号化されたデータをコピーして、それを保存するのを目にしています。これは間違いなく差し迫った脅威です。」と述べています。私は彼に、米国の諜報機関も同じことをしているのかと尋ねてみました。すると彼は、認識していないと答えました。10年か20年以内に、現在インターネット上にあるデータの暗号化されている部分が全て解読されてしまう可能性が高いと思われます。バイデン政権が掲げる暗号化技術のアップグレードの期限は2035年となっています。ショアのアルゴリズムの中でも簡単なバージョンを実行できる量子コンピュータは、早ければ2029年にも登場すると推測されています。