6.どこが量子コンピュータの構築競争を制するかは、現時点では見えない
中国科学技術大学(University of Science and Technology of China)のキャンパスでは、4つの量子コンピューティング技術が並行して開発されています。2020年、サイエンス(Science)誌に掲載された論文で、陆朝阳(Lu Chao-Yang)と潘建偉(Pan Jian-Wei)の研究チームは、開発したプロセッサが最高レベルのスーパーコンピュータよりも数百万倍速く計算タスクを実行したと発表しました。潘は、量子通信実験研究分野の先駆者と開拓者の1人です。2017年、彼の研究チームはチベットの観測所で2つの光子(photon)をもつれさせる実験を行い、その内の1つを人工衛星に送信しました。その後、その研究チームは、”量子テレポーテーション(Quantum teleportation) “という手法を用いて、地球上の3つ目の光子から宇宙空間の光子にその状態が転写されました。
今年初め、私は陆とビデオ電話で話をしました。陆は少し時間に遅れました。汗だくで帰宅したところで、義務付けられていた新型コロナの検査を終えたところでした。話し始めるとすぐに陆は、競合相手の間で流布している噂を否定し始めました。また、自分たちの研究成果についても正しく伝えられていないと釘を刺しました。量子コンピュータを研究する者たちの間で、中国がその開発に150億ドルを投じたという噂が流れています。陆は言いました、「私は、その額がどこから出てきたのか全く知りません。実際の投資額は、その25%程度しかないはずです。」と。
陆らが開発した世界初の実用的な光子コンピュータである”Jiuzhang(九章)”の演算能力は、間違いなく世界最速レベルです。しかし、陆は繰り返し、この技術を過大評価している同僚たちを非難してきました。陆は、私に説明すべく、10匹の子猫を一列に並べようとする女性の動画を見せました。そして、言いました、「これが我々が直面している問題なんです。」と。子猫の1匹が奥の方に逃げていき、女性が慌ててそれを捕まえようとします。陆は言いました、「いくつもある量子ビットを厳密な正確さで制御しなければならないのです。また、それぞれの量子ビットは周りの環境から隔離されて全く影響を受けないようにしておく必要があるのです。」と。動画の中の女性が子猫の1匹を捕まえて列に戻したのですが、他の数匹が列を離れて逃げ出しました。
陆が私に教えてくれたのは、量子コンピュータは通常のシリコンチップを使ったコンピュータとの厳しい競争にさらされているということでした。1940年代に世界初のコンピュータが生み出されました。当時のコンピュータの競争相手は、人間の頭脳の計算能力だけでした。しかし、量子コンピュータは、手強いスーパーコンピュータよりも優れていることを証明しなければならないのです。現在のスーパーコンピュータは、1秒間に5億回の計算が可能です。彼は言いました、「さまざまな方式の量子コンピュータの開発が進められていますが、冷静に見積もると、いずれも近い将来にスーパーコンピュータを圧倒的に凌駕する計算能力を獲得する見通しは立っていません。それどころか、ほとんどは、旧来のコンピュータより使い勝手の悪いものにしかならないのではないでしょぅか。」と。陆はまた、中国が最高の量子ビットを作っているというマーティニス(Martinis)の主張にも異議を唱えました。彼は言いました、「実際には、グーグルが最も進んでいると思いますよ!」と。
それについては、ネーヴェンも同じ意見のようです。彼は言いました、「我々の研究チームは、来年中には、世界で初めて完全にフォールトトレラント(fault-tolerant:障害許容設計)な量子ビットを作れると思います。」と。そこから先は、プロセッサを連結させることで演算能力を強化していく計画となっています。私が訪れた倉庫の隣にも広大な空きスペースがあり、建設工事が続けられていて、埃が舞って陽光に煌めいていました。そこで、車1台分のガレージと同じ大きさの冷凍庫を必要とするコンピュータが構築される予定です。分子化学の正確なシミュレーションを行うには、1,000個のフォールトトレラントな量子ビットがあれば十分でしょう。10,000個のフォールトトレラントな量子ビットがあれば、量子力学分野で次々と新しい発見が為され始める可能性があります。将来、多くの研究者の努力が結実して、ショアのアルゴリズムがフルパワーで実行され始めるようになり、現在の科学では解き明かすことのできなかったさまざまな秘密が暴かれるようになるかもしれません。現在63歳のショアは言いました、「そんなことが実現する前に私が死ぬ可能性は十分にあります。しかし、私は実現するのを何とかしてこの目で見たいと思います。それは、十分に可能なことだと思わなくもありません。」と。♦
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