バイデン大統領 独立記念日演説 コロナ対応の成果強調!ウイルスからの独立宣言は近い!

Daily Comment

This July 4th, Can We De-Adapt from the Pandemic and Trump at the Same Time?

今年も7月4日独立記念日が来ました。アメリカは、パンデミックとトランプの2つの呪縛から上手く逃れることが出来ているのでしょうか?

Although 2021 is only half over, it has brought about two major restart moments—one in politics and the other in public health.
2021年はまだ半分しか終わっていませが、この半年で重要な仕切り直しが2つありました。1つは政治に関して、もう1つは公衆衛生に関してでした。

By Louis Menand  July 4, 2021

 

Even if there have to be compromises, just pushing through programs that address the chronic insecurities that most Americans face in their lives is a statement.Photograph by Alexi Rosenfeld / Getty

 新たなスタートを切ったと言って良いのでしょうか。新たなスタートを切ることが出来たらどんなに素晴らしいことかと思う局面が人生では多々あります。ドイツでは、1945年に降伏した日を”stunde null(=zero hour)”(零時)と呼んでいます。ドイツの人たちはヒトラーが亡くなりナチスドイツが連合国に降伏した年を戦後の再出発をする年と位置づけたかったのでしょう。彼らは、過去のことを清算し、国を復興させたいと願ったのでしょう。実際、ドイツは見事に復興しました。しかし、過去の歴史を消し去ることは不可能でした。

 現在、アメリカ人も零時を祝って新たなスタートを切りたい気分です。この7月4日にバイデン大統領は新たなスタートを宣しました(演説でウィルスからの独立に限りなく近づいていると宣言した)。新たなスタートを祝いたくなるような瞬間が訪れることは歴史上では滅多に起こることではありません。また、どのようにすれば新たなスタートを切る瞬間を迎えることが出来るようになるかは誰にも分かりません。そうした数少ない例を挙げると、1776年はアメリカが独立した年ですから外せません。しかし、独立という新たなスタートを切る為には、悲惨な南北戦争を経験しなければなりませんでした。1789年のフランス革命も新たなスタートを祝いたくなる瞬間だったかもしれません。フランス革命は過去を塗り替えようとする急進的な企みでした。この時も沢山の血が流されました。1917年のロシア革命も同様に、新しいスタートを切るためおびただしい量の血が流されました。

 誰の人生においても零時が訪れてやり直せるということは、めったにありません。あるとすれば、たぶん、最初に大学に入学した時、新しい場所で新たな仕事に就いた時、転職した時などでしょう。おそらく、誰しも、神や運命や環境によって定められた運命を粛々とこなすしかないのです。しかし、時として、そうした運命から逸れて、リセットボタンを押して、新たなスタートを切れるチャンスが訪れるものです。そうしたチャンスをものにして、新たなスタートを切れる者も少なからずいます。その上、思い描いていたとおりに道を切り開く者もいるでしょう。しかし、新しいスタートを切ったと思っていても、元の運命に戻っていってしまう者がほとんどでしょう。そうして、誰もが人はなかなか変われないものだと気付くのです。残念ながら性格やマインドセットはそう簡単には変わらないのです。

 2021年はまだ半分しか過ぎていませんが、アメリカでは祝いたくなるような新たなスタートが切られたことが2度ありました。1度目は政治に関してで、バイデン政権が生まれ昨年とは大きく変わっています。2度目は公衆衛生に関してで、新型コロナで生活様式がすっかり変わりました。ドイツが終戦時を零時として新たなスタートを切った時に。ドイツ人は理想を実現するのは難しいということを学びました。アメリカで独立宣言を出した時にも、人々は同じことを学びました。「全ての人は平等である」という理想を実現するのは難しいということを学んでいました。理想を掲げてそれに手を付けたら、それで終わりではないのです。その後が大変なのです。アメリカで憲法が起草された時、独立宣言に署名した人たちは平等の原則を貫くことは素晴らしいことだが、1世紀以上に渡って蔓延っていた不正義を正すのは容易ではないと感じていたでしょう。現在、下院の特別委員会が、1月6日に起こった当時の大統領(トランプ)に扇動され支持者が武器を手に議事堂に乱入した事実をねじ曲げようとしています。何が起こったのかを正確に記録しておくことは重要なことです。しかし、それに抵抗する者も少なくないのです。

 パンデミックが収束しそうな中で、人々の暮らしぶりも旧来とは大きく変わっています。新型コロナ対応として、ロックダウン下ではさまざまなことが旧来と大きく変わりました。「全ての人は平等である」という理想を実現するための活動が逆戻りしなかったように、新型コロナ対応でもたらされた変化も新型コロナ前に後戻りすることなく定着するのではないでしょうか。旧来の仕事の進め方を続けようとする者は少ないでしょうし、週に5日間オフィスで働くという形は廃れていくでしょうし、余暇や家族との時間を大事にするようになるでしょう。

 パンデミック下で、他の人と交流する機会が減った人も多いでしょう。そうした機会が減って社交性を生かす機会が減ると、自分の社交性が減退してしまうのではないかと心配する人もいたでしょうが、別に何ら問題ないことが明らかになりました。パンデミック前は、レストランに行くことが楽しいことに思えましたが、行けなくなっても特に不便だと感じることもありません。家で食事をする機会が増えて、外で食事をする費用が信じられないほど高かったことに気付きました。パンデミックになって、ドライブをあまりしなくなった人は、ドライブは思っていたほど楽しいものではなかったと気付いたでしょう。また、逆に走っている車が減って、快適に車を走らせることが出来るようになったと思っている人も多いでしょう。新型コロナの影響で生活様式が一変しましたが、そのおかげでいろんなことに気づけました。それは新型コロナの良い影響です。新型コロナが収束しても、元の生活様式に戻ることは無いような気がします。

 1月6日にトランプ支持者が議事堂に雪崩込んだことは、アメリカの民主主義における恥ずべき不名誉な実験が終焉をむかえる際に起きた出来事でした。そして、1月20日にバイデン大統領が就任して、アメリカの民主主義は新たなスタートを切ったのです。単なるトランプ政権以前の状態に戻すということでは無く、大々的に政府の役割を見直す機会とすべきです。かつて、ジョンソン政権やルーズベルト政権で為されたような大々的な改革を期待したいものです。

 バイデンが大統領に就任してから100日が経過しました。フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領が就任から100日以内にアメリカを世界大恐慌から救出すると約束して以来、新任大統領の仕事ぶりをまず100日目に評価することが、アメリカでは慣例となっています。しかし、バイデン大統領の100日を評価するに当たって、ルーズベルトと比較するのは公平ではありません。というのは、現在とルーズベルトの時代では違う点が多いからです。ルーズベルトが就任した時、1933年でしたが、上院の議席は民主党59で共和党36で、下院は民主党313で共和党117でした。両院で民主党が優勢だったのでルーズベルトは100日間でニューディール政策を打ち出すことが出来たのです。ジョンソン大統領も同様に強い基盤がありました。1964年の大統領選でジョンソンは61%の得票率で圧勝し、上院の議席は民主党員68で定数100の2/3超でどんな議案でも通過させられる状況でした。下院でも民主党294共和党140議席で同様でした。多数派を占めていた民主党議員の多くは南部州選出の人種的分離主義者であったにもかかわらず、沢山の法案を次々と通過させ、1965年にはとりわけ画期的な法案である投票権法(投票時の人種差別を禁じた)を成立させました。その法律の影響で、それ以降は両院における民主党と共和党の議席数は拮抗するようになり、圧倒的に優勢になるような事態は発生しなくなっています。バイデン大統領の民主党は、ルーズベルトやジョンソンのように強引に法案を成立させたり議事を進行させることはできないのです。

 それでも、バイデン大統領は、議会でさまざまな妥協をしなければならないものの、財政出動を決定しています。それによって、景気を下支えし、多くの困窮しているアメリカ人の生活の質を改善しようしています。バイデン大統領は声明を出していました。その中で、資本主義経済を放任するだけでは駄目で、社会的セーフティネット、安価な健康保険制度を整え、雇用を増やしたいと言っていました。資本主義を放置するだけだは、貧富の差は広がるし、全ての人が教育を受ける機会も保証されないし、誰もがまともな職に就けるようにはならないでしょう。市場にはそうした機能はないのです。だから、政府がやらなければならないのだとバイデン大統領は強調していました。バイデン大統領によって、アメリカの政治に大きな変化がもたらされるのではないでしょうか。

 現在、誰しもが新型コロナ収束後の世界に適応しようとしています。また、トランプ政権時代に定着してしまったことから脱却する必要もあります。トランプ政権時には、共和党も民主党も報道メディアを活用しまくってお互いを攻撃していました。人々はそれに慣れてしまっていましたが、毎日のように有権者の注目を集めるため無益な情報が拡散されていました。誰もが気づいていたと思うのですが、それによって憎悪が増幅されました。憎悪が増さないような状況に変えていくべきです。

 トランプと彼の側近が犯した犯罪や不正行為は法によって裁かれるべきで、彼を逮捕拘束しないことは、司法当局の怠慢のように思えます。しかし、トランプ一味への捜査は進んでおらず、今後も進みそうにありません。まあ、多くの人は前大統領がオレンジ色のジャンプスーツ(囚人服)を着た姿など見たくないでしょうが、そうしたことが起こる可能性は極めて低そうです。

 さて、話題をかえますが、そもそもトランプが行った悪行とは何だったんでしょうか。彼の経営する会社が脱税をしていた可能性を指摘されています。実際に長年脱税を続けてきたと思われますが、結局のところ、多くの有権者はそのことをあまり気にしていないようでした。トランプの悪かった点は、彼の行った政策が良くなかったということにあります。彼が大統領として多くの自分の支持者のために合法的に実行しようとした政策自体が良くなかったのです。ですから、トランプ一味が行ったビジネスに関連して起訴されるかどうかをそれほど気にする必要はないのです。私たちが認識しないといけないのは、白人至上主義というのもが非常に危険であるということです。最も大きな民主主義に対する脅威は何かと聞かれたら、間違いなく白人至上主義だということができます。

 バイデン政権がすべきことは、民主党の伝統である大きな政府でサービスを拡充し、増税して富の再分配をし、インフラ投資にも注力すべきです。それは、トランプ大統領や共和党の政策とは全く相容れないものですが、それを上手くやれれば、トランプ待望論を根絶することが可能でしょう。まあ、アメリカでは大きな政府を好まない人も少なからずいます。特に自分にとってメリットが感じられない人はそうでしょう。ルーズベルトとジョンソンが革新的な政策を推し進めることに成功した鍵は、その政策を推し進めたら生活の質が著しく向上するということを多くの国民に理解させたことです。バイデン政権もそれくらい国民に政策を理解して受け入れてもらえるなら、むなしい共和民主両党間のヘイトの応酬も無くなるでしょう。しかし、それは一夜にして成るものではありません。トランプが訴追される気配はありませんし、地方選で民主党は苦戦を強いられており、バイデン政権にとって順風が吹いているわけではありません。新たなスタートを切る際には、どんな時でも長い助走が必要なのです。

以上