ワクチン・カウントダウン 意外と難度が高いワクチン開発後の工程

2社が驚異的な速さでmRNAワクチンの開発に成功

ハニーカットの免疫システムを刺激したワクチンは、最新の革新的な技術によってもたらされたものです。今では、ほぼすべての人が、悪名高きスパイクタンパク質(突起状タンパク質)のイメージ図を目にしたことがあるでしょう。それは、コロナウイルスSars -CoV-2が人間の細胞と融合する際に使用されるものです。ちょうど鍵穴にキーを差し込むような感じになります。従来のワクチンというのは、弱毒化したウイルスか不活化ウイルスを少し注入していましたが、モデルナ社とファイザー社のコロナウイルスワクチンには、mRNAが含まれています。人間の体に注入されると、mRNAはSARS-CoV-2のスパイクタンパク質を作り始めるよう指示を出します。人間の免疫システムは、新しいスパイクタンパク質を抗原として認識し、それを無力化するための抗体が産生します。抗体が出来れば、実際にSARS-CoV-2ウイルスが細胞を破壊しようとしも、体は迎え撃つ準備ができています。
 1つの重要な研究が大きく寄与したことにより、ファイザー社とモデルナ社は迅速にワクチンを開発することができたのです。スパイクタンパク質は、人間の体内の細胞と融合するとその形を変えます。いったん鍵が開いてしまったら、キーの形状も変わってしまうのです。変わった後でもワクチンが機能するためには、元々のキーの形状を体に覚えさせる必要があります。そうすることで、免疫システムは鍵を閉じたままにすることができます。数年前のことですが、米国立アレルギー感染症研究所のワクチン研究所の副所長バーニー・グラハムとテキサス大学のジェイソン・マクレラン教授は、別のコロナウイルス、中東呼吸器症候群(MERS-CoV)の研究をし、そのワクチンの開発しようとしていました。以前に行った研究によって、ウイルスの遺伝子配列がわずかに変化しても、スパイクタンパク質は元の形状を保持するということが暗示されていました。それで、彼らはMERSのスパイクタンパク質に対して2つの変異体を試してみました。試みは成功しました。ウイルスが変異してもスパイクタンパク質は変わらないので、スパイクタンパク質作成の指示を出すmRNAを使ったワクチンは、ウイルスが少しくらい変異しても有効であることが分かりました。そうして強力なワクチンが開発されました。「この研究の成果は、他のウイルスにも転用できると気づきました。それは、とてつもなく大きな効果を生み出すでしょう。」とグラハムは私に言いました。
 2017年に米国立衛生研究所はモデルナ社と協力して、パンデミックが発生した場合にmRNAワクチンをどれだけ迅速に開発できるか研究していました。2019年半ばに研究をさらに加速させました。その後間もなく、中国の武漢市で未知のウイルス性肺炎のクラスターが発生したので、その研究をより加速させなければならなくなりました。2010年1月10日、中国の研究者はSARS-CoV-2のゲノム配列を公にしました。翌朝、グラハムの研究チームは、MERSに関する研究で得られた知見を活用して、mRNAワクチンの開発を始めました。
 モデルナ社と同様に、バイオンテック社もmRNAワクチンの実験を行っていました。1月下旬にはバイオンテックの共同創設者であるウール・シャヒンが、SARS-CoV-2がパンデミックを引き起こすだろうと予測しました。同社は独自のワクチンの開発を始めました。その数週間後、シャヒンはファイザー社のワクチン研究責任者のカトリン・ヤンセンに電話し、ワクチン開発に参加することに興味があるかどうかを尋ねました。ヤンセンは、自分の方からシャヒンに電話しようと思っていたところだと言いました。
 モデルナ社とファイザー社のワクチンは、非常に似ています。どちらも、mRNAが脂質ナノ粒子と呼ばれる物質にカプセル化して内包されています。脂質ナノ粒子は、脂肪で出来た殻のようなもので、mRNAを細胞内まで運ぶ役割を担っています。今日使用されているほぼすべてのワクチンと同様ですが、2社のワクチンはいずれも2回の接種が必要となります(インフルエンザの予防接種は1回で十分です。しかし、毎年新しい予防接種が必要です)。1回目の投与では免疫システムは抗原から攻撃を受けますが、それよって抗原に対応できる抗体を作れるようになります。2回目の投与によって、作れる抗体の量を多くすることが出来ます。1回目と2回目の投与の間にコロナウイルスに感染したとしても、パンデミックになるとそういったリスクが顕在化するわけですが、重症になる確率は低くなると推測されています。しかし、どのくらい低くなるのかは今のところ分かっていません。ジョンソン&ジョンソン社は現在、コロナウイルスワクチンの治験をしています。6万人規模です。そのワクチンは、1回の投与で有効とされています。しかし、そのワクチンによる免疫が持続しない可能性も考えられるため、同社は11月に2度目の第3相試験を開始しました。その試験では、3万人の被験者にワクチンを2回投与する計画です。
 世界を見渡すと、13社が大規模な治験を行っています。4月には、世界中で行われているワクチン開発の取り組みを加速させるために、FDAの中の生物製剤評価研究センターの所長であるピ-ター・マークスは、画期的な計画を提案しました。彼は映画「スタートレック」の長年のファンですが、提案した計画を「プロジェクト・ワープスピード」と名付けました。マークスは現在、ワクチン開発企業からの緊急使用許可の申請を承認するか否かを決める部署を率いています。彼は、それは非常に重要な職務であり、失敗が許されないということを十分に認識しています。
 モンセフ・スラウイ(以前グラクソ・スミスクラインのワクチン開発責任者であった)が、最終的にはオペレーション・ワープスピードの責任者に任命されました。そのプログラムによって、これまでのところ少なくとも120億ドルが製薬会社に提供され、ワクチンと治療薬の研究開発、製造のために使われています。巨額の資金を受け取ったのはモデルナ社、サノフィ社(グラクソ・スミスクライン社と提携)、ノババックス社、ジョンソン&ジョンソン社、アストラゼネカ社です。それらの中では、アストラゼネカ社以外がグラハムとマクレランの変異体の研究成果を活用していました。グラハムによれば、RNAを利用するワクチンを作る技術は、元々はペンシルベニア大学医学部教授ドリュー・ワイスマンの研究によるもので、その研究も米国立衛生研究所から資金援助を受けていました。グラハムは言っていました、「製薬会社がワクチンを作れるのは、いろんな研究の成果のおかげなのです。それなのに、創薬に成功するといろんな人や企業が自らの手柄だと主張します。でも、失敗した時には誰も自分のせいだとは言いません。」と。
 ファイザー社とバイオンテック社は、オペレーション・ワープスピードから資金提供を受けないという決定をしました。ファイザー社CEOのアルバート・ブーラは、CBSの報道番組でのインタビューで、自社の研究者が頭の固い官僚たちから干渉されるのを避けるために、資金提供を断ったと言ってました。バイオンテック社はドイツ政府からの資金提供は受けました。4億4500万ドルです。両社は、オペレーション・ワープスピードと契約を交わしました。ともに製造開始後、最初の1億回分のワクチンは20億ドルで米国に売り渡すことになっています。両社はmRNAテクノロジーを使ったワクチンを開発しましたが、それらはグラハムとマクレランが米国立衛生研究所から資金提供を受けた研究の成果を生かして作られたものです。
 マウスとサルを対象とした臨床試験でも人間を対象とした第1相試験でも、ファイザー社とモデルナ社のワクチンは、安全性が高く、強固な免疫システムを構築できることが判明していました。5月に両社と米食品医薬品局は、ワクチンが予想よりも早く出荷できる可能性があることを示唆し始めました。人間を対象とした治験が開始されると、グラハムはますます自信を深めました。両社は7月27日に第3相試験を始めました。通常のワクチンの第3相試験で時間が最もかかるのは、被験者の一定数以上がウイルスに感染するのを待つところです。しかし、今回はそこは長くならなさそうでした。というのは、COVID-19の感染者は国中で急増していたからです。それで、両社の株価は急騰しました。
 ドナルド・トランプはワクチンの楽観的見通しを政治利用しようとしていました。夏場まで、彼はワクチンは大統領選迄に準備できると吹聴していました。しかし、医療専門家の誰もがスケジュール的に無理だと思っていました。トランプは記者会見で、「まもなく非常に大きなサプライズがありますよ。ワクチンがまもなく出来上がります。おそらく、大統領選前になるはずです。」と言っていました。