人間の身体は火星探査に耐えられるか?普通に考えたら放射線の影響と微小重力のせいで死ぬでしょ!!

2. 宇宙飛行士の体調は、ミッション前、中、後に詳しく調査される

 メイソンが働くコーネル航空宇宙医学バイオバンク( Cornell Aerospace Medicine Biobank:略号 CAMbank )は、マンハッタンの瀟洒なガラス張りのビルの 4 階にある。そこには 22 人の宇宙飛行士から採取された 1 万 5 千点以上の生体サンプルが保管されており、この種のものとしては最大級の保管庫の 1 つとなっている。9 月の爽やかな日の朝、私は近くの血液内科クリニックに到着した。2021 年にフロリダを離陸したスペース X 社の民間ミッション「インスピレーション 4 ( Inspiration4 )」の乗組員のヘイリー・アルセノー( Hayley Arceneaux )とシアン・プロクター( Sian Proctor )に会った。2 人は唾液、血液、尿、そして皮膚の微生物を科学研究のために提供するために来ていた。

 コミュニティカレッジの地質学教授をしているプロクターは短髪の未来主義者である。彼女は以前にも何度かここを訪れたことがあり、何をすべきか知っているようだった。彼女はビニールの包みを破いて四角いガーゼを取り出し、それをガムのように噛んで濡らした後で箱の中に入れた。この方法は、多くの宇宙飛行士が宇宙空間でチューブに唾を吐き出すことが難しいと訴えたことを受けてメイソンが開発したものである。次に、彼女は靴下を脱いで、足の指の間を綿棒で拭いた。

 ウェーブのかかった赤褐色の髪の医療従事者のアルセノーは、ロケットのロゴがあしらわれた青い T シャツの袖をたくし上げ、皮膚生検でできた小さな傷跡を私に見せた。「研究のために自発的に縫合を受けている時点で、十分に献身的と言える」と彼女に言う。そして彼女は、新型コロナ検査の要領で鼻の穴を綿棒でこすった。

 インスピレーション 4 が最初に計画された時、多くの科学者がその乗組員の研究に熱心だった。民間宇宙飛行士の数が大きく増えることは潜在的な研究対象のプールを大幅に拡大する。また、年齢、性別、背景、訓練、およびフィットネスレベルの点でより多様性がもたらされる。2021 年、「スタートレック( Star Trek )」シリーズに出演していたウィリアム・シャトナー( William Shatner )は、90 歳で再利用可能なブルーオリジンロケットシステム( Blue Origin rocket system )で 10 分間のーオリジンロケットシステム( Blue Origin rocket system )で 10 分間の宇宙弾道飛行( suborbital space )を行った。彼は後にガーディアン紙( the Guardian )に「地球が私たちの唯一の故郷であり、これからもそうあり続けることを理解するために、宇宙に行く必要があった。そして私たちは容赦なく地球を破壊し、居住不可能な状態にしてきた」と書いている。唾液には炎症性分子とホルモンが含まれており、心臓病や内分泌系疾患のリスク上昇を示している可能性がある。皮膚から組織を拭い取ることや生検では、がんに関連するマイクロバイオーム( microbiome )と遺伝子経路の変化が明らかになることがある。「インスピレーション 4 の乗組員は、私たちが抱える宇宙飛行士研究対象者の中で最も熱心な人たちである」とメイソンは語る。

 プロクターの父親はアポロ時代の工学研究者である。プロクターは 2009 年に NASA の宇宙飛行士選抜プログラムの最終選考に残った。しかし、インスピレーション 4 の司令官だった技術界の大富豪ジャレッド・アイザックマン( Jared Isaacman )が主催した起業家コンテストに応募するまで、彼女は宇宙に行くチャンスがなかった。余談であるがアイザックマンは現トランプ政権で NASA の長官に指名されている。プロクターは宇宙旅行ミッションのパイロットを務めた初のアフリカ系アメリカ人女性となった。その後、オンライン旅行会社トリップアドバイザー( TripAdvisor )のレビュー欄に「雰囲気はまさに別世界だった!」と書き込んだ。

 アルセノーが宇宙飛行士になったのは全くの偶然だった。10 歳の時にメンフィスのセントジュード小児研究病院( St. Jude Children’s Research Hospital )で足の骨肉腫の治療を受けていた。「その時から、将来はセントジュード病院で働きたいと思っていた」と彼女は語る。2020 年にセントジュード病院は彼女を医師助手として雇い入れた。翌年、病院の経営陣から彼女に電話があった。アイザックマンがインスピレーション 4 でセントジュード病院の資金調達に貢献したいと考えているとのことだった。宇宙船は 3 日間地球を周回し、大西洋に着水する予定だった。病院は彼女を選んだのだが、彼女は自信が無かったが資金集めになることを認識していたので、「ええ、ぜひ」と答えた。

 インスピレーション 4 の乗組員は 6 か月間準備した。アルセノーは乗組員の中の医療責任者であったので、訓練の一環としてレーニア山に登り、酸素が徐々に薄くなる間に室内でパズルを解いたという。パーソナルトレーナーとトレーニングし、精神科医と面会し、マンモグラフィー( mammogram )、心エコー( echocardiogram )、ストレステスト( stress test )、骨密度スキャン( bone-density scan )、歯科検診( dental evaluation )などの検査を受けた。2021 年 9 月に 33 歳で地球を周回した最年少のアメリカ人となった。宇宙から、セントジュード病院で治療を受けている子供たちに衛生通信で話しかけた。「私は皆さんと同じように、がん治療を受けている小さな女の子でした​​」と彼女は子供たちに語りかけた。「私が宇宙飛行士になれたんだから、皆さんも何でもできるはずよ」。

 インスピレーション 4 の乗組員が宇宙旅行の副作用の多くを経験するのに 3 日間という期間は十分だった。軌道上にいる間、プロクターは吐き気止めの薬を摂取する必要があった。「ヘイリーがフェネルガン( Phenergan )を打ってくれたんです」と彼女は話した。綿密に研究した結果、宇宙で乗り物酔い状態に陥った際にはこの薬を使うと決めてあった。アルセノーは、微小重力で脊柱が伸びたため、頭痛、鼻づまり、激しい背中の痛みを経験した。帰還後、彼女はめまいと脱力に悩まされた。最初は認知機能に問題があるとは思っていなかった。しかし、後にプロクターがソーシャルメディアに宇宙にいた時の 2 人の動画を投稿した。まるでハリー・ポッターの登場人物であるかのように、空中に浮かぶぬいぐるみの犬に杖を振っている動画だった。「おかしいな、こんな動画ならその時のことを覚えているはずなのにと思った」とアルセノーは話す。「でも完全に記憶から消えていた」。アドレナリンが急上昇したために記憶が失われていた可能性が考えられるが、断定するのは難しい。

 プロクターとアルセノーがサンプルの提供を終えると、私はアロハシャツを着た特別研究員のジェレミー・ウェイン・ハーシュバーグ( Jeremy Wain Hirschberg )がサンプルを入れた箱を通りの向こうの CAMbank に運ぶのを手伝った。ウェイン・ハーシュバーグは以前、宇宙エレベーターを建設したいという風変わりな起業家の下で働いていた。「重力と物理的理由から、地球に宇宙エレベーターを作ることは不可能だと思う」とウェイン・ハーシュバーグは言う。「でも月にそれを作ることは楽観的に考えている」。私たちは宇宙エレベーターではないエレベーターに乗って 4 階へ向かった。

  CAMbank では、透明な冷蔵庫の前を通り過ぎた。試験管が山積みになっていた。ケチャップやマヨネーズの瓶を彷彿とさせた。実験台には、平らな黒い DNA シーケンサー( DNA sequencer:DNAの塩基配列を自動的に読み取る装置)が置かれている。ウェイン・ハーシュバーグは、マイナス 80 度に保たれた工業用冷凍庫を開け、霜に覆われた尿の入ったバケツを露わにした。雪崩に埋もれた宝物のようだった。彼が中にいくつかの箱を入れた後、私は彼に続いて R2-D2 と同じ大きさで同じ形の液体窒素タンクに向かった。彼は手袋をした手でカプセルをこじ開けた。水蒸気が噴き出した。私は小型ロケットの打ち上げを思い浮かべた。「ここは、最も敏感なサンプルを保管する場所である」と彼は言う。たとえば、一部の免疫細胞は微細な遺伝子変化を検出できるが、細心の注意を払って保管する必要がある。

 私が医師として勤務しているウェイル・コーネル( Weill Cornell )医科大学の遺伝学者であるメイソンは、白衣を着ずにジーンズでサングラスを頭に載せていた。彼と彼の同僚たちは、宇宙旅行の最も危険な健康影響を特定し、さらに可能であればそれを中和するために十分な生物医学的データを収集するという当面の現実的な目標を掲げている。彼の個人的な見解の中には、より挑発的なものもある。2021 年に出版された「 The Next 500 Years :  Engineering Life to Reach New Worlds (未邦訳)」という本の中で、メイソンは、人類がいつか宇宙で生き残るために遺伝子を改変できるようになるかもしれないと示唆している。「我々はロケットや宇宙船を設計することで宇宙飛行士の安全を保護するためにできる限りのことをしているが、宇宙飛行士自身の内部にもその保護の一部を作ることができるかもしれない」と彼は書いている。彼は、ゾウは人間よりもはるかに多くの細胞を持っているが、がんを発症する率ははるかに低いと指摘する。その理由の 1 つは、ゾウが DNA をスキャンして修復するタンパク質を生成する TP53 という遺伝子のコピーを 20 個持っているからかもしれない。人間には 1 つしかない。緩歩動物( tardigrades )などの「極限環境生物( extremophiles )」は、小さな熊に似た微小な無脊椎動物であるが、ダメージ抑制タンパク質( damage-suppressor protein )をコードする遺伝子のおかげで、あらゆる環境で生き延びることができる。この研究室では、メイソンがその遺伝子をヒトの細胞に導入し、DNA 損傷を大幅に減らすことに成功した。残念ながら、「遺伝子編集はまだ少し先の話である」とバスナーは語った。

 メイソンの本は、ジャン=ポール・サルトル( Jean-Paul Sartre )の「存在は本質に先立つ」という議論の宇宙版である。つまり、人類が何かになりたい、あるいは何かを達成したいと望むなら、まずは存続しなければならないということである。メイソンの見解では、絶滅の危機を認識する唯一の種として、人類には小惑星の衝突、核戦争、気候変動などの危険から他の生命体を守るという独自の道徳的義務がある。彼は火星や他の惑星を「人類を含むすべての生命のバックアップ計画( a backup plan for all life, including humanity )」と表現している。