人間の身体は火星探査に耐えられるか?普通に考えたら放射線の影響と微小重力のせいで死ぬでしょ!!

5. 特に放射線の影響が甚大

 2015 年のマット・デイモン( Matt Damon )の主演映画「オデッセイ( The Martian )」の原作はアンディ・ウィアー( Andy Weir )が 2011 年に発表した小説「火星の人( The Martian )」である。作中では、激しい砂嵐により火星に最初に到着した乗組員の 1 人が避難を余儀なくされる。飛来した破片が植物学者のマーク・ワトニー( Mark Watney )を殺しそうになった時、彼らはしぶしぶ彼を置き去りにするが、後になって彼が生存していたことが判明する。ワトニーは、自分の排泄物でジャガイモを肥やし、ロケット燃料の水素から水を作り、地球と交信するための探査車を改造するなど、苦闘の日々をユーモラスに綴っていた。心理学者が「最大の脅威は希望を捨てることだ。生き延びる見込みがないと判断したら、彼は挑戦をやめていただろう」と指摘する。「オデッセイ」は厳密には現実と異なっている。火星の強風のリスクを誇張しているが、逆に放射線の危険性を過小評価している。しかし、人類が急に進化して適応できなければ地球以外の惑星は生存に適さないことを浮き彫りにしている。また、シュワルツ等が実施したような他の惑星の環境をシミュレートすることの難しさも浮き彫りにしている。

 昨年 12 月に私は火星に似た環境を体験するため、ソルトレイクシティ( Salt Lake City )まで飛行機で行き、そこからユタ州南部の赤茶けた渓谷地帯で 250 キロほど車を走らせた。ホテルで一夜を過ごし、夜明け前に目覚めると気温は 10 度台(摂氏マイナス 10 度前後)だった。牛糞ロード( Cow Dung Road )をドライブしていると、燃えるようなオレンジ色の太陽が遠くの丘の頂で輝き、赤い土壌と渓谷を照らしていた。私は風化した標識の近くに車を停めた。そこには「立入禁止区域( RESTRICTED AREA )」と書かれていた。隣の看板には「火星砂漠研究ステーション( MARS DESERT RESEARCH STATION:略号 MDRS )」と書かれていた。

 MDRS の起源は 1990 年代に遡る。当時、アメリカが火星探査を軽視していると考えた航空宇宙エンジニアのロバート・ズブリン( Robert Zubrin )が、「マーズ・ダイレクト: NASA火星移住計画 ( The Case for Mars )」というベストセラーを世に出した。この本には、哲学的な議論とともに、詳細な技術的提案が含まれていた。ズブリンは、「火星のテラフォーミングに失敗することは、人間としての本性に反し、生命共同体の一員としての責任を裏切ることになると私は言いたい」と書いている。その後、ズブリンは火星協会( Mars Society )を設立し、バズ・オルドリン( Buzz Aldrin )、ジェームズ・キャメロン( James Cameron )、イーロン・マスクらが会員となった。2001 年、同協会は直径 8 メートルの 2 階建て円筒形の火星居住ユニット「ハブ( hab )」を建造した。それ以来、このユニットでは何百もの模擬ミッションが実施され、研究室、温室、太陽観測室、使用済みのチヌークヘリコプター( Chinook helicopter:ボーイング社製の大型輸送ヘリ)を改造したメンテナンススペースも増設された。

 私が駐車したところからは、起伏のある地形に隠れた太陽電池パネルといくつかの白い構造物が見えた。火星のゴルフカートのようなグレーの ATV (全地形対応車)が数台あり、NASA の古い探査機の名前が付けられていた。車の外は極寒で、ブーツの中でつま先が凍りついているように感じたが、宇宙ではもっと寒いだろうと自分に言い聞かせた。茶色のあごひげを生やし厚手のコートを着た男性が近づいてきた。「火星へようこそ」と彼は言った。

 ウクライナ出身でステーションを指揮する航空宇宙エンジニアのセルギイ・イアキモフ( Sergii Iakymov )だった。先日、彼を含む 4 人が火星往復を想定した NASA の 45 日間のシミュレーションに参加した。広さ600平方フィートの施設で、彼は睡眠不足と窓の外のバーチャルな景色による見当識障害と闘っていた。「太陽と遠くの星しか見えなかった」と彼は言う。「私は頭の中で、地球はどこだ、地球を見たいということばかり考えた」。しかし、イアキモフの体験は、何人かの宇宙飛行士が体験したことに比べれば軽いものだった。1980 年代には、ソ連の乗組員が幻覚の可能性を報告した。また、別の乗組員は鬱状態に陥り、ミッションを早々に打ち切ったと伝えられている。また 1985 年には、スペースシャトルの実験が失敗し、1 人の航空宇宙科学者が苦痛を感じていたため、乗組員の 1 人がハッチをダクトテープで閉めたという。その科学者がハッチを開けて空気が漏出するのを恐れたのである。その後のミッションでは、ハッチはロックされるようになった。NASA はこのような案件を 「行動衛生上の事故( behavioral health mishaps ) 」と呼んでいる。

 イアキモフはポケットから無線機を取り出した。「彼はここにいる」と彼は言った。「フロントエアロックかリアエアロックか、どちらから来る?どうぞ」。

「了解」。と冷静な返事が返ってきた。「フロントエアロックだ。どうぞ」。

 私は例のハブに近づき、重い金属製のドアを強く引いて小さな円形の部屋に入った。エアロックは大気がドアから外に吸い出されるのを防ぐものである。人間が本来は居住できない環境で生き延びるための呼吸可能な空気を保護する。私はウィアーの著書を思い浮かべた。そこでは、エアロックの破裂で主人公が育てた作物が破壊され、主人公は危うく死にそうになる。私の後ろのドアが閉まった。数分後、私の前のドアが開いた。

 私を迎えたのは、無機質な白い壁と点滅するモニターだった。27 人の宇宙飛行士を輩出したパデュー大学( Purdue University )の学生 6 人が 2 週間のシミュレーションの後半に差し掛かっていた。湿度、温度、二酸化炭素濃度などのパラメーターが安全な範囲を外れると警告するデジタルセンサーが見えた。二酸化炭素を定期的に除去しないと、宇宙飛行士は頭痛や疲労、さらには死を引き起こすほどガスを吐き出すことになる。「火星」での最初の一歩を踏み出したとき、私は透明な車輪のついた箱につまずいた。箱の中には色とりどりのワイヤーが詰まっていた。これはオープンソースの NASA の設計図に基づいた、まだ機能していない探査車だった。「私は人間と機械の相互作用に焦点を当てている」と乗組員の 1 人であるスプルーハ・ヴァシ( Spruha Vashi )は語った。「常に限られたリソースで最大限に活用できる機械を設計するにはどうすべきか」。

 彼女は立ち止まり、そして笑いを誘いながら言った、「トイレがちゃんと機能しているか確認するのも私の担当である」。

 「人間と機械の相互作用の中でも最も重要なものの 1 つである」と私は言った。乗組員は、トイレ、調理、掃除、飲料用として 14 日間で約 300 ガロン( 1,136 リットル)の水を使用した。これは平均的なアメリカの家庭が 1 日に使用する量とほぼ同じである。

 長身で巻き毛の博士課程の学生ピーター・ゾス( Peter Zoss )は保健衛生担当として、基本的な応急処置と心肺蘇生法を学んでいた。「理想を言えば、新しく覚えたスキルを使う必要がないことを祈る」と彼は言う。以前のミッションでは骨折する者が出たが、医療救助が到着したのは 1 時間半後だった。ゾスは、ストレスが生理機能と認知能力に及ぼす影響について研究していた。火星探査は精神に大きなダメージを与えるかもしれない。乗組員は窓のない狭小な部屋で眠り、外部の者との交流は最低限にとどめられ、極地探検帯のように 40 ポンドのリュックを背負って、寒い屋外で 1 日に数時間過ごすことが多かった。ちなみにアメリカ人宇宙飛行士のアンディ・トーマス( Andy Thomas )は、ミール宇宙ステーションに 140 日間滞在した後、「生活を面白くし、モチベーションを維持するためには、自分のリソースを使わなければならない」と語っている。ゾスと彼のアドバイザーが後に私に語ったのだが、同乗した乗組員の 1 人が血圧のわずかな低下を経験し、ストレスや心臓血管の健康状態の低下を示す可能性のある心拍変動の劇的な減少も経験したという。

 ミッションの指揮官で、あごひげを生やした大学院生ハンター・ヴァニエ( Hunter Vannier )が、地上のトンネルを通って私を MDRS の科学ドームに案内してくれた。そこには化学用品、救急箱、消火器、そしてスムージーを飲みたい科学者を追い払うかのように「研究室専用」と書いたミキサーが置かれていた。金属製のテーブルには地質学的サンプルがいくつも置かれていた。ヴァニエの説明によると、分光法、つまりさまざまな物質による光の吸収や反射の仕方を研究することで、火星のレゴリス(表土)が作物を育むかどうかがわかるという。火星の表面には、植物の成長を阻害し、人間にとって有毒な過塩素酸塩が大量に含まれていることがすでにわかっている。