本日翻訳し紹介するのは The New Yorker の Web 版に 12 月 5 日掲載された Joshua Rothman のコラムで、タイトルは” Are We Getting Stupider? “(私たちは愚かになっているのか?)です。Rothman はスタッフライターで AI に関する記事が多いです。
スニペットは、” Stupidity is eternal—and more complex than we think.”(愚かさは永遠であり、私たちが考えるよりも複雑である。)となっています。Rothman はほぼ毎週コラムを投稿しています。それが Open Questions というコーナーで、もっぱら AI に関するものです 。
本日翻訳したコラムは愚かさについて記してのものでした。コラムの中に AI に関する記述は無いのですが、Open Questions というコーナー自体が AI に関するコーナーですので、AI の登場で現代人はそれに頼ってますます愚かになりつつあるという前提で話が進んでいます。
翻訳してみた私の感想ですが、さて、現代人はちょっと前の世代に生きた人たちより愚かになっているのか、それとも賢くなっているのか?わかりません。おそらく、能力はそれほを変わっていないわけですが、人間には前の世代の知恵を引き継げるという他の種に無い脳力があるので、ちょっとだけ賢くなりつつあるのかもしれません。ただ、その分、無くなってしまった能力もあるので、プラスマイナスゼロなのではないかと考えます。
話が逸れてしまいましたが、本日翻訳したコラムの結論は、「賢くなるためには自らの愚かさを自覚する必要があるが、同時に他人の愚かさも状況依存的であることを理解し、傲慢に陥らない理想的な意識レベルを維持することが求められる 」というものです。
結論だけだと短すぎますので、要旨も記しておきます。以下です。
・愚かさの普遍性と進化 愚かさは永遠に存在し、時代とともにその形態や種類を変え、進化し続けている 。
・「無知」と「愚かさ」の区別 古代ギリシャの視点では、単なる「無知」は恥ではないが、自らの限界を認識せず克服しようとしない姿勢こそが「愚かさ」であるとされる 。
・現代社会と愚かさの増殖 都市化やテクノロジーの複雑化、官僚制度などの影響により、現代人は「愚かになる方法(機会)」が増えており、学力の低下やデジタル社会特有の愚かさが顕著になっている 。
・「認知エリート」への反発 直感よりも慎重な思考や専門性を重視する「認知エリート」が構築した複雑な世界に対し、それ以外の人々が反発(ポピュリズム)を抱くという負のスパイラルが生じている 。
・愚かさとの向き合い方が重要である。自己卑下の効用: 自分の愚かな失敗を認め、それを「ネタ」にしたり学びの出発点と捉えたりすることで、賢さへと繋げることができる 。また、ユーモアと寛容さも重要である。愚かな失敗にはユーモアも含まれる。誰もが間違いを犯すことを認め、寛容であることが重要である 。
では、以下に和訳全文を掲載します。詳細は和訳全文をご覧ください。