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” A Short History of Stupidity (「愚かさの小史」)は、愚さの増殖が実質的なものなのか表面的なものなのかという問いに必ずしも触れているわけではない。フローベールが現代の人々は決まり文句( cliché )や既成概念( received opinion )に溺れていると書いたのは正しいのだろうか?であるなら、新聞が登場する以前には、個々人がより多様で独創的な見解を述べていたということになるが、本当だろうか?そんなことはありそうにない。過去数百年にわたる一般的な傾向として、より多くの人々がより多くの教育を受けるようになった。フローベールは確かにより多くの愚かな考えに触れてきたかもしれないが、それはより多くの考えが共有されていたという事実を反映しているだけかもしれない。
おそらく、フロベールは決まり文句の愚かさを激しく非難することで、実際には一種の自己卑下( self-humiliation )を実践していたと思われる。つまり、彼は決まり文句に自分が同意するかどうかを自問自答し、それによって自身と私たちを愚かではない存在へと駆り立てていたのである。フロベールは 1870 年代に執筆した風刺的な著書” Dictionary of Received Ideas ”(紋切型辞典)の中でさんざん提示しているのは、愚かな人々があまりにも容易に受け入れてしまう愚かな概念を体現する様々な定義である。このような考えが浮かぶのは自然なことである。哲学者サシャ・ゴロブ( Sacha Golob )を引用しながら、ジェフリーズは「愚かさは、私たちが育った集団や社会の産物だ」と説明する。こうした考えを嘲笑することで、私たちはそれを乗り越えることができる。この観点から見ると、自分がますます愚かになっているという感覚は、単に賢くなろうとする決意の表れなのかもしれない。
しかし、私たちの集団的な知的活動において、何かが狂っていることは否定できないようである。現在の政治状況は「愚かさについて書くのに良い時期」だとジェフリーズは書いている。彼が指摘しているのは、愚かさの中心的な特徴は「望ましい結果を達成しないように明確に設計された唯一のことをする」、あるいは「手段と目的が滑稽なほどに不一致である」ことである。現在、「愚かさ」という言葉は、アメリカを再び健全にする鍵はワクチン接種の終了だと考える人が多い現代を特徴づける完璧な言葉であるように思える。一方、ニューヨーク・マガジン( New York magazine )の最新号は “ The Stupid Issue (愚かさ特集号) ”と題されているが、ジャーナリストのアンドリュー・ライス( Andrew Rice )は、レストランの会計でチップを計算するといった基本的なタスクを実行する高校生の能力が、憂慮すべきほど広範囲に低下している状況に言及している。こうした低下は資金が豊富な学区でさえ起こっており、識字能力と知識水準の低下という、より大きな学力の傾向の一部なのである。
もしかしたら、私たちはますます愚かになっているのかもしれない。それでも、愚かさに関する言説の問題の一つは、それが単純化され、攻撃的で、虐待的にさえ感じられることである。自己卑下はやはり屈辱的である。私たちが互いを愚か者と呼ぶとき、その非難が正当であろうと不当であろうと、私たちは周囲に屈辱を広めていることになる。哲学者ジョセフ・ヒース( Joseph Heath )は先日のサブスタック( Substack )への投稿で指摘しているのだが、ポピュリズムは「認知エリート( the cognitive elite )」対する反乱と解するのが適切かもしれない。認知エリートとは、私たちに直感に頼ることを戒め、ほとんどすべてのことについてより慎重に考えることを要求する人々のことである。この理論によれば、認知エリートによって構築された世界は、専門家の言うことをよく聞き、最新テクノロジーに遅れずについていき、映画のチケットを買うのに 6 ページものオンラインフォームをクリックしなければならない世界である。それは時に人が話す際に、馴染みがあるがいささか刺激的な言葉を使うことを抑制させ、認知エリートの明示によって新たに作られた好まれしい言葉に置き換えることを要求する。例えば、ホームレス( homeless )という言葉を家なし( unhoused )という語に置き換えることを要求する。認知エリートが、物事を直感的に考える人はしばしば間違っていると言うのは正しい。犯罪や移民といった問題においては、特に真実は直感に反するものである。(法的措置は粗暴な司法よりも優れている。移民は労働力の供給と需要の両方を増加させる)。しかし、その結果、認知エリートでない人々は結託するようになる。この負のスパイラルから抜け出す道はどこにあるのだろうか?誰にもわからない。