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ウエストが生まれ育ったスーザンビルでは、高校を卒業すると町の刑務所での仕事に就く者が何人かいます。山火事の消防士になる者もいます。消防士になる場合は、連邦政府の現地の出先機関に雇われる契約となります。繁忙期には非常に忙しいのですが、それなりの収入があり、閑散月にはスキーやサーフィンや旅行を楽しむことができます。ウエストの高校時代のフットボールのコーチの1人は1980年代に山火事の消防士になり大学に行く学費を貯めました。コーチがウエストに言ったのは、消防士の収入は残業手当や危険手当がつくので悪くないということでした。それで、ウエストは将来は学校の教師になるという夢を持っていましたので、学費を貯めるために山火事の消防士の採用試験を受験しました。
彼は採用された最初の年に何度かホットショット隊に加わって山火事消火作業を実地体験しました。高校を出たての彼にとっては経験したことのない厳しい肉体労働でした。時には16時間ぶっ通しで働いたり、40ポンド(18キロ)の荷物を担いで山道を進んだり、スコップやチェーンソーを使いこなさなければなりませんでした。ウエストはホットショット隊の隊員になろうと思いました。彼は言いました、「私は挑戦してみようと思ったんです。隊員は私より2~3年ほど年上の人がほとんどでした。いろいろと説明したり教えてくれました。彼らは消防士の仕事に誇りを持っているようでした。」と。ウエストは、煤まみれになって大声を張り上げながら山火事を鎮圧する仕事が嫌いではありませんでした。
ナトール峡谷火災の翌年、ウエストはチェーンソー操作係になりました。チェーンソーを使って山火事の炎の近くの熱い中で木を切り倒し枝や草等を刈り払うのが任務でした。それはホットショット隊の中で最も危険な任務の1つでした。ウエストはもう1人のチェーンソー係とペアを組んでいたのですが、非常に仲良くなりました。2人で組んで何百時間も作業しましたので、お互いの作業のタイミングを合わせることができましたし、息はピッタリでした。彼は言いました、「チェーンソー係の仕事は簡単ではありませんでしたが、とても好きでした。」と。
ウエストは閑散期には季節雇用の連邦職員と同様ですが、のんびり過ごすか大学の講座を受けたりしました。彼は他の山火事の消防たちと一軒家を借りたこともありました。みんなでスノーボードを楽しんだり、一緒に飲んだりしました。2009年の冬はウエストは幼なじみで”smoke jumper(森林消防パラシュート降下隊員)”をしていたルーク・シーヒーと一緒に北カリフォルニアの小さな山間の町で過ごしました。森林消防パラシュート降下隊員は山火事が発生した際にはパラシュートで現場に降下して誰よりも先に作業を開始します。シーヒーとは毎日のように羽目を外しました。2人は日の出前に目を覚まし、何マイルも雪の中をジョギングしたり、地元の高校の体育館でウェイトを持ち上げたりしました。2人で他の友達にいたずらしたりしましたし、旅行にも行きました。ウエストは非常に社交的でしたので、次第に交友関係が拡がっていきました。その後、スーザンビルで教師をしていたキャシー・ダンと知り合い、共に時間を過ごすようになり、後に2人は結婚しました。
山火事の消防士には、感情を表に出したり弱音を吐いたりすべきでないとされています。現在は理学療法士をしているメリッサ・ピーターセン(かつて山火事の消防士をした経験がある)は私に言いました、「山火事に対する恐怖心が芽生えてしまうと、消防士の仕事を全うするのは非常に困難になります。」と。ウエストは精神的に追い詰められ非常に緊張する瞬間を何度も経験しました。彼はなかなか眠りに就くことができず、目を覚ましている時も疲れ果てているように感じていました。彼はナトール峡谷火災のことは決して口にしませんでしたが、あの時の記憶が彼をいまだに苦しめているのです。炎が勢いよく燃え広がる様子や轟音が生々しく頭の中に残って消え去らないのです。山火事が発生する季節が近づくに連れ、ウエストの心の苦しさはだんだん深刻なものになっていきました。そして、どうしても耐えられないと思うようになりました。彼は、もう山火事の現場に戻りたくないと思うようになりました。彼は現場に行けばさまざまな危険があることを認識していました。倒木に押しつぶされるかもしれないし、車やヘリコプターの事故で死ぬ可能性だってあります。しかし、彼が最も恐れていたのは、炎に飲み込まれて焼け死ぬことでした。彼は以前は毎年山火事シーズンが始まる前に、祈りの言葉をつぶやいていました。「今年も山火事の炎にのまれて亡くなる者が出るでしょう。どうかそれは私ではないことを祈ります。そして私の知り合いでないことを祈ります。」
ウエストは間一髪のところで助かるという経験を何度もしました。隊で眠っている時に爆発が有って驚いてトラックに乗って命からがら逃げ延びたこともありました。また、2度ほど倒木に殺されそうになったこともありました。飛行機やヘリコプターに乗って活動中に事故に巻き込まれそうになったこともありました。消防士仲間に死人が出た山火事を4回経験しました。規模の大きな山火事では火災積乱雲が毎回のように出現するようになりました。山火事の消火作業に一旦参加すると、次はいつ家に帰れるか分かりませんでした。1カ月帰れないこともありました。2010年に彼はスーザンビルに居を戻すことにしました。山火事で数週間任務にあたった後、スーザンビルの家に帰ろうとしたのですが、道が分からなくなってしまいました。スーザンビルには高校を出るまでずっと住んでいたのにです。彼はうつ病になってしまったのです。
2013年、ウエストは任務中に肩を脱臼しました。その数日後、彼に電話が掛かってきて、シーヒーが死んだと知らされました。雷の火を消すためにモドック国有林にパラシュートで降下した後、倒木に押しつぶされたのです。ウエストは悲しみに打ちひしがれました。キャシーは言いました、「私は夫(ウエスト)が大きな悲鳴をあげたのを覚えています。それで、彼は話すことが出来なくなりました。私はただ彼を抱きしめるしかできませんでした。」と。シーヒーの葬式の2週間後、アリゾナ州ヤーネル付近で山火事が発生しました。火災積乱雲が発生し、地元のグラナイトマウンテンホットショット隊のメンバー19人が死亡しました(グラナイトマウンテンとは現地の峡谷にある巨大な岩塊です)。ウエストは言いました、「とても悲しかったです。どうしても信じられませんでした。今でもルーク・シーヒーの死で感じたショックは消えていません。」と。
その冬以降、ウエストは気候変動が原因で山火事が激しくなっているという現実を目の当たりにする機会が増えました。その年のクリスマスの頃、彼の所属している隊は真夜中にビッグサー州立公園(カリフォルニア州の海沿いの人口が希薄な地域にある)まで車で急行しました。丘の上に樹冠火が見えました。通常であればその頃は雨の多い時期ですので、発火することも山火事になることもあり得ないのです。ウエストは、雨が降らないことが信じられませんでしたし、その時期に山火事が発生することが信じられませんでした。その2週間後、彼はラッセン国立森林公園の山火事で消火作業に加わりました。数千エーカーが焼失しました。通常であれば、そのあたりはその時期には数フィートの雪が積もっており山火事など起きるはずのないエリアでした。しかし、その時はカラカラに乾ききっていました。ウエストは、天候が予測できなくなりつつあるので山火事の発生を予測するのは不可能だと感じ始めていました。彼は予測も無理だが、山火事を消すのも難しくなりつつあると感じ無力感に襲われました。というのは、山火事をとにかく早期に消すオペレーションを数十年間続けてきたことにより、燃えずに将来の山火事の燃料となるものが沢山残っていることで、一旦山火事が発生すると大規模で激しくなる可能性が高くなってしまっていたのです。そのことで、山火事が発生した場合には鎮火が昔より難しくなっています。ウエストは言いました、「私は山火事をとにかく早く消すというポリシーは間違いだと思います。しかし、それが何十年も続けられてきました。それで現在では山火事は以前より大規模で激しいものになってしまったんです。」と。
2014年の山火事が発生する時期には、ウエストはいくつかの大規模な山火事の消火に携わりました。彼のうつ病の症状は悪化しました。彼は絶えず恐怖心に襲われ、自分の精神は軟弱すぎると思いました。また、不安障害があるのではないかと思いました。自殺したら楽になるのではないかと考えたこともありました。ちなみに、2015年~2016年の2年間で米国では52人の山火事の消防士が自殺しています。消火作業中に亡くなった者(25人)より多いのです。また、ある統計によれば、山火事の消防士の妻で精神疾患を患っている者も少なくないようです。
2017年のある日、ウエストはカリフォルニア州グリーンビルにある隊の事務所にいました。彼はパソコンで動画を見ていました。題名は「山火事の消防士が学んだ教訓」というものでした。この動画では、トーマス・テイラーという男性がナトール峡谷山火事でホットショット隊の隊員として消火にあたった経験を語っていました。テイラーは峡谷の底あたりにはった避難用防火テントに逃げ込んで生き延びた者の1人でした。実はテイラーはその3年前にワシントン州で発生したサーティーマイル山火事の消火活動の際にも避難用防火テントに退避した経験がありました。5人の消防士が1つのテントに逃げ込んだのです。テイラーは他の者が祈ったり叫んだり独り言ちているのを耳にしました。しかし、テイラー以外の4人は亡くなりました。窒息死でした。
動画の中でテイラーはナタール峡谷山火事のことを語りながら涙に咽んでいました。彼は目の前に300フィート(90メートル)の炎の壁が襲って来たと言っていました。恐怖のあまり、彼の頭はフリーズし、過呼吸で苦しくなり、感情のコントロールが出来なくなったそうです。その後何年間も彼は神経衰弱を患った状態でした。炎が襲ってくるのはあっという間で、炎が通り過ぎた後は、避難用防火テント内は沈黙に包まれたということです。
テイラーは自分が患った精神疾患の状況やその治療法(トークセラピーを受けたり抗不安薬を服用した)などを赤裸々に語りました。彼は一般的な消防士と異なり非常に明け透けな人物でした。ウエストは何年間も自分が負ったトラウマのことを考えることを避けてきました。しかし、テイラーの動画を見て、自分も非常に似た経験をしていたので、過去のトラウマが心の中に蘇ってしまいました。それで、ウエストは辛くなってしまい、部屋のドアをロックして中でおめおめと泣きました。