山火事発生件数急増!個々の山火事の規模も年々巨大化している!自然現象?いや、これは人災です! アメリカ

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 テイラーの動画を見た頃には、ウエストは必要な資格を取得して隊長になっていました。山火事が発生する時期には。19人の隊員を率いて現場で消火活動を行いました。彼はともすると部下に過保護になることがありました。部下のチェーンソーやスコップやトーチを奪い取り、自ら危険な作業をすることが度々ありました。彼は言いました、「私は部下の隊員に怪我を負わせたくなかったですし、危険な目に遭わせたくなかったんです。どうしても頭の片隅で、ルーク・ヒーシーのような犠牲者を出したくないと考えてしまっていたんです。」と。彼はフラッシュバック(強いトラウマ体験(心的外傷)を受けた場合に、後になってその記憶が、突然かつ非常に鮮明に思い出される現象)を起こしました。また、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っているようでした。彼は山火事の消防士という職から足を洗おうと考え始めました。

 ブレ・オルカシタスはかつてホットショット隊に属していた経験があり、森林消防パラシュート降下隊員の経験もありました。彼女が私に言ったのですが、近頃では山火事の消防士が大量に退職しているそうです。「大脱走」状態だと言っていました。退職する者の中には、退職理由を長々と率直に書く者もいて、精神疾患を患ったとかフラストレーションがたまるとか給料は低いのにリスクは高いといったことを訴えて辞めていきます。彼女は、ホットショット隊にいる時に同僚の何人かが亡くなりました。理由は事故、自殺、癌でした(消防士は煤煙を吸い込むことがあるので肺癌になるリスクが高いことが判明しています)。彼女は2016年までは森林局に属していて、消防士たちにトラウマへの対処法や知識を教えていました。森林局を辞めた後の1年を費やして、彼女は山火事の消防士に極端状態でトラウマ(心的外傷)を受けた際の対処法を習得させるカリキュラムを構築しました。彼女は各地のホットショット隊等の招きがあれば、米国中を飛び回ってどこへでも行って教育を行っています。

 ジェレミー・ベイリーも以前はホットショット隊の隊員でしたが、他の職に変わった方が良いと思って退職しました。彼は1995年から消防士としての活動を開始し、1997年にサンタフェのホットショット隊に加わりました。彼はしばしばニューメキシコ州のジェメス山脈で作業をしました。専ら予防措置的に草木を燃やす作業をしていました。草木を燃やすことで、将来それらが山火事の際に燃料となることを防ぐわけです。草木が燃えた後の灰は堆肥になりますし、そこにはポンデローサマツやポプラが根付いて育つでしょう。ベイリーは私に言いました、「草木に火を放って燃やして山火事の燃料を少なくする作業は重要であると直ぐに認識しました。」と。毎年、年初には森林局の長官からホットショット隊の隊長あてには年度方針のようなものが書かれた通達が送られていました。ベイリーが記憶している限りでは、毎年同じような内容が記されていたようです。書かれていたのは、隊員への労いの気持ちと大規模な山火事が発生が増えるので、山火事の燃料となるものを減らすべく頑張って欲しいということでした。

 2008年、ベイリーはバージニアに本部がある草の根活動を通じて設立された非営利の環境保護団体である”The Nature Conservancy(以下、ネイチャー・コンサーバンシー)”に加わりました。彼は現在、そこで山火事防止プログラムの責任者をしています。予防的に草木を燃やすことで山火事の燃料となるものを減らし結果としてメガファイヤの発生を減らすというオペレーションの普及を図ってきました。大昔から20世紀以前までは、土着のアメリカインディアンがそのプログラムと同様のことを行っていたのです。適宜草木を燃やして森林を適切に管理していたのです。北米に生えている植物のおよそ80%は燃えやすいものです。ベイリーや他の多くの者が思っているのは、北米の森林や草原が気象変動の影響でかつて無いほど燃えやすい状況になっているので、山火事を予防する目的で草木に火を放つことは必須であるということです。夏に山火事が発生する際に消火する仕事も重要ですが、山火事が発生しない時期に予防的に草木を燃やす作業をすることも重要であるとベイリーは主張しています。彼は2019に記した評論に記しています、「山火事の消防士は2つの業務をバランスよく実施すべきです。1つは、山火事が発生したら手あたり次第に消火するということです。もう1つは、大規模山火事の発生を防ぐために予防的に草木を燃やすことです。」と。

 ネブラスカ州オードでは、Pheasants Forever(永遠のキジ)という名称の非営利環境保護団体と協力して、ネイチャー・コンサーバンシーが2週間に渡って草木を予防的に焼く作業を教えるプラグラムが行われています。そのプログラムに参加するために、FFT2の資格が必須でしたので、私は取得しました。それは、山火事の消防士に関する資格では初級レベルのものです。消防士ならほとんどの人が保持しています。資格取得のためにブルックリンのアパートで約40時間のオンラインコースを受講した後、プロスペクト・パーク(ミネソタ州)で作業能力テストを受けて合格ししました。作業能力テストでは45ポンド(約20キロ)の荷物を担いで3マイル(4.8キロ)を45分未満で走破しなければなりませんでした。それから、オードに向かいました。田舎町で住民は2千人しかいません。ノースループ川沿いの町で、ネブラスカのなだらかな砂丘の端に位置していました。プログラムを受講する者が隊を作って作業するのですが、4エーカーの草木を燃やす計画でした。それで消火の仕方、ハンドラインの引き方、予防的に草木を燃やす方法、全体の進捗管理などが学べるようになっていました。

 私はまず始めに草地の鉢状の窪地の斜面に火を付けることになりました。他の隊員がディーゼル燃料と無鉛ガソリンが入った赤い容器を渡してくれましたので、その中身を少しづつまわりの地面にしたたらせました。そして点灯器を取り出して黄色い草に火をつけました。小さな炎に容器の中身をさらにしたたらせて大きくした後、そこから遠ざかり斜面の真ん中あたりに行きました。再び燃料をしたたらせると、炎が吹きあがりました。私を追うように炎も斜面を登ってきます。風が私のヘルメットの周りに出ていた髪を揺らしました。燃料をしたたらすと地面に焼けた跡が丸く残るのですが、そうした丸い部分は隣の丸い部分と重なるので、その窪地の地面には魚の鱗状の模様が出来ていました。窪地の底に行って見上げてみたところ、鮮やかな青い空が広がっていました。視線を落としていくと、その空と地表の間には炎と煙しか見えませんでした。目に入るもの全てが動いていました。ちょっとだけ目がくらみました。

 その作業をしていると少し道路工事と似ている気がしました。私たちは何時間も作業して、”blacklining”(ブラックライニング:草地に細長い黒い線を引くこと)をしました。草木に火を放ち、燃料を撒いて、ショベルなどの道具やホースを使って炎をコントロールしなました。私たちが進んだ後には、幅約30フィート(9メートル)の波打つ、黒い波線が出来ていました。これは、私たちが焼き払おうとしている領域の縁を示す線でした。まだ早春で肌寒い気候でした。ですので、時々、燃えた後の地面の上に立ってブーツの下から体を温めました。ディーゼル燃料と焼けた草の匂いが合わさって独特の臭気が立ち込めていました。道路工事でもこんな匂いがするような気がします。

 ブラックライニングが完了すると、炎が意図しないエリアに燃え広がる心配が無くなるので、いよいよ大がかりに草木に火を放つことになります。1日に数百エーカーを燃やしました。時々、私と同じ作業、火を放つ作業をする者はATV(全地形対応車)に乗ったりして移動して燃料を撒いて火を付けました。ATVには一度に5人ほど乗れました。また、1人ずつ歩いて斜面を上へ行ったり下へ行ったりして移動して燃料を撒いて点火することもありました。ある日、私は盆地の縁に立っていました。盆地の底には煙が渦巻いていました。炎が低く揺れていました。私は銀の光沢の発火銃を草地に向けました。そしてトリガーを引きました。手にパチンという反動が感じられました。発射音が響き反響する中、発射された焼夷弾が空中で火花を散らしました。その火花があちこちに落ちて、いくつもの炎を立ち上がりました。

 ネブラスカで行われたプログラムで、予防的火災の監督として参加していたジーク・ルンダーは、ウエストと同様に山火事の消防活動によるPTSDに苦しんだことがありました。20年かかりましたが、ルンダーは消火活動中に山火事の発生状況を示す地図を作成するツールを開発しました。その後、2015年に”California’s Valley Fire”( カリフォルニア州のバレー山火事)が発生して、7万6千エーカーを焼き尽くし4人が死亡しました。ルンダーは何週間も働き続け疲弊しました。30時間連続で勤務したこともありました。ルンダーは言いました、「あれほど大きな山火事だと、発生状況を地図化して示すのは不可能でした。」と。その3年後、2018年に”California’s Camp Fire ”(カリフォルニア州のキャンプ山火事)が発生し、15万エーカー以上を焼き尽くし80人以上が亡くなりました。その山火事はルンダーがいたエリアにも到達し、非常に大きなトラウマ(心的外傷)を負いました。ルンダーの友人で大工をしていた者がいたのですが、自殺してしまったのです。その友人は2008年に山火事が発生した後には、そのコミュニティーの復興のために尽力していたのですが、再び焼かれるのを目にしてショックを受けた後で自殺したようです。ルンダー自身もうつ病を発症しました。「私が愛していた街がすっかり無くなってしまったんです。まるでドレスデン(第二次大戦で徹底した爆撃にあい市内は廃墟に帰した)や長崎のようでした。煙が立ち込め、瓦礫の山と死体を探している者以外は何も見えませんでした。」と。ルンダーは現在、予防的火災の普及に取り組んでいます。また、カリフォルニア州ビュート郡の予防的火災協会の会員でもあります。

 予防的火災は、北米では太古から土着のアメリカインディアンによって行われてきたものです。ですので、予防的火災を推奨する者たちは、森林や草地を管理するためには、予防的火災は必要なことであり、伝統でもあるので、実施しても何ら問題は無いと主張しています。エリザベス・アズズ(ユロク族出身で伝統的野焼協議会の書記)は言いました、「アメリカインディアンにとって、火はの生命の泉で、古来から使いこなしてきました。火を上手く使いこなすことで、環境や生態系を守ってきたんです。それはそこに住む者にとっても良いことなのです。」と。

 予防的火災は“good fire”(良い山火事)と称されることもあります。しかし、メガファイアが頻発しているご時世ですから、火を放つイメージがあるので、それに批判的な態度を示す人も少なからずいます。しかし、私がネブラスカでそれを学ぶプログラムに参加した経験から言わせてもらうと、実際にメガファイヤの予防になるし、環境に悪いものでもありません。私は他の隊員たちと見渡す限りの草原を焼き尽くしました。山火事の燃料となるものが何も無くなりましたので、私たちはとても満足した記憶があります。非常に広い範囲が、炎が燃え尽きた後に黒い肥沃な灰で覆われました。オードのプログラムの最終日に、私は昇る太陽に照らされた何千エーカーもの黒い丘に沿った曲がりくねった道をドライブしました。満月が黒く焦げた丘の上に見えました。私には、予防的火災をすることは良いことのように思えました。