月経を妄信的に不浄なものと考える風潮は、時代遅れのものであり、今時そんな考えを持っている者などいないと言いたいところです。しかし、そうした考えを持っている者は依然として多く、クランシーが指摘しているのですが、そうした偏見は時として科学の皮をかぶっていて、厄介なことにもっともらしく見えることがあります。1920 年代には、ある医師が月経血中に花を枯らす物質を発見したと主張していました。その仮想の物質は「メノトキシン(Menotoxins)」と名付けられたのですが、月経中の女性の毛穴や汗や母乳から排出されると考えられていました。この仮説は、1970 年代に入っても真剣に議論され続けました。
メノトキシン説は最終的には否定されたわけですが、世間には未だに月経と有害な物質との間に関連性があるという誤った信念を捨てていない人が少なからずいます。クランシーは、2002 年に行われたある研究について言及しています。この研究では、女性の俳優にたくさんの人(被験者)が見ている前でタンポンかヘア クリップを落とさせて、被験者の反応を調べていました。その結果、性別に関係なく、女性がタンポンを落とした時、被験者は女性俳優に対してはるかに厳しい反応を示しました。同時に、ヘアクリップを落とした時よりも被験者の女性俳優への好感度が低くなり、女性俳優の能力をより低いと見なしていました。また、女性俳優が被験者の前でタンポンを落とした後には被験者の多くが彼女が汚染されているかのように感じていることが判明しましたし、その女性俳優の隣に座ろうと考える者はほとんどいなくなりました。
同様に月経に関して嫌悪感を抱いている者は、科学者の中にも少なからずいます。そのことが、月経の原因に関する広範な研究が行われていない状況に繋がっています。長年にわたって、人間の生理は非適応的(環境・状況・条件などに適応できないこ)であるという仮説が支配的です。哺乳類の中には、性行為が間近に迫った、あるいは性行為が始まった時、もしくは、物理的な刺激や特定のフェロモンが検出された時にのみ卵子を排出する種がいます。それに比べると、 人間の排卵とそれに続く子宮内膜の剥離は、無駄なように思えなくもありません。しかし、月経があることは有用で、それのおかげで母親と胎児にとってより安全な妊娠が促進される可能性があると考える人もいます。クランシーは、そう考えていて、それを示唆する証拠も提示しています。
私たちが考える正常な生理という概念は、医学の教科書の外では存在しないかもしれません。クランシーは、膨大な数の女性について、月経の周期や時期ごとのホルモンレベルを調査したわけですが、いわゆる標準的な周期モデルと一致する者は 1 人もいないことを発見しました。標準的な周期モデルでは、14 日間の卵胞期(follicular phase)と排卵期(ovulation period)の後に14 日間の黄体期(luteal phase)が続きます。一般的には女性のエストロゲン(estrogen)のレベルは月経周期の中ほどで最も高くなる傾向があるのですが、個人差が顕著でした。クランシーが膨大な数の女性を調べたところ、エストロゲンのレベルが2回高くなる者も散見されました。また、月経周期の中ほどよりも黄体期にエストロゲンのレベルが高くなる者も散見されました。クランシーが記しているのですが、かなりの数の女性にとって、月経周期に関して世間で一般的に通用している常識が当てはまらないようでした。
子宮の働きや月経の仕組みの解明が不十分であることは、生殖医療の研究に深刻な影響を及ぼしている可能性があります。さまざまな婦人科疾患に苦しむ人々の治療の選択肢が限られていることによって、子宮の摘出(removal of the wom)という極端に負担の大きい不可逆的な医療処置が広くおこなわれているようです。アメリカでは、子宮摘出術(Hysterectomies )が女性に行われている手術で2番目に多いものとなっています。ちなみに、最も多い手術は帝王切開(Cesarean section)です。女性の3分の1は、65歳までに子宮を摘出されています。この手術では、多くの場合、子宮筋腫(fibroids:子宮の壁にできる良性のしこり)を除去します。子宮筋腫は、貧血や痛みなど様々な症状の原因となるわけですが、女性にとってそれほど珍しいものではなく、女性で死ぬまで全くそれに悩まされない者の割合は20〜30%のみです。しかし、そのことは、ほとんど理解されていません。2001年には、オハイオ州選出の下院議員ステファニー・タブス・ジョーンズ(Stephanie Tubbs Jones)が子宮筋腫の研究に資金を提供するための法案を提出しましたが、下院を通過させることはできませんでした。その後、その法案を修正したステファニー・タブス・ジョーンズ子宮筋腫研究教育法案も下院で否決されました。
多くの主要な妊娠合併症(pregnancy complications)は、つまり、流産(miscarriage)、子癇前症(preeclampsia)、子宮内胎児発育不全(intrauterine growth restriction)、死産(stillbirth)などですが、実は関連する研究がそれほど多く行われていないのです。ハザードは、当時のことをケンブリッジ大学の研究者であったマルガリータ・ヤヨイ・ タルコ(Margherita Yayoi Turco) 博士にインタビューしていました。タルコ博士は「オルガノイド(organoid:試験管内など生体外(in vitro)で、3次元(3D)的につくられた臓器)」の研究者でした。特に、人工的に小さな胎盤組織を作り出すことに集中的に取り組んでいました。適切な条件下で試験管の中に小さな胎盤を作り出し、それを使ってさまざまな薬剤やホルモンへの反応を分析していました。無事に出産させるためには胎盤の発育が非常に重要であるにもかかわらず、彼女の研究が資金助成を受けることは容易ではありませんでした。「私がこの分野の研究をし始めた時、資金を獲得するのが難しいことは本当に明白でした。」と、彼女はハザードに話します。「胎盤の研究と言うと、ほとんどの場合、『そんなの研究している人がいるんですか?』とか『それって捨てるものですよね!』と言われるだけでした。」
精子(sperm)は、受精することを期待して待っている卵子に向かって競争するオリンピックの水泳選手にたとえられることがあります。そのような概念は幻想のようなものですが、昔から世間に広まっているもので、現在でも根強いものです。クランシーとハザードは、その概念では構図が簡略化されすぎていると指摘しています。正確には、精子は卵管内を自力で泳いでいるのではなく、子宮の動きによって引き込まれているのです。クランシーが語るところによれば、子宮の特殊な筋肉が収縮して精子の前進を助け、スピードもコントロールしているのだそうです。そうした助けが無かったら精子は卵子までたどり着けないのです。ハザードは子宮は筋肉質で力強いと強調していました。「子宮は筋肉の塊のようなものです。」と、彼女は書いています。「サイズだけでなく、力強さの点でも、子宮はこぶしと非常に似ています。」
ハザードとクランシーは、多くの人がこの素晴らしい筋肉(子宮のこと)をもっと深く理解できるようになることを望んでいます。クランシーが指摘するように、子宮の内部では、毎月毎月組織を修復するプロセスが行われています。その際、傷んだ組織が少しも内部には残りません。子宮に備わっているそうした再生のメカニズムは残念ながらまだよく分かっていないわけですが、さまざまな慢性創傷(chronic wound)の治療に役立つ可能性があります。とある最近の研究で、月経血に特殊な治癒力(healing properties)がある可能性があることが示されています。月経血から抽出した血漿(plasma)を皮膚の傷に塗ると、傷の修復プロセスの改善が見られました。生理に対して嫌悪感を持つのではなく、畏敬の念を抱くべきです。♦
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