2.アメリカでは1970年以降、労働時間が減っていない。
1820~30年代、フランスの数学者ガスパール-ギュスターヴ・ド・コリオリスは、ビリヤードの球が他の球に当たった時に生じる効果の研究をしていました。その効果のことを「travail(トラベイル)」と表現していました。すぐにその単語に対する英語での訳語として”work(仕事)”が当てられました。その語は、たとえば、蒸気による圧力を機械を動かす動きに変換する際に、蒸気機関がしていることを示すために使われました。工業化が進展した19世紀終わりまでに、”work”という語は、一般的に使われるようになり、人々が自らのニーズを満たすために必要な労働に費やす時間と努力を意味するようになりました。その後、男性が家族を養うための給与を得るために費やす努力を意味するようになりました。その新たな定義では仕事は男性だけがするものでした。その前提として、女性が家庭で行っていた無給の作業はwork(仕事)ではないという当時の認識が根底にありました。
コイサン族の研究をしている南アフリカの人類学者ジェームズ・スズマンは自身の著書の中で「仕事」の経済的定義に異議を唱えています。ある文化で「仕事」とされているものが、別の文化では趣味となることがあります。ある人の必需品が、別の人にとっては贅沢品であるのと同じことです。ですので、スズマンは、「仕事」とは「目標とか目的を達成するために意図的に費やす努力」と定義すべきだと言います。この定義であれば、非常に普遍的です。彼は、その定義の中で重要なのは「意図的」という語が入っていることだと言います。「意図的」に行動するということは目的と結果を認識しているということを意味します。彼は、それを認識する力がホモサピエンスと他の霊長類では大きく違うと言います。その違いによって、食料の調達に関して大きな差が発生します。この研究は、古くからありますが、現在でも続けられています。ゴリラは週に50時間以上、食べ物をとって食べることに費やしています。狩猟採集民は、意図的に行動しますが、通常、狩猟採集に費やす時間は週に15~17時間のみです。他のことをするために十分な時間を確保しています。「ハッツァ族の男性は、狩り自体を楽しんでいます。食うために必要で狩りしているわけではないのです。」と、人類学者マーシャル・サーリンズは言います。彼は、アフリカの狩猟採集民の生活は、非常にゆとりがあると言います。
人間が他の霊長類よりも仕事に費やす時間を少なくすることが可能であるなら、なぜ今、多くの人々がゴリラのように長時間働いているのでしょうか?それは、農業と関係があると言うのが、人類学的かつ歴史的な視点で分析したスズマンの答えです。「人類の歴史の中の95%の期間において、仕事は現在と異なって神聖で重要なものではなかったのです。産業革命以前は、一生懸命働いて、新しい技術、道具、作物を導入し、新しい土地を開拓して農民が生産性を向上させて収穫が増えると、人口も増えるので、すぐにまた食料が足りなくなってしまいました。」と、彼は言います。農民が一生懸命働くと、さらに必死に働かなければなりませんでした。
人類の歴史の大部分では、土を耕してきたのは非常に多くの農奴や奴隷でした。疫病や干ばつなどの悲惨な出来事にもかかわらず、彼らは長時間働かされました。それによって、収穫が増え、地主の生活は良くなりました。仕事にもっと時間を費やすことが徳であるという概念を生み出したのは、自分の土地を所有し、勤勉さが重要であると認識した小自作農たちです。その後、工場労働者が現れました。カール・マルクスが指摘したとおり、工場労働者は一生懸命働きましたが、自ら作った製品を手にすることはありませんでした。また、グレン・アダムソンは、著書「Craft:An American History(本邦未発売)」(ブルームズベリー社刊)に記していますが、産業革命以降、アメリカでは何でも自分でつくるという風習が廃れてしまいました。1785年にノア・ウェブスターが記していますが、アメリカの男性は手先が器用で何でも自分で作っていました。女性も同様でした。建国の頃には、アメリカの各家庭は、いろんなものを作って市場で売っていました。アメリカ人は自分たちの服、家、家具を作りました。寝具やパンやビールも作りました。音楽も作りました。全てを自分1人で作ることが出来る人はいませんでしたが、誰もが何かを作っていました。それで、いろんなものの交易が広がり、物々交換され、売買されていました。
ラルフ・ワルド・エマーソンは、友人のヘンリー・デイヴィッド・ソローがウォルデン池に小屋を建て始める数年前にあたる1837年に、「家の壁の板を割ることなく釘を打つ方法を知っていることは、非常に重要だ。」と言いました。ホイットマンを始めとして、19世紀のアメリカ人作家は、ものを作ることの喜びを知っていました。そういった喜びを示す詩歌を沢山残しています。
エマーソンとソローとホイットマンが活躍していた数十年の間には、沢山の工場が出来て、家庭でものを作る風習は廃れました。職人もいなくなりました。工場は分業体制で、ものを作る工程は数十もの細かい作業に分解され、それぞれの作業毎に人や機械が割り当てられました。靴屋で靴職人がしていた仕事は、工場で誰かが機械を使ってする形に変わりました。
その後、職人も工場労働者も、より少ない労働時間でより良い賃金を得るために闘争するようになりました。しかし、彼らが政府を突き動かして引き出せた恩恵は、些細なものでしかありませんでした。1819年、イギリスでは、紡績工場で9歳未満の児童の雇用を禁止する法案が国会で可決され、1833年には、13~18歳までの児童の1日の労働時間を12時間以内とする法案も制定されました。
結局、19世紀中頃になって、ようやく経済的な恩恵の一部が労働者にも届くようになりました。恩恵の1つは、物価が非常に安くなったということです。工場労働者は、旧来より明確となった階級ごとに分断され、より疎外感を感じるようになりました。自分の仕事に意義を感じられないと感じることが増えました。対照的ですが、職人は自分の仕事により意義を見いだせるようになりましたが、性差別的で人種差別的な考え方が抜けませんでした。アメリカで本当の意味で職人と言えたのはインディアンだけであると、グスタフ・スティックリー(長年アメリカにおける職人仕事の研究をしている)は主張します。スズマンは、工業化の結果として疎外感を感じるような状況になり、それは現在も続いていると言います。彼は言いました、「エネルギー効率が大きく向上し、WEBを活用した新たなテクノロジーが次々に生み出され、都市が拡大し続け、常にそこかしこで変化が起こり続けるので、人々の疎外感はますます強くなっています。現代は誰もが疎外感を感じながら生きなければなりません。」と。
疎外感以外にも問題がありました。貧困です。アメリカとイギリスでは、労働運動が盛んになり、大きな恩恵がもたらされたことがありました。1877年、アメリカ全土で鉄道労働者がストライキを行いました。1882年、ニューヨークで、アメリカで初となるレイバーデーのパレードが開催されました。「科学的管理」や「効率」といった言葉が叫ばれていた時代で、労働運動では時短要求が為されました。1910~20年代には時短が実現しました。当時、ヘンリー・フォードが、生産性の向上と離職率が低下したことの見返りとして、週5日勤務、8時間労働を実現しました。アメリカでもイギリスでも、週の平均労働時間は、1880年には約60時間でしたが、1930年には50時間以下になりました。当時、ジョン・メイナード・ケインズは、100年後の労働者の頭を一番悩ませるのは余暇をどうすごすか考えることだろうと予測していました。週に15時間しか働かなくなるので、時間が有り余り、誰もが退屈に苦しむと推測していたのです。ケインズは記しています、「時間があり余るような時代が来ることを、実は誰も望んでいないのです。特別な才能が無い普通の人たちはそんな状態を恐れています。あり余った時間をどう使って良いか分かっていないのですから。」と。
徐々に観光業とかレジャー産業が発達していきました。消費財は大量生産される時代となり、工芸品は贅沢品になりました。多くの収集家が、民芸品、手仕事で鍛造した道具、手縫いのガウンなどの蒐集をするようになりました。コロニアル様式が再び好まれるようになり、多くの実業家が博物館を建設して、蒐集物を展示して、職人による見事な作品の保存に努めました。1930年代のニューヨークのモダンアート美術館では、1750~1900年までのアメリカで職人により作られた伝統工芸品を展示する企画がありました。ジョン・D・ロックフェラーは、バージニア州ウィリアムズバーグにコロニアル様式の工芸品を展示する博物館の設立に資金を提供しました。ヘンリー・フォードはミシガン州ディアボーンに同じような博物館を作りました。馬車をあっという間に時代遅れなものにした自動車王フォードが、時代遅れになってしまったものを収蔵する博物館を作ったのは何とも皮肉なことでした。フォードが作った博物館の収蔵物は他に比類する物が無いレベルです。アメリカ建国当時に作られた糸車やダッチオーブンなどが展示され、当時の暮らしぶりをしのぶことが出来ます。
DIYの流行は、1950年代に始まりました。郊外では、特に戦後に出来たような新しい所では、白人の中流階級の男たちは趣味で作業場を作って、仕事を終えて帰宅した後などに日曜大工を楽しみました。多くのアメリカ人男性は、かつてソローが池のほとりに小屋を建てたようなことをしてみたいと思っています。引退したら、地下室やガレージに自分の作業場を作って入り浸りたいと思っています。著名評論家C.ライト・ミルズは、労働者の疎外感と退屈の研究で有名ですが、作業場を作って電動工具を沢山買いました。対照的ですが、評論家テオドール・アドルノは、無趣味であるのが自慢で、趣味を楽しむことが重要であるという風潮には辟易としています。
ケインズは、労働時間が減り趣味の時間が増えると予測していました。今のところ、そうはなっていません。労働者の一週間の平均労働時間は1930年から1970年の間は減少しました。しかし、それ以降は、あまり減っていません。依然として長時間働いている人が少なくありません。どうして労働時間が減らないのでしょうか?どうして、マリア・フェルナンデスは死ななければならなかったんでしょうか?