アメリカ なぜ報道機関は信頼を失ったのか?1976年の信頼度74%が2017年には34%まで下落!

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 そうした状況は現在も変わっていません。客観性こそがもっと必要だと言われています。しかし、多くの人々が求めているのはそんなことではないのです。求めているのは自分の主義や主張に対する擁護であり支持です。シュッドソンが述べた信念と懐疑のバランスは崩れてしまったのです。今では、誰もが何らかの主義や主張を持っていることが理解されています。ファウチ博士(Dr. Fauci)でさえも主義や主張を持っています。科学についてのみ話をしているファウチ博士でさえも例外ではないのです。

 最高裁判所は完全に行政府から独立しており、非政治的に法の支配を貫徹することが望ましいと考えられています。しかし、実際に多くのアメリカ人が望んでいるのは、裁判所が私たちの思い通りになることなのです。結局、事実が何であるかなんてことは、誰も気にしていません。というのは、常により多くの事実があるからです。事実を勝手に作って捏造することは許されませんが、事実を別の側面から見てみることは問題ではありません。多くのアメリカ人が望むのは、敵がオレンジ色のジャンプスーツ(訳者注:囚人服のこと)を着ている姿です。民主党支持者であればスティーブ・バノン(Steve Bannon)が、共和党支持者であればハンター・バイデン(Hunter Biden)がオレンジ色の服を着る姿を見たいのです。 アメリカ人のほとんどが、勝者と敗者を求めています。そのため、現在、政治的な争いの多くが法廷で繰り広げられているのです。

 マーガレット・サリヴァン(Margaret Sullivan)は、回顧録でありマニュフェストでもある”Newsroom Confidential: Lessons (and Worries) from an Ink-Stained Life”の中で、客観性は今日では不可能であるだけでなく、無意味であるので、報道機関はそれを目指して努力するのを止めるべきだと主張しています。2020年と2021年の出来事は、報道機関の価値観が間違った場所にあることを示しています。「極右には、何でも言うことを聞く強固なお抱えの各種報道機関がいました。一方、極右以外については、主流の報道機関が存在していていろんな報道をしてくれるわけですが、それらは良い仕事ができない、あるいはしようとしないことが少なくありませんでした。あまりにも多くの報道機関が、アメリカの民主主義における自らの重要な役割を理解できていないようでした。」と彼女は記しています。

 サリヴァンは、優れたキャリアを持っています。彼女は、自分が育った町の地元紙であるバッファロー・ニュース(Buffalo News)で初の女性編集者となり、タイムズ(Times)では初の女性パブリック・エディター(public editor)となりました。同紙のパブリックエディター職は、現在は廃止されている役職ですが、適切なジャーナリズム倫理の実施を監督する責任を負っていました。また、トランプが大統領選に勝利した2016年から引退する2022年まで、ワシントン・ポスト紙のメディア・コラムニストを務めました。ジャーナリズムが彼女の天職です。

 彼女は、一般的なジャーナリズムの慣行(たとえば、匿名の情報源の利用など)の多くについて不満を述べていますが、彼女が最も懸念しているのは、まさに客観性(objectivity)の基準です。彼女は、これが両側主義(both-sides-ism)につながると考えています。両側主義とは、CBSがシカゴのデイリー市長に対して行ったように、論争の各当事者を平等に報道することにこだわることです。

 彼女が記していたのですが、伝統のある報道機関は客観性と公正さを担保するという大義名分に縛られて誤った行為をしているようです。その大義名分のために、選挙否定論者の見解と意見さえも正当なニュースソースとして扱うのはいかがなものかと思います。その見解や意見に敬意を払ってニュース報道に反映させなければならないと考える必要は無いと思われます。そして、これは主要報道メディアが国政について報道する際に常に当てはまることでした。サリヴァンは記しています、「多くの記者が、ほとんど病的と言えるレベルで、異常な主張を正常なものとして報道していましたし、当たり前の何でも無いことをセンセーショナルに報道していました。」と。

 その一例が、クリントンの電子メールの件です。2016年の大統領選期間中のわずか11日前に、FBI長官のジェームズ・コミー(James Comey)が、クリントンが国務長官(Secretary of State)時代に書いた電子メールの一部が、失脚した元ニューヨーク市長選候補のアンソニー・ウィーナー(Anthony Wiener)のノートパソコンから見つかったと発表すると、タイムズ紙は過剰気味に騒ぎ立てました。タイムズ紙は、その発表からの6日間で、クリントンの電子メールについての記事をたくさん掲載しました。その記事の数は、選挙までの69日間に掲載されたクリントンの政策課題についての記事の数と同じでした。この報道姿勢が他の主流報道機関にもいくぶん影響を与えたので、他の報道機関もこの件をこぞって取り上げるようになりました。

 前任者のコリン・パウエル(Colin Powell)もプライベートサーバーを使って公務を行っていました。クリントンは同じことをしただけです。不穏当な行動だったかもしれませんが、それほど重大な犯罪を犯したわけではありません。何でも無いようなことを非難して騒ぎ立てるのは、トランプ陣営の定番的な戦法でした。トランプ陣営は、アサンジ(Assange)が民主党全国委員会のサーバーをハッキングして入手した電子メールを公開することも歓迎していました。クリントンの電子メールの話は、1人のハッカーと1人の大嘘つきが作り上げたものに、マスコミが乗っかって拡散したものだと言えます。

 なぜタイムズ紙はクリントンのメールの件を過剰に取り上げたのでしょうか?サリヴァンは、タイムズ紙はバランスを重視していたのだと推測しているようです。タイムズ紙はクリントンを支持しているように見られたくなかったのだと思われます。サリヴァンが言うには、当時のタイムズ紙が主張したかったのは、クリントンが大統領選では間違いなく勝つだろう、電子メールの件が報じられても間違いなく勝利するだろうということでした。同時に、読者には彼女が大統領就任宣誓をする時に、彼女には欠点もあることも思い出して欲しいと考えていました。要するにタイムズ紙は、クリントンが大統領になっても批判の手を緩めませんよという姿勢を示したかったのです。おそらく、CIAのコミー長官も同じような動機で動いていたと思われます。

 報道機関は中立ではなくどちらかの側に立つべきであるべきであるという主張をしていたサリヴァンは、トランプ政権時にワシントン・ポスト紙の編集長を務めていたマーティン・バロン(Martin Baron)と対立することとなりました。彼女は、彼が彼女に送った電子メールを公開していました。そこには「タイムズ紙は必要な厳密さと徹底性を持って報道すべきである。当紙は確かな客観性を持って報道をしていることで知られています。自分たちが何を知り、何を知らないのかを、直接、率直に、淡々と人々に伝えるべきなのです。それは、他の多くの職業の人たちが正しく仕事をしていることと同じなのです。100年以上前にリップマンが著書”Public Opinion”(世論)の中でジャーナリズムは客観性という概念を重視すべきであると主張していました。それを重視すべきであることは今も変わらないのです。」と記されていました。

 サリヴァンの立場は、合衆国憲法修正第 1条の理論的根拠を重視するものです。民主主義を守るために報道の自由があります。民主主義が脅かされる時、記者、編集者、出版者ら報道関係者は議論をして主張をするべきです。彼らは民主主義を支持する主張をすべきです。サリヴァンは、勝者と敗者は誰かということを問うことを止め、誰が民主主義に貢献し、誰がそれを損なっているかを問うべきであると言います。ポスト紙は、勝敗当てゲームに参加していて、利害関係者になっています。

 冷戦時代の報道機関も、自分たちが真剣に議論し主張をしなければならないと認識していました。しかし、今では世界中が知ることとなっていますが、シカゴ事件の際に多くの報道関係者は、それが国のためになると考えたからなのかもしれませんが、当時の政府の行動を隠し立てするようなことをしてしまいました。また、恥ずべきことなのですが、当時の報道関係者の中にはジャーナリストとしてではなく、スパイや情報提供者として行動する者さえ少なからずいたのです。

 報道機関には力があります。学者や科学研究者や最高裁判事などが持っている力と同じです。それは武力に裏打ちされたものではありません。信念に基づくものです。つまり、これらの人々は、恐怖や興味に関係無く真実を追求することに専念する集団であるという信念に基づくものです。もしも、そうした信念にもとる行動を取るようになると、報道機関は利益や地位が動機で活動しているだけであると受け取られるようになってしまうでしょう。これは既に起こったことで、現在、多くの人がそう考えているでしょう。♦

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