Why Even Try if You Have A.I.?
AI があるのになぜ試す必要があるのか?
Now that machines can think for us, we have to choose whether to be the passengers or pilots of our lives.
AI が私たちに代わって考えることができるようになった今、私たちは人生の乗客になるかパイロットになるかを選択しなければならない。
By Joshua Rothman April 29, 2025
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数年前、妻が当時 4 歳だった息子に、とてもかっこいいおもちゃの木製のランプ( ramp )セットを買った。それはパーツを繋げて坂道( ramp )を作ってボールを転がす積み木セットのようなものである。家の中の家具と組み合わせて、小さなボールが走れるコースを作ることができた。最初のコースを作るのは簡単だったが、私の野望はどんどん大きくなっていった。それに伴って難易度は上がっていった。ボールが角を曲がれるようにできるだろうか?ボールが少しの間だけ坂を上るのに十分な勢いをつけられるだろうか?オットマンで坂道を支えられるだろうか?ピアノ用の椅子を使うのは可能だろうか?バリエーションは無限に思えた。その後 2 年間、月に 2、3 回、私はテクニックを微調整したり、複雑なルートに新しい要素を取り入れたりした。息子がこうしたことに飽きた今年の初めには、私は坂道のエキスパートになった。古いぬいぐるみ、ちりとり、奇妙な形の段ボール箱など、ありとあらゆるものを駆使して坂道の未発見の可能性を見出すことができるようになっていた。
坂道をこんなに楽しむとは思っていなかった。しかし、坂道は特別な体験への入口となった。試行錯誤を繰り返し、たくさん失敗し、いろいろと修正し、そして再び試行するという、探求的なループが出来上がった。特別な種類の努力を要する地味な反復作業である。思えば、人は誰しも人生の多くの場面で、タスクを最適化または完璧にするために、同じことを繰り返している。かつて、私は社内イベントでゴーカートでレース用コースを 50 周するレースに参加した。徐々にレーシングラインを改良してタイムを短縮していった。週に数回、私の息子は妹の朝食用にチーズオムレツを作る。毎回、彼はより完璧な円筒形を作ろうと奮闘している。理想に近づくための粘り強い探求を続ける。反復的な活動を繰り返している。
しかし、反復的な活動には別の種類もある。反復のループと変化を組み合わせることで、探求と発見を可能にする活動である。これによって、私たちのアプローチは制限なく変化するし、時間の経過とともに内なる資源の質が高まっていく。毎週シチューを作る場合、毎回決まったレシピに従う必要はない。材料を際限なく調整することで、料理人としての直感が磨かれる。頭の中のレシピブックにページが追加される。1 つの曲を繰り返し何度も練習すると、演奏を変えながら、構成や感情の新たなニュアンスを呼び起こすことができる。風景画を描いてから何度も描くと、光の変化が新たな美的構図を生み出し、自然の側面がより明らかになるのを観察できる。これらすべての場合において、反復は単一の精神的な終着点につながるわけではない。むしろ、それは成長する意識を反映するもので、可能性の拡大に貢献する。
このような活動に従事するには、実用的な理由がある。シチュー、演奏、風景画の中には、想像もしなかったような超越的なものもあるかもしれない。また、成功への道は様々であることを、一つ一つ繰り返し学ぶことも啓発的である。長年にわたって、たくさんの美味しいベジタリアンシチューを作った後には、キッチンにあるものは何でも活用できるようになる。豆、トマト、妻がファーマーズマーケットで買った変わった野菜などを、ベジタリアンの友人のために美味しい食事に変える準備が整う。エンジニアが「デザイン・スペース( design space:品質を保証できる入力変数と工程パラメーターの組み合わせ領域)」と呼ぶものをマッピングしたことになり、つまりあなたの努力に内在する勝利の可能性の集合が増えることになる。これは、大まかに言えば、進化的な働き方であると言える。自然淘汰による進化において、生物の新しい世代はそれぞれ、前の世代とほぼ同じであるが、わずかに微妙な変化があり、それが環境が変化した時に価値あるものになる可能性がある。環境は常に変化しているため、どの種も完璧を達成することはできない。むしろ、生存を保証されているのは変化なのである。
個々人の人生にも、同じようなことが当てはまる。私たちは、人間として進化したいという思いから、何度も挑戦することで成長を促す活動に惹かれる。人生は大部分が反復的である。起きる、食べる、働く、寝るの繰り返しである。そして、その毎日の繰り返しに納得できないと感じることもあるかもしれない。しかし、変化のある反復は私たちを成長させる。円環的な繰り返しの日々が螺旋状の上昇に変わるのである。「螺旋は精神化された円である」とウラジーミル・ナボコフ( Vladimir Nabokov )は、” Speak, Memory ” (邦題:「記憶よ、語れ」)の中に書いている。「螺旋の形状によって、円は解かれ、悪意を失い、解放される」。名も無い人々のこうした生き方こそが、ただ形ばかりを装っているのではなく、本当に人生を生きていると感じさせてくれるものの 1 つなのである。