AI時代に「あえて自分で考える」価値とは?人生の主導権を握るパイロットになる方法

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 人は誰しも自分で物事を試すことに慣れすぎている。それをやめるなんて想像もできないほどである。しかし、人工知能が何度も何度も試す負担から人類を解放してくれることが、ますます明らかになりつつある。AI システムのおかげで、既存のものを学習し新しいことを繰り返し( iteration )させることが極めて容易になった。この技術はまだ発展途上にあるが、すでに AI は冷蔵庫の中にあるものの写真に基づいて個別にレシピを考えることができる。作詞作曲 AI は新曲のバージョンを次々と生成できる。画像作成 AI は画像を際限なく微調整できる。AI を活用して自動的に様々な代替物を探すことができるようになったが、それは人間が作った有機的なものの良い代替となるのだろうか?このようなバリエーションの作成は、人間の創造性と同じものなのだろうか?これらは重要な問いである。なぜなら、AI が強力になるにつれ、私たちは事前に諦めて AI に物事を解決させたいという誘惑にますます駆られるようになるからである。

 AI の導入速度は人それぞれで、今のところこの誘惑を受け入れて実践した者はそれほど多くない。とはいえ、間違いなくそれは忍び寄りつつある。つい先日、地元の書店のオーナーが週刊ニュースレターに、店の前の木が町によって伐採されたことについて書いた。町は新しい木を植えると約束していたが、まだ植えていなかった。彼女は町の監督官に苦情を申し立てる手紙を書くべきだと考えていた。私の妻はニュースレターの関連部分を取り出し、アントロピック( Anthropic )社が提供する AI システムであるクロード( Claude )に貼り付け、市へのメールとして書き直すように依頼した。ちょっと違うと感じたので、再度メール文案を書き直させてから、それを送信した。市からは迅速かつ丁寧な返信が届いた。植樹プロジェクトはすぐに再開されると記されていた。そして実際に再開された。AI のおかげで、メール文案の検討、そして書き直しというかなりの精神的労力を割かれる作業が不要になった。AI は間違いなく有益な効果をもたらした。

 数週間後、私たちが休暇で旅行に行くはずだった前日に、息子が体調を崩した。私は彼がノロウイルス( norovirus )に感染しているのではないかと疑った。もしそうなら、胃腸炎の数倍の辛さである。私はフライトを延期し、家族を襲った非常に伝染性の高い疾病の経過について AI に尋ねた。オープン AI ( OpenAI )の最新モデルである OpenAI o3 である。一部の研究者から人間のようなレベルの認知能力である汎用人工知能( AGI )を体現していると評価されている。当時のことを私は精力的にとしか言いようのない熱意を込めて説明したい。o3 が警告したのは、私の幼い娘は自分の吐き気について親に知らせないだろうということである。「彼女は幸せそうによちよち歩いているかもしれないが、突然…ゲボっと吐く可能性がある」。たしかにそれは想像可能なことであった。私はすでに AI が知識検索に優れていることを知っていた。その AI は私に代わって危機に備えることを提案した。「もしよろしければ、彼女も病気になった場合に 2 人の子供の対処法に関して助言することができる。例えば、実際に殺菌効果のある洗剤はどれか、家の中のどの部分がひそかに細菌だらけになっているのか。ドアノブや電灯のスイッチなどは危険である」と書かれていた。「あるいは、可能性として『親の疫病対策』も必要になる。ジョシュ、君にはバックアップが必要かもしれない。私がいつでもサポートするつもりである」。言うまでもなく、過去に幾度となく私は AI の助けを借りずに多くの家族の病気を乗り越えてきた。それらの経験によって、私は自分が有能で自信を持った親になれていると認識していた。AI とやり取りする中でその自信が揺らぐ気がした。私は自分のアプローチを変えるべきかどうか迷った。

 考えるには努力が必要である。2024 年の論文がある。” The Unpleasantness of Thinking: A Meta-Analytic Review of the Association Between Mental Effort and Negative Affect, “(思考の不快感:精神的努力と否定的な感情の関連性に関するメタ分析レビュー)という題がついている。3 人の心理学者が 29 カ国で実施された 170 の研究をレビューした。ほぼすべての人にとって「精神的努力は本質的に嫌悪的である」、つまり楽しくないと結論付けている。さらに、精神的努力をやり直すのはさらに楽しくないと結論付けている。メールを書いたり、アプリをコーディングしたりした後、最後にやりたいことといえば、それを書き直したり再コーディングしたりすることではない。人間とは対照的であるが、AI は認知的不快感を感じることはない。いや、あらゆるものに対して不快感を感じないだろう。作業を別の方法でやり直すように指示すれば、AI は即座に従う。何度も従う。疲れを見せることもない。AI に何かを一度だけ実行するように指示することは、無駄とさえ考えられる。もしそうするなら、あなたは機関車が乗客と手荷物をいかに効率的に運ぶことができるかに感銘を受けたビクトリア朝時代の旅行者と同じである。機関車が何トンもの石炭や鉄鋼も運ぶことができるという事実を見落としている。AI は膨大な認知的作業をこなすことができる。だから、AI にはたった 1 つのレシピを求めるのではなく、10 個のレシピを求めるべきである。AI に頼れば、試行錯誤、失敗、修正、判断、やり直しという人間にとって苦痛なサイクル全体を、より単純な方法、つまり山積みのタスクの中から最も適切な結果を選び出す形に置き換えることができるのである。

 物理的な領域では、怠惰には代償があることがよく知られている。どこへ行くにも車で行き、一度も歩かなかったり、スポーツをする代わりにテレビ番組を一気見したり、ハイキングに行く代わりにビデオゲームに夢中になったりする人は、無気力になり、体力も低下し、身体の柔軟性も失われる。丘の頂上まで大股で歩く気力もなくなり、階段でつまずいた時に手すりをつかむのも難しくなる。私たちはこうしたことをすべて承知の上で行動しているが、それでも怠惰になりがちである。なぜなら、身体活動を控えることを促すテクノロジーが実に多くのメリットを現実に提供しているからである。認知の領域でも、AI に頼りすぎることは同様に諸刃の剣である。AI によって自分で考えるという不快な作業を省くことができる。しかも、そのテクノロジーは、繰り返しの電子メールの作成や新薬の発見を自動化するのにも役立つ。かつては何時間もかかっていた作業が数分で完了し、問題を即座に分析したり、わかりにくい話題を会話を通じて気軽に話せるようにしたりできるのである。これらの機会を活用しすぎると、自らの力で精神的な困難を乗り越える意欲が減退すると推測する。

 スポーツジムに通うことは、AI 時代における精神的な鍛錬の仕方に関する示唆を与える。おそらく私たちは、自分自身で考えることを、選択的に半ばレクリエーション的な自己啓発の形、つまり心を強くしたいという理由で選択するものと見なすようになるだろう。しかし、ジム通いには長所と短所がある。一部の人、特に熱心な人にとっては、ジム通いは究極のフィットネスを得るための入口となる可能性がある。しかし、ジム通いは週末だけ燃えるマッチョマンを生み出すこともある。彼らは筋肉自慢の男たちだが、ベンチプレスに精を出すが基本ができていない。直ぐに身体のどこかに故障が出る。同様に知的な資質を鍛錬して高めることは、簡単ではないのである。いいかげんに取り組めば、バランスが崩れて不具合が出る。おそらく、誰しもが精神的に不快なタスク(例えば、病気になったときに家族の旅行計画を調整する方法を学ぶこと)を知らず知らずのうちにこなしている。それは、実は誰もが見落としがちであるが、多くのメリットをもたらす。忍耐力が養成され、フラストレーション抑制能力が高まり、細心の注意力を持つようになり、楽観主義と悲観主義の調整ができるようになる。

 フィジカルオートメ-ション( physical automatio:機械や技術を応用して物理的な環境におけるタスクやプロセスを人間の介入なしに実行または軽減する技術)によって生じるパラドックスの 1 つは、人間の身体の動作は非常に効率的であると同時に、生身の身体は壊れやすいということである。たとえ体調が悪くても、人間は車で何百ポンドもの荷物を簡単に運ぶことができる。同様に、AI が多くの研究者の脳と同じくらい効果的であれば、AI をうまく活用する者は、知的作業をすることなく、効果的な知的成果物を生み出せる。例えば論文( reports )を書いたり、実験( experiments )をしたり、ビジネス構想( business strategies )を練るようになる。そのような未来においては、私たちはどのように自分の精神的な活力を測定するべきなのであろうか?フィットネスに真剣に取り組んでいる人は、心拍数モニターを装着したり、マラソンのタイムを縮めようとしたり、弱点を明らかにするために新しいことに挑戦したりと、さまざまな方法でパフォーマンス向上を目指す。私たちは、こうした精神的な関与のレベルを精査することに慣れていない。私たちは、それを始める必要があるのかもしれない。