All the Carcinogens We Cannot See
発癌物質については未解明な点が多い
We routinely test for chemicals that cause mutations. What about the dark matter of carcinogens—substances that don’t create cancer cells but rouse them from their slumber?
突然変異を引き起こす化学物質は日夜続けられている。しかし、発癌物質のダークマター、つまり癌細胞を生み出さないが癌細胞を眠りから目覚めさせる物質については未だ解明されていない点が多い?
By Siddhartha Mukherjee December 11, 2023
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1970 年代、カリフォルニア大学バークレー校( the University of California, Berkeley)の生化学者ブルース・エイムズ( Bruce Ames )は、安く簡単に化学物質に癌を引き起こす性質があるか否かを調べる方法を考案した。これまでに、癌発生のメカニズム自体は大まかではあるが明らかになっている。癌は遺伝子の突然変異、つまり細胞の DNA 配列の変化によって引き起こされる。配列の変化によって細胞分裂が制御不能になる。このような突然変異には、遺伝的なもの、ウイルスによって誘発されるもの、分裂中の細胞におけるランダムなコピーエラーによって生じるものなどがある。また、放射線、紫外線、ベンゼンなどの物理的、化学的要因によって生じるものもある。ある日、エイムズはポテトチップスのパッケージに印刷されている成分表示を読み、保存料として使われている化学物質が本当に安全なのか疑問に思った。
しかし、発癌物質( carcinogen )であると特定するのは容易ではなかった。マウスに疑わしい化学物質を接触させて、発癌するか否かを調べる方法がある。毒物学者たちは何世代にもわたってそうしてきた。しかし、この方法には時間がかかりすぎるという難点がある。また、コストがかかりすぎるため、十分な規模で実施することは不可能である。ワイドラペル(襟の広い)のツイード・ジャケットと奇抜なネクタイの着用を好んだエイムズは、あるアイデアを思いついた。もし、ある化学物質が人間の細胞内の DNA の突然変異を引き起こすなら、細菌細胞内の DNA にも突然変異を引き起こす可能性が高いと推論した。幸いにもエイムズは、細菌の突然変異率を測定する方法を考案済みであった。数十年にわたる研究によって考案したもので、増殖が早く培養が容易なサルモネラ菌を使うものであった。数人の同僚と協力して、彼は化学物資に発癌性があるか否かを調べる測定法を確立し、その方法を概説した論文を発表した。「発癌物質( carcinogens )は突然変異原( mutagens )である」という大胆なタイトルが付いていた。この方法は、突然変異原を調べるためのエイムス試験( Ames test )として知られていて、現在でも癌を引き起こす可能性のある物質をスクリーニングするための標準的な技術である。
エイムズは、この方法を開発した時点で、発癌性があるか否かを調べる完璧な方法ではないことを認識していた。他の研究者もそれは同じだった。たとえば、ジエチルスチルベストロール( diethylstilbestrol:略号 DES )等のエストロゲン様作用を有する非ステロイド性の化学物質への曝露が、膣癌、子宮頸癌、乳癌のリスクを高めることが多くの疫学者によって明らかにされていて、毒物学者たちもマウスやラットを使った実験で同様の結果を得ていたが、エイムズ試験では DES が突然変異原であることは示されなかった。DES の発癌メカニズムはまだ解明されていないが、おそらくホルモン感受性細胞( hormone-responsive cells )の増殖を促したり、癌関連遺伝子の発現を変化させたりすることが関係していると推測される。また、エイムズ試験では認識されなかったが、後に発癌物質であることが判明したものは他にもある。シクロスポリン( cyclosporine )など一部の免疫抑制剤( immune suppressor )である。癌細胞の特徴の 1 つは、免疫系( immune system )による検出を回避することにある。シクロスポリンなどの免疫抑制剤は、DNA に突然変異を起こさないにもかかわらず、癌を促進する化学物質として認識されるようになった。
しかし、発癌メカニズムには謎の部分が多く、疫学者や毒物学者を困惑させ続けている。今年( 2023 年)の秋の初め、私はカリフォルニア大学サンフランシスコ校( the University of California, San Francisco )の癌遺伝学者アラン・バルメイン( Allan Balmain )とこの問題について話し合った。バルメインは 70 代で、スコットランドのウィック( Wick )生まれで、スコットランド訛りが抜けていない。彼はカーディガンを着ていた。穴が空いていたが、瞳の色と同じ鮮やかな青色でとても似合っていた。「発癌物質を発見し分類するためのほぼすべての標準的なモデルは、発癌物質が癌細胞に与える影響に依存している。」と彼は私に言った。バルメインは、疫学者や毒物学者があまりにも狭い視野で物事を考えすぎていると考えている。彼は癌疫学上の未解決な案件をいくつか列挙して教えてくれた。例えば、アメリカの若い男女における大腸癌( colorectal cancer )の発生率は、1995 年以降でほぼ倍増している。アメリカ国外に目を向けると、一部の地域では喫煙経験のない若者の肺癌( lung-cancer )罹患率が劇的に上昇している。その原因について多くの研究者がさまざまな説を唱えているが、確かなことは分かっていないという。どうやら癌を誘発する因子の中には、私たちが認識していないものがたくさんあるようである。発癌物質の宇宙には、ダークマターが潜んでいる。
私たちは、ミッションベイ( Mission Bay )のサードストリート( Third Street )を見下ろす風通しの良いガラス張りのアトリウム内にあるバルメインの 研究室へと続く狭い通路に立っていた。数ブロック先には、梯子のような 4 本の脚と突き出した梁を持つ何トンもの鋼鉄の巨大造作物が見えた。芝生の丘の上にそびえ立つのはマーク・ディ・スヴェロ( Mark di Suvero:抽象表現主義の彫刻家)製作の彫刻であった。見事な風景であった。彫刻とその背景が調和していることで、芸術性が高まっていた。芝生と丘がなければ、この彫刻は大学の近くに置かれた建設用クレーンにしか見えなかったかもしれない。バルメインによれば、癌についても同じことが言えるという。癌細胞は正常な細胞に囲まれて成長し、正常な組織の中に埋もれている。癌だけを見るのではなく、その回り、もっと大きな生態系、全体を俯瞰して見る必要がある。
彼は私を研究室に案内してくれた。そこは整理整頓された清潔な空間で、まるで家政婦が掃除をして帰った後のようだった。彼の研究チームが 2020 年に行った研究では、ヒトに対して発癌性がある物質として知られている、あるいは疑われている 20 種類の化学物質をマウスに曝露させた。いくつも腫瘍ができた。研究チームはその DNA を分析した。「それらは既知の強力な発癌物質であった。」とバルメインは私に言った。「成長した腫瘍には突然変異が広がっていると予想された」。そのように予想した理由は、DNA を破壊する化学物質には、癌に関連する特定の遺伝子だけでなくゲノム全体に見られる特徴的な突然変異誘発効果があるからである。しかし、17 種類の化学物質については、突然変異との間に明確な関連性は見られなかった。「それは首をかしげたくなる結果だった。」とバルメインは言った。「それで、化学物質が癌を取り囲む細胞を変えていると推測したのである」。
1980 年代、バルメインが癌の研究を始めて間もなくの頃、多くの癌研究者は、発癌現象は段階的に起こるものと考え、マルチヒットモデル( 1 つの細胞に化学物質が複数回ヒットしてはじめて発癌すると仮定したモデル)は正しいと信じていた。つまり、当時は、正常な細胞が 1 つの遺伝子変異を獲得し、さらに別の変異を獲得し、同様に続けて何度も変異を獲得し、遺伝子 1 つ 1 つが悪性細胞へと移行していくと考えられていたのである。初めに突然変異は細胞分裂を促進する遺伝子を過剰に活性化し、次に突然変異は異常が検出された時に細胞死を引き起こす遺伝子を阻害し、さらに次に突然変異は DNA 修復に特化した遺伝子を妨害する。当時はそう考えられていたのである。「一部の癌について、それは完全に当てはまることであった。だから、当時はそれが正しいと考えられていた。」とバルメインは私に言った。しかし、1940 年代のマウスを使った実験等によって、そうした軌道をたどらない発癌現象が存在していることも分かっていた。「いくつかの実験で、標準的な発癌モデルに当てはまらないものが示されていた。」とバルメインは言った。
その実験は、オックスフォード大学のアイザック・ベレンブルム( Isaac Berenblum )とフィリップ・シュビック( Philippe Shubik )という 2 人の研究者によって行われたものである。たくさんのマウスを集め、それぞれの背中の毛の一部を切り取って地肌が出た部分にコールタールに含まれる癌関連化学物質である DMBA を塗った。しかし、悪性病変が発生したのは 38 匹中 1 匹だけであった。そこで 2 人が同じ場所にクロトン油( croton oil )を塗ったところ、結果は驚くほど違うものとなった(クロトン油は、中国や東南アジアに産するハズ (巴豆)の種子から抽出される水ぶくれのような炎症を引き起こす液体で、催吐剤や皮膚の角質除去剤として使用される)。なんと、悪性腫瘍が半数以上のマウスに出現したのである。重要だったのは順番であった。最初にクロトン油で次にタールを塗るというように、塗る順番を逆にすると、悪性腫瘍は発生しなかった。
あたかも既知の発癌物質である DMBA が細胞を刺激し、クロトン油が細胞を悪性腫瘍に向かって一気に加速させたかのようであった。ベレンブルムとシュビックは、クロトン油を促進作用のある物質、促進剤と見なした。炎症反応を通じて作用する新種の発癌物質であると見なしたのである。炎症が癌につながるという考えは新しいものではなかった。1870 年代にウィーンの外科医アレクサンダー・フォン・ヴィニヴァーター( Alexander von Winiwarter )は、癌は傷の不完全な治癒の結果であると主張していた。しかし、どのような意味でクロトン油が発癌物質と定義されるのであろうか?クロトン油だけを塗ったマウスには腫瘍はできなかった。細菌を使った標準的なエイムズ試験でも、ミバエの細胞を使ったより感度の高いエイムズ試験でもクロトン油に発癌性は見られなかった。動物の細胞を使った検査でも発癌性は見られなかった。要するに、クロトン油が DNA の突然変異を引き起こすという証拠は全く存在していなかった。
さて、クロトン油はどのように作用したのだろうか。なぜコールタールに含まれる DMBA が塗布された後に塗布した場合のみ悪影響を及ぼすのか。クロトン油は炎症を引き起こすが、炎症を引き起こす化学物質は他にもたくさんある。ブドウ球菌に皮膚が感染すると強力な炎症が起こる。しかし、皮膚癌が引き起こされることはない。この謎は何十年もの間、癌研究者を当惑させてきた。このような発癌メカニズムは偶然認識されたもので興味深いものである。これまであまり認識されていなかったわけだが、癌の主要な原因である可能性もある。もしそうであるなら、どのような化学物質が癌を発症させて被害者を死に至らしめるのか?