Anime Confronts a New Apocalypse
アニメは新たな黙示録に直面している
By Matt Alt April 18, 2023
2月に漫画家でありアニメーターでもある松本零士が亡くなりました。享年85歳でした。世界中のファンが悲しみに暮れています。彼の作品は、ティーン向けのロマンスやエロティックコメディから、スペースオペラ(space-opera:サイエンス・フィクション (SF) のサブジャンルの一つで、主に(あるいは全体が)宇宙空間で繰り広げられる騎士道物語的な宇宙活劇)まで多岐にわたっていました。スペースオペラでは、「宇宙海賊キャプテンハーロック(Space Pirate Captain Harlock)、「新竹取物語 1000年女王(Queen Millennia)」、「銀河鉄道999(Galaxy Express 999)」などが特に有名です。彼は日本以外でも、さまざまなプロジェクトでコラボレートしていたことでも有名です。ダフト・パンク(Daft Punk:フランスの電子音楽デュオ)とコラボレーションしたアニメオペラの「インターステラ5555(Interstella 5555)」も有名です。最も有名なのは、1974年に日本でテレビアニメの放映が開始され、1979年にアメリカで「スターブレイザーズ(Star Blazers)」に改題して放映された長寿大作「宇宙戦艦ヤマト(Space Battleship Yamato)」です。西崎義展プロデューサーと共同制作したこのシリーズでは、宇宙人の攻撃から人類を救うという大胆なミッションを遂行するために、大日本帝国海軍の旗艦であった戦艦大和の残骸を元に”宇宙戦艦ヤマト”が艤装、改造されました。「宇宙戦艦ヤマト」シリーズは大ヒットし、アニメブームの先駆けとなりました。
1938年に福岡に生まれた松本晟(あきら)が成人する頃は、マンガが芸術として形式を確立しつつあった重要な時期でした。彼は1954年に、15歳の時でしたが、初めて作品を発表しました。彼は、高校卒業後に片道切符を買って九州から東京へ上京し、そこで同じ志を持つ才能ある多くの仲間と出会いました。その中には、「鉄腕アトム」の手塚治虫のような偉大なマンガ家や、「パワーレンジャーズ(Power Rangers:ディーン・イズライト監督による2017年のアメリカ合衆国のスーパーヒーロー映画)」の原型を作った石ノ森章太郎などの新進気鋭のマンガ家がいました。当時、1950年代には、日本ではマンガは若者向けの娯楽とみなされていました。ですので、松本零士は何年も貧乏で無名のまま、時には恋愛漫画を執筆したり、より成功したマンガ家のアシスタントをすることで生活費を稼いでいました。1960年代半ばに、彼はその後のキャリアで使い続けることとなるペンネーム「 零士(Leiji:れいじ)」を使い出しました。「零」は、ゼロを意味し、「士」は戦士を意味する表意文字です。「本名の晟(あきら)はありふれた名前であり、十分なインパクトがなかった。」と、松本零士はル・モンド紙に語っていました。「母が武士の家系なので、「無限の戦士(fighter of infinity) 」を意味する零士と名乗ることにしたのです。」
1971年に「男おいどん(I Am a Man)」の連載が始まって、彼はようやく脚光を浴びるようになりました。当時の日本は、戦後の貧しさから抜け出して、高度経済成長期の真っ只中でした。松本零士が描いたそのマンガでは、大都会で必死に生きる1人の青年が主人公でした。主人公の大山昇太(おおやま のぼった)は、ほとんどいつもトランクスとタンクトップだけという出で立ちで、暖房も水道もないボロくて狭いアパートに住み、ラーメンと白米だけで食いつないでいました。時には、押し入れに押し込まれていた洗濯物からはえたキノコを食べていました。昇太の上手くいかない姿、情けない若者の姿が笑いと共感を呼びました。松本零士と同じように地方を離れて東京にやってきて、同じような劣悪な環境で暮らしていた若者たちの心に響いたのでしょう。
「男おいどん」のヒットは、松本零士にとって個人的な転機となったと同時に、マンガ業界全体の大きな変化を反映していました。アメリカでは、1954年にコミックス倫理規定委員会(Comic Code Authority)によって厳しいガイドラインが定められ、毒々しい(lurid)、不穏当な(unsavory)、あるいは残酷な(gruesome)描写は禁じられていました。また、同委員会は「いかなる場合においても善は悪を打ち負かす(in every instance good shall triumph over evil)」内容にすることも要請していました。しかし、日本のクリエイターは自由に何でも表現できたのです。1960 年代になると、多くの漫画家たちが週刊のマンガ雑誌で連載する形で作品を発表するようになりました。当時、最も発行部数が多かったのは、おそらく週刊少年マガジン(Weekly Shōnen Magazine)だと思われます。ちばてつや著、高森朝雄原作の「あしたのジョー(Tomorrow’s Joe)」は、1人の労働者階級のボクサーが拳だけでボクシング界をのし上がり、世間を見返してやるというストーリーでした。また、白土三平の作品では、いわゆる忍者モノですが、日本の歴史をマルクス主義的に捉え直していて、侍は労働者階級の残酷な抑圧者として描かれていました。
1960年代の日本では、ドラマチックで暴力的で赤裸々に政治的な漫画が流行し、革命家たちの心に深く響いたようでした。当時の日本は全国的に学生運動が昂揚した激動の時代だったわけですが、その種は、1960年に国会がアメリカとの軍事安全保障条約の修正案を民意に反して押し通した時に蒔かれました。1960年代末頃には、多くの学生がキャンパス内での抗議活動に加わるようになりました。政府がベトナム戦争を遂行するアメリカを支持することに対する怒りや、過密で教員不足の大学の現状に対する不満などが引き金となっていました。欧米の学生運動ではフォークやロックの曲がデモで利用されましたが、日本ではマンガの1コマがデモ運動でしばしば使われました。学生運動が盛り上がっていた当時、「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン(Asahi Journal in our right hands, Shōnen Magazine in our left)」という有名なフレーズが生まれたのですが、それほどマンガは若者に浸透していたのです。1970年に日本赤軍(Red Army)のメンバーが日本の旅客機をハイジャックした時、彼らは宣言の末尾に記していました、「そして最後に確認しよう、我々は『あしたのジョー』である。」と。
松本零士の同世代のマンガ家の中には政治的な内容を描く者もいたわけですが、彼は、より広く、より普遍的なテーマに焦点を当てることを選択しました。「私の父はしばしば、『人は生きるために生まれてきたのであって、死ぬために生まれてきたのではない』と言っていました。それが、”宇宙戦艦ヤマト”でもメインテーマとなっています。」と、彼は2013年のエッセイ集の中で語っていました。この言葉は、私たちが生きている21世紀の世の中では当たり前のことに思えます。いや、むしろ陳腐なものにさえ思えます。しかし、戦時中に生まれた松本零士は、それが当たり前でないことを認識しています。彼の世代より上の人たちは誰もが同じでしょう。彼らは、自分らしく生きるということが許されない、それどころか反逆的とみなされる時代を生きなければならなかったのです。宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長の逞しい髭を生やして毅然とした態度は、松本零士の父がモデルとなっています。陸軍航空隊のパイロットだった松本零士の父は、従軍経験がトラウマとなり、終戦後は野菜売りや炭焼き窯で働くという地味な職業に就きました。
「宇宙戦艦ヤマト」のプロデューサーである西崎義展は、松本零士をアート・スーパーバイザーとして迎え入れました。しかし、松本零士は、プロット、デザイン、キャラクターを徹底的に見直し大幅に修正を加えました。それで、元々の原作とは大きく変わってしまいました。作品の世界観が変わるほどでした。「宇宙戦艦ヤマト」は、高度な技術を持つ異星人の襲撃を受け、地球が窮地に立たされているところから始まります。地球防衛軍の宇宙艦隊は敵軍の艦隊より数でも能力でも劣っていたため、敵が使う遊星爆弾(ガミラス帝国が使用した惑星間小惑星攻撃で、小惑星や隕石を標的となる惑星に落着させ生命体や生態系に多大な被害を及ぼす)を防ぐことができず、人類は地中深くへの移住することを余儀なくされていました。放射能汚染が地表だけでなく地下にも及び、人類は滅亡の淵に追いやられ、1年で滅亡するという設定でした。そんな中、突然、遠くの星からメッセージが届くのです。イスカンダル星(Iscandar)の美しい女王スターシャ(Starsha)が、光よりも速い “波動エンジン (wave-motion engine)”の設計図を人類に届けたてくれたのです。もし、地球人が大マゼラン星雲にある彼女の故郷まで来れば、地球の放射能を除去する技術を提供するという申し出もありました。地球防衛軍は、敵に怪しまれないよう、海中に長い間沈んでいたが海の水が全て蒸発していたために赤茶けた姿を地表に晒していた戦艦大和を隠れ蓑に似せて宇宙船を建造しました。離陸したヤマトとその乗組員は、イスカンダル星に向け、1年という限られた猶予の中、人類最後の希望を託されて銀河系で14万8千光年を往復する旅に出ました。
かつての大日本帝国海軍の誇る戦艦が文字通り復活する姿は、一見すると再軍事化のメタファーのように見えるかもしれません。しかし、松本零士には優れた技量が備わっていて、戦争大和を賛美しすぎることなく、宇宙戦艦ヤマトの魅力を高めることに成功していました。アニメ評論家の氷川竜介は私に言いました、「これまでテレビで放映されたアニメや実写ドラマとはまったく違うことに衝撃を受けました。」と。「宇宙戦艦ヤマト」の第1話が放送された時に彼は高校生だったのだが、すぐに日本有数の「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブを組織しました。松本零士は、最初の戦闘の場面では悲惨さを詳細に描き出し、その後、地球という惑星の姿を見せてくれるのですが真っ赤な火の玉となっていました。彼は一貫して悲劇を描き続けたわけですが、終末論的な悲劇を描く際にも美的感覚を蔑ろにすることはありませんでした。
松本零士の悲惨な状況を悲惨すぎないように見せる技術は彼の作品の随所で見られます。特に戦争関連のマンガでは絶妙な描写が見られます。特に秀逸だったのは、太平洋での空戦を人間の精神の坩堝のようなものとして描いたものでした。勝利至上主義的なストーリーに慣れ親しんで育ったアメリカ人にとって、松本零士の戦争マンガは、いささか衝撃的でした。というのは、しばしば戦いの敗者側の視点が感じられるものだったからです。「私の父は、ドッグファイトで敵機を追い詰めて確実に撃墜できる状況になった時に躊躇したと言っていました。その刹那、父は、撃墜する敵機の乗員の家族の悲しみに思い至ったのです。」と、松本零士は2018年のインタビューで回想していました。「敵の家族の悲しみを慮っていたことを聞いて、私は本当に衝撃を受けました。戦争は敗者にとっても勝者にとっても過酷なものです。それを聞いた時、私は初めて戦争は不毛なものであるということに気づきました。私はまだ少年でしたが、そうしたことが理由で、私の戦争マンガは勝利至上主義的なものではないのだと思います。」
勝利至上主義的でないことが災いしたのでしょうが、「宇宙戦艦ヤマト」は初回放送では視聴率をそれほど取れませんでした。視聴率を取れるようになったのは、後に再放送されてからのことです。より多くの年代に浸透し、旧来のアニメのファン層よりも年配の視聴者の間でも人気が高まりました。ファンクラブがたくさん結成され、アニメ雑誌でも賞賛されたことが映画の制作に繋がりました。その映画は1977年の晩夏に公開されました。日本での興行収入は20億円を超えました。それは驚くべきほどの成功と言えるもので、アニメが子供向けの娯楽にとどまらない可能性を示唆していました。それが、2年後に封切られた「銀河鉄道999(Galaxy Express 999)」の製作に繋がりました。この作品も松本零士の連載マンガを原作とするものでした。年代物の蒸気機関車のような形状の宇宙船に乗って宇宙を旅する少年が主人公でした。ファンはこの作品を”スリーナイン”と呼んだわけですが、「宇宙戦艦ヤマト」以上のヒットとなりました。1979年に日本で公開された映画の中で興行収入第1位となりました。「エイリアン(Alien)」や「ロッキー2(Rocky II)」といった並みいるハリウッドの大作映画を抑えてのことでした。この映画が、その後に続くアニメブームの火付け役であったと言っても過言ではありません。それから現在まで、絶えること無く多くのマンガ家が現れていて、ますます洗練された作品が生み出され続けています。大成功を収めるアニメ作品が次々と生み出されています。昔はマンガというと地味でサブカルチャー扱いされていたわけですが、日本、ひいては世界の若者たちの間で広く共有される娯楽となりました。アニメは若者文化を象徴するものとなりつつあります。
「宇宙戦艦ヤマト」では、松本零士が描いた独特な趣のあるキャラクターがたくさん登場します。特に女性のキャラクターが特徴的に描かれています。その中でも最も目立つキャラクター(訳者注:森雪のこと)は、長く美しい金髪で細面の顔立ちで柳のようにほっそりした美女です。輝く瞳に、顔からはみ出るほど長いまつげが付いているのが特徴的です。松本零士が言っていたのですが、19世紀に撮影された日本女性の写真と、ドイツの女優マリアンネ・ホルト(Marianne Hold)をモデルにしているようです。この女性に容姿が似たキャラクターが彼の作品にはしばしば登場します。イスカンダル(Iscandar)のスターシャ(Starsh)、クイーン・エメラルダス(Queen Emeraldas)、「銀河鉄道999」の主人公にとって母親のような存在のメーテル(Maetel)などは、いずれも森雪をちょっとマイナーチェンジだけのように見えます。私のようにアニメブームの初期にアニメ好きとして育った者にとって、彼女たちはとても神秘的で、ともすると幽霊のように感じられました。「他の漫画家やイラストレーターが描く女性とは全く違う。」と、松本零士の「宇宙海賊キャプテン・ハーロック(Harlock: Space Pirate)」が原作で2013年公開された映画を手がけた荒牧伸志監督は語っています。「恋人というより、憧れの対象といった感じです。」
「宇宙戦艦ヤマト」が誕生してから約半世紀経つわけですが、アニメは大きく変化しました。かつては日本でもいろんなコンテンツがある中で限定的な存在だったわけですが、今では世界規模で見ると約300億ドルの市場規模まで成長しました。インターネットに接続できる場所であれば、どこでもオンデマンドで視聴することができます。そして、多くのヒットしたアニメの原作であるマンガは、世界各国でベストセラーリストの上位を占めています。松本零士と同時代を生きたマンガ家たちは、自分たちの芸術作品がまったく期待されていない時代にもマンガを描き続けました。そうした状況が変わって、マンガやアニメは巨大娯楽産業となったわけですが、残念ながら、現在では、ある種のリスク回避的な風潮や保守主義が蔓延しているようです。ですので、安易に続編が数多く作られるようになりました。「ドラゴンボール(Dragon Ball)」は不朽の名作と読んで差し支えのないアニメの1つですが、原作のマンガは1984年に連載が始まりました。2022年に公開された「ドラゴンボール超 スーパーヒーロー(Dragon Ball Super: Super Hero)」はシリーズ第21作目のアニメ映画でした。また、同様のロングランヒット作の「ワンピース(One Piece)」は、テレビアニメの放映が1,000話を超えており、アニメ映画も15本が公開されました。たしかに、ストリーミング配信が隆盛の時代ですから、膨大な数のバックカタログ(back catalogue)を持つことは、繰り返し視聴してもらえる可能性が高まるため、非常に賢い戦略であると言えます。それゆえ、リスクをとった野心的な新作がなかなか出なくなっているのかもしれません。
そして何より、松本零士の創作活動を支えてきたロマンチックな理想主義が、最近の巷のマンガやアニメではあまり感じられません。2010年代最大のヒット作の1つである「進撃の巨人(Attack on Titan)」は、ゾンビのような巨人に常に包囲され、三重の城壁に囲まれた滅びゆく都市の絶望感を描いたものです。この作品は世界各国で権威ある賞を受賞しました。同時に、なぜか極右思想を持ったファンからも称賛を受けました。彼らは、グロテスクな外敵を反ユダヤ陰謀論への警笛と解釈したようですし、また、この作品がファシズムを肯定していると捉えたようです。この作品は、いわゆる異世界モノというジャンルに属します。それなりに人気のあるジャンルで、現実の生活に耐えられない主人公が別の世界に迷い込み、その世界の支配者となるという筋書きが多いようです。そして、現在、日本で大人気なのが2022年にテレビアニメの放映が開始された「チェーンソーマン(Chainsaw Man)」です。この作品の冒頭では、主人公の10代の少年が仕事を斡旋していたヤクザに騙されて自分の臓器を売らねければならなくなってしまいます。そうしなければ、完済できないほど借金が増えてしまったのです。このくだりは、おそらくギグ・エコノミー(フリーランスなどの立場で、単発もしくは短期の仕事を請け負う働き方)を巧妙に皮肉っているのだと思われます。このアニメを見て思うのは、アニメはいつの時代も変わらず想像力に富んでいるということです。しかし、松本零士の作品が大人気だった頃と比べれば、はるかに暗く荒涼とした感じがします。
「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌は、「さらば地球よ 旅立つ船は・・・運命背負い今とび立つ(We’re off to outer space, we’re leaving mother Earth, to save the human race)」という歌詞で始まります。しかし、現代のアニメの視聴者は、地球を救うことにはそれほど興味がないようです。それよりも自分の内面や自分自身を救うことに関心があるようです。そうしたことを反映してマンガやアニメの作風も変化しつつあるのです。若者向けのコンテンツは、時の経過とともに移り変わり、好みやスタイルに合わせて変化せざるを得ないのです。それはサブカルチャー全般に当てはまることです。誰もが知っていると思いますが、1980年代にはエッジが効いていて脅威的だったヒップホップやパンクも同じように変化し、そして角が取れて主流のポップミュージックのようになったのです。松本零士が亡くなった数日後に私が目にした松本零士に関するコラムでは、「最近のアニメは冷淡でシニカルなものが多い。」との懸念が表明されていました。しかし、それは現在のアニメ製作者やファンに対する批判なのでしょうか、それとも、日本社会そのものに対する批判なのでしょうか?
松本零士は、第二次世界大戦の焼け野原から立ち直った日本で、一躍人気者となりました。当時は、明るい未来への希望に満ちた時代でした。彼の描いた黙示録は、戦争を経験したことが下地になっていたわけですが、1970〜80年代にかけての日本の豊かさとは対照的でした。しかし、日本では、1990年代初頭にいわゆるバブル経済が崩壊しました。若い世代がその影響をひしひしと実感することとなりました。日本のミレニアル世代(millennials:概ね1980年代序盤から1990年代中盤までに生まれた世代)とジレニアル世代(zillenials:ミレニアル世代とZ世代の中間の世代)にとって、第二次世界大戦の敗戦とその後の脅威的な経済的繁栄は、いずれも過去の歴史でしかないのです。彼らの未来は決して明るいわけではありません。不況の脅威を感じずにはいられない状況ですし、政治は停滞していますし、超高齢化社会が待ち受けています。その上、新型コロナの負の影響も払拭できていません。彼らは、経済的にも社会的にも閉塞感が非常に高まっているのを感じています。松本零士が描いたのとは別の黙示録を見ていると言えます。彼らが好むアニメが、より現実の世界に即したものであり、暗いものであるとしても、それはちっとも不思議なことではありません。♦
以上
- 1
- 2