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この議論全体が厄介なのは、私たちは「集中力持続時間( attention spans )」について自由に語ってはいるが、それは心理学者が文脈から独立して、時間を超えて測定できる類のものではないということである。また、スマートフォンの所持が認知能力に及ぼす表面的な害に関する研究は矛盾しており、結論が出ていない。ADHD と診断される者が非常に多くなっているが、それはこの症状が本当に蔓延しているからなのか、それとも診断数が増えただけなのか?アメリカの労働生産性と 4 年制大学卒業以上の者の比率は、インターネット時代( the Internet era )に一貫して上昇している。
明らかに読書の時間が減っているわけだが、理由はそれほど単純なものではない。紙の本の売上は安定しており、オーディオブックの売上は伸びている。国立教育統計センター( National Center for Education Statistics )は、アメリカで学童の読解力が最近低下していることを確認しているが、これは主に新型コロナの時期と重なっており、スコアはセンターが測定を開始した 1971 年と同等かそれ以上である。トップクラスの大学の読書課題が短いのは、今日の競争心の強い学生がより忙しいからであり、能力が劣っているからではないのかもしれない(そもそも、昔の学生は実際に分厚い課題図書を全て読んでいたのだろうか?)。2010 年にニコラス・カー( Nicholas Carr )が、本を全く読まないローズ奨学生( Rhodes Scholar )がいる現実は読み書き能力が劣る者で溢れかえる未来を暗示するものだと主張したわけだが、その主張に理はあるのだろうか?「本を読んでいないわけないだろう」とそのローズ奨学生は別の作家に抗議した。現在、彼はオックスフォード大学で博士号を取得し、2 冊の著書を出している。
インターネットが誕生して何十年も経ったが、スポーツ賭博の広告が溢れ、ちょっと性的な動画や子猫の動画やトランポリンでミスした面白おかしい 3 秒の動画などのみが流れているメディアは今のところはない。法学者のティム・ウー( Tim Wu )が「 The Attention Merchants (未邦訳:関心の商人の意)」で論じているように、注意散漫への道は一方通行ではない。確かに、企業は最も派手な誘惑を使って私たちの注意を引こうとするが、人々は慣れてしまい、それを無視することを学ぶ。あるいは、彼らは尻込みする。これは、瞑想、バードウォッチング、ビニールレコードが流行っている理由を説明できるかもしれない。実際、テクノロジー企業は、請求書の支払いや旅行の手配といった日々の煩わしさを軽減し、気が散る状況を改善すると約束してユーザーを引き付けることが多い。Google のテキスト広告やメールフィルターは、インターネットが普及しだした頃にはスパムメールやポップアップ広告が現れる煩わしさを除去してくれた。Apple はシンプルさを売りにして世界最大級の企業になった。
さらに言うと、気を散らすということは相対的なものである。あることから気を散らすということは、別のことに集中するということだからである。人々が気を散らすようになっているという議論があるわけだが、それは多くの人が何時間も画面を熱心に見つめているという明白な事実を無視している。ドゥームスクロール( doomscrolling:インターネット上の暗いニュースや情報ばかりを閲覧し続けること)という行為は、熱心な読書の一形態であると言える。違うだろうか。多くの人たちがいくつかの場所で集中できていないと指摘されているわけだが、彼らは明らかに他の分野に対しては集中できているのである。
彼らが集中することに成功している分野の 1 つは、成熟期にある映画である。今年のゴールデングローブ賞の主要受賞作「 The Brutalist (邦題:ブルータリスト)」は 3 時間半を超える大作である。興行収入トップ 10 の映画の平均上映時間は、1993 年から 2023 年の間に 20 分以上伸びている。ハリウッドでは、続編や知的財産の使い回しに依存する状況に陥っており、ソー( Thor )がリトルマーメイド( Little Mermaid )と共演して戦う段階まであと一歩のところまで来ており、それは映画にとって良いことではないのかもしれない。しかし、そうした状況によってバックストーリー( backstory:登場人物の生い立ち)やファンを歓喜させる趣向がぎっしり詰まった複雑な映画が量産されている。
テレビドラマでも同じ傾向が見られる。かつては単純な筋書き、大げさなジョーク、そして熱帯の鳥がいきなり登場してフルーツループ( Froot Loops:ケロッグのシリアル)について叫ぶなど、注意力のない人向けの娯楽でしかなかった。しかし、ケーブルテレビ、DVD 、ストリーミングのドラマシリーズの登場で状況は変わった。ちなみにストリーミングで最初にヒットしたドラマシリーズは 2013 年の Netflix の「ハウス・オブ・カード( House of Cards )」である。脚本家が視聴者が筋を見失うことを心配しなくなっており、テレビドラマも超長編映画のようになり始めている。視聴者はそれに応えてビンジウォッチング( binge-watching:連続テレビドラマや映画などのコンテンツを複数回にわたってまとめて視聴すること)を行うようになった。「ブレイキング・バッド( Breaking Bad )」のプロデューサーのヴィンス・ギリガン( Vince Gilligan )が「一気見( giant inhalation )」と呼ぶように、何時間もの素材を一気に吸収している。
あるいは、無慈悲に長くなりつつあるビデオゲームを考えてみよう。数年前、当誌でアレックス・ロス( Alex Ross )が、リヒャルト・ワーグナー( Richard Wagner )の「ニーベルングの指環( Ring of the Nibelung )」を、約 15 時間に及ぶ 4 部作のオペラであり、「間違いなく、これまでに試みられた中で最も野心的な芸術作品」であり、「将来ライバルが現れることはないだろう」と評していた。2023 年、ラリアン・スタジオ( Larian Studios )は「バルダーズ・ゲート 3 ( Baldur’s Gate 3 )」でビデオゲーム賞を総なめにした。敵対する神々、魔法の指輪、魔法の剣、ドラゴンが登場する、ある意味でワーグナー的な作品である。このゲームには 248 人の俳優と約 400 人の開発者が開発に携わっている。複雑なルールを持つゆったりとしたターン制のゲームであるバルダーズ・ゲート 3 を最後までプレイするには、最低でも 75 時間かかる。つまり「ニーベルングの指環」の 5 倍以上である(完璧にクリアするとなるとその 2 倍以上の時間がかかる)。それでも、約 1,500 万部が売れた。
注目を集めると思われる TikTok でさえ、もう一度見直す価値がある。テレビ業界で働くヘイズは、TikTok を気楽に見るだけのもので、つまりテレビがアルゴリズムによって個人別に分けられたものでしかないと主張する。しかし、TikTok は参加型であり、アメリカの成人ユーザーの半数以上が動画を投稿している。このプラットフォームが優れているのは、洗練されたコンテンツではなく、アマチュアの熱意である。それはしばしば無限のバリエーションを持つトレンドの形をとる。多くの TikTok ユーザーが、その流行に後れないために、手の込んだダンスの動き、凝った衣装、メイクアップ、リップシンク、トリックショット、錯覚を起こさせるカメラ操作を何時間もかけて準備する。
一体何が起こっているのか?メディア評論家のニール・ヴァーマ( Neil Verm )は、「 Narrative Podcasting in an Age of Obsession(未邦訳:執着の時代の物語的ポッドキャスティングの意)」の中で、TikTok が台頭した時代を 「執着文化( obsession culture )」と表現している。オンラインメディアは、関心の対象の範囲を広げることで、あからさまにオタクっぽい知的なスタイルを生み出した。ヴァーマは、2014 年にブレイクしたポッドキャスト 「Serial (調査報道中心のポッドキャスト)」に注目している。2014 年の最初のシーズンは、15 年前の殺人事件の詳細をホストがじっくり調べる様子を何時間も追うものであった。比較的ニッチなトピックを深く掘り下げることが標準になっている。大人気のポッドキャスター、ジョー・ローガン( Joe Rogan )は、古代文明、宇宙論、総合格闘技について、ときには 4 時間を超える長時間インタビューを行っている。YouTuber のジェニー・ニコルソン( Jenny Nicholson )の 4 時間の動画は、開業からわずか 1 年半で廃業したディズニー・ワールドのホテル(訳者注:スター・ウォーズの世界観を体験できるホテル)の設計上の欠陥を分析したものであるが、1,100 万回も再生されている (当然と言えば当然であるが、内容は素晴らしいものである)。ヘイズ自身も、古いカーペットがシャンプーされる様子を「完全に釘付けになって」何時間も見ていたと告白している。
カーペットを見つめるばかりで、人々は重要な政治や経済の問題への関心を無くしてしまったのだろうか?ヘイズはリンカーン・ダグラス論争( Lincoln-Douglas debates:1858 年のエイブラハム・リンカーンとスティーブン・ダグラスとの間で行われた 7 回にわたる討論会で行われた論争)を重要視しているが、2 人は何千人もの騒々しい群衆を前にマイクなしで話していたわけで、聴衆が一言一句聞き取れたとは考えにくい(このイベントでは酒がふるまわれた)。また、南北戦争前夜に行われた奴隷制に関する討論の道徳的真剣さを賞賛するのは難しい。実際、この討論ではどちら側も奴隷制廃止を提案しなかった。全体主義の歴史が何かを教えてくれるとすれば、それは長々とした演説が必ずしも政治の健全さを意味するわけではないということである。
いずれにせよ、政治の世界では冗長さが 21 世紀に入って強まっている。一般教書演説( State of the Union addresses )は長くなるばかりである。ドナルド・トランプ( Donald Trump )はかつて CPAC ( Conservative Political Action Conference:保守政治活動協議会)で2 時間以上演説した。有名な話であるが、彼の脱線した演説を理解するためには古臭い右翼的な主張に深く浸る必要がある。「私は 9 つの異なる事柄について話しますが、それらはすべて見事に結びついている」とトランプは自慢していた。言語学者のジョン・マクウォーター( John McWhorter )は、トランプの複雑な文体について、「まるでヘブライ語で書かれているかのように難解である」と述べている。
政治が二極化し、人々の政治への関心を低下させたのはインターネットのせいだと非難する者が少なくないが、実際にはそうではない。むしろ逆である。文化的なことにに当てはまることは政治にも当てはまる。主流から逸脱するにつれ、人々は強迫観念にとらわれ、ドツボにはまっていく傾向がある。Q アノン( QAnon:アメリカの極右系陰謀論、もしくはその信奉者)に従うには、K-POP ファンに期待されるような本気の献身が必要である。民主社会主義者( Democratic Socialists )、ワクチン懐疑論者( vaccine skeptics )、反シオニスト( anti-Zionists )などは気軽に政治に関わることで知られている人々ではない。誤った情報を得ている人もいるかもしれないが、無知というわけでもない。「自分で調べる( Do your own research )」というのが、政治的少数者の合言葉である。結局のところ、断片化によってサブカルチャーの深みが生み出されている。サブカルチャー間の連携は進まず、それぞれ孤立しており、情報共有などは全く無い状態である。
ヘイズは、インターネット上の政治的熱狂が地球温暖化から注意をそらすのではないかと懸念している。しかし、気候変動に対する取り組みを主導しているのは、私たちの中で最もインターネットを利用する若者たちであることは明らかである。Z 世代( Gen Z )の活動家のグレタ・トゥーンベリ( Greta Thunberg )は、この問題を非常に上手に宣伝している。メディア研究者の中では「グレタ効果( Greta effect )」と呼ばれている。彼女は 15 歳の時から、インターネット上で大騒ぎを繰り返している。