3.バイデンが 4 年間で手を付けたことは驚くほど多い。それらが廃棄されるとすると悲しい。
このポスト新自由主義( post-neoliberal )時代の特徴の 1 つは、超野心的でやんごとない身分の政権高官たちが、ニューヨークで裕福な生活を送るのではなく、自分たちが有権者の痛みに無知ではないことを示す必要性を感じたことである。ジェイク・サリバンの妻でバイデン政権で国家安全保障補佐官を務めるマギー・グッドランダ―( Maggie Goodlander )は、現在ニューハンプシャー州北部の選挙区から下院議員に立候補している。もし彼女が当選すれば、おそらく彼女はそこに住むことになるであろう。ブティジェッジは、夫チャステン・グレズマン・ブティジェッジ( Chasten Glezman Buttigieg )の故郷であるミシガン州トラバースシティ( Traverse City )に引っ越している。
今年の夏、私はオバマ政権とバイデン政権で国家経済会議( National Economic Council )委員長を務めるブライアン・ディース( Brian Deese )を訪ねた。彼も引っ越していた。彼の新しい故郷はメイン州ポートランド( Portland )である。オバマ政権時代にラリー・サマーズの側近であったディースは新自由主義者と見られていたが、トランプ時代には世界最大の資産運用会社ブラックロック( BlackRock )で働いていた。当時 40 代前半だったディースをビル・クリントンが創設した大統領に経済関連の助言をする国家経済会議の委員長に任命したのは、バイデンである。私は、メイン州でハイテク企業の発展を促進するために新設された大学院でディースに会った。彼は、堅苦しい人物ではなく、ほっそりとして髭を生やし青い目をしていた。シリコンバレーのエグゼクティブのような熱さが感じられた。彼はバイデノミクスの起源について語った。「 2020 年の春には 2 つのことが起こった。バイデンが民主党大統領候補指名争いで勝利したことと、新型コロナのパンデミックである。彼はこれまでの政治家とは全く違う新しいアプローチを採用した。彼は政策ビジョンをより広範なものへと転換したのである。通常とは逆である」。
その結果、アメリカ救済計画法( American Rescue )という法案が成立した。1 兆 8,000 億ドルの法案で、オバマ前大統領の景気刺激法案の 2 倍以上の規模である。トランプが新型コロナパンデミック初期に、景気後退や恐慌を防ぐことを目的とした同規模の法案に署名してからわずか 1 年後のことである。実際、新型コロナによる不況は 2008 年の金融危機後の不況よりもはるかに短く、浅いものだった。アメリカ救済計画法には、新型コロナによる最悪の状況を脱するだけでなく、バイデンの優先事項に決めた施策がたくさん含まれていた。900 億ドル近くが児童税額控除の増額に、800 億ドルが労働組合の年金基金の強化に、880 億ドルがインフラ投資に、3,500 億ドルが州政府や地方自治体に充てられた。
アメリカ救済計画法に対する非難は、それが数年にわたるインフレを引き起こしたというものである。最近になって、ようやくインフレ率が収束したが、バイデンの経済運営は広く不評を買っている。オバマ政権の最後の国家経済会議委員長で、現在はハーバード大学で教鞭をとるジェイソン・ファーマン( Jason Furman )は、この法案について公の場で執拗に批判してきた。特に年収 7 万 5,000 ドル以下の家庭に 4,000 億ドル以上の小切手を送ることを認めた条項を問題視している。「この法案が正しい政策であると擁護する者はいない」と彼は私に言った。「 2,000 ドルの小切手を送るというアイデアはトランプが考案したものである」。往々にしてエコノミストは給付金よりも税額控除を好むものである。「ナンシー・ペロシ( Nancy Pelosi )とバイデンは共和党を翻弄し、ジョージア州の上院議員選に勝つために救済計画法を実行した。多くの有権者は何も買うことができなかったため、既に銀行口座にたくさんのお金を持っていた」。たしかに、当時は新型コロナの影響で多くの店が開いておらず、供給も滞っていた。その結果、あらゆるものの価格が上昇した。
当時、バイデン政権内ではファーマンのような伝統的なエコノミストが支配的でないことが明らかだった。経済政策に関して、クリントン政権とオバマ政権を仕切っていたエコノミストのほとんどは、ファーマンの言葉を借りれば、「ロバート・ルービン( Robert Rubin )とその弟子や孫弟子」であった。ちなみに彼は孫弟子の 1 人である(ロバート・ルービンは、ゴールドマン・サックスの共同会長から国家経済会議の初代委員長に転じた人物である)。しかし、金融危機後の数年間の混乱に乗じて、エリザベス・ウォーレンと関係の深いエコノミストが何人も民主党政権の中枢に巣食うようになった。ウォーレンの元側近や盟友、経済政策研究所( Economic Policy Institute )のようなシンクタンクの元スタッフらが、大統領経済諮問委員会( Council of Economic Advisers )に入り込み、あるいは国家経済会議のディースの下で働いたり、多くの連邦規制機関で働いた。通常は市場を信頼する傾向があるエコノミストが就いていた仕事に、規制や制度に焦点を当てるよう訓練された法曹関係者(ディースなど)が就くようになった。
私はディースに、自分がかつての新自由主義( neoliberal )に傾倒していたことを悔いているのかと尋ねた。彼は新自由主義に傾倒していたわけではないと主張したが、バイデン政権で実行するよう命じられた数々の施策のいくつかはオバマ政権下では真剣に検討されなかっただろうと述べた。「もし 2010 年に私が産業振興戦略を監督するよう命じられたら、『それはおかしい。誰も耳を傾けないだろう』と私は言ったであろう」とディースは私に言った。「産業振興戦略 と言いたくても言えなかった。それは 『勝者選び 』になるからである」。
ディースは、オバマ政権時に、金融危機の対処でゼネラル・モーターズ( General Motors )とクライスラー( Chrysler )の事業継続に取り組んだことで、自分の見方が変わったと語った。「そのおかげで、政府が経済を方向づける可能性に気付いた」と彼は言う。「経済力を持つことの意味とそれがなぜ不可欠なのかをより深く、より現実的に理解することができた。そのような考えは、自由落下状態にある業界を目の当たりにすることによって、私にとって超現実的なものとなった。レーガン政権時代を含め、連邦政府は自動車産業に何度も介入してきた。政府が介入したことはないと主張するエコノミストもいるが、それは政府が行ってきたことに対する誤った説明である」。
バイデン政権は 2021 年と 2022 年に 3 つの巨大な法案を可決した。1 兆 2,000 億ドル規模のインフラ投資・雇用法( Infrastructure Investment and Jobs Act )、2,800 億ドル規模の CHIPS・科学法( CHIPS and Science Act )、当初は 3,800 億ドル規模と見積もられていたが、現在は 8,000 億ドル以上と考えられているインフレ削減法( Inflation Reduction Act )である。これらの法案を合わせると、全部で何百もの条項がある。しかし、大まかに言えば、1 つ目は橋、道路、港湾、その他の建設プロジェクトに資金を提供するためのものであり、2 つ目は半導体生産をアメリカ国内に戻すためのものであり、3 つ目は炭素を生成しないエネルギー源への移行に資金を提供するためのものである。私との会話の中でディースは、3 つの景気刺激策は 1 つの大きな立法パッケージとして考えるべきだと主張した。3 つは同じ目標を共有している。アメリカの国内産業の能力を再構築し、方向転換させるという目標である。「私たちは単に経済が成長することを望んでいるのではない」と大統領経済諮問委員会の委員であるヘザー・ブーシー( Heather Boushey )は言う。「中間層をより豊かにするためには、何を作り、どのように作るかが重要である」。
この考え方は、バイデン政権が行った他の多くのことにも活力を与えている(唯一、貿易協定の交渉だけは活力を与えられていない)。法案を通過させただけでなく、バイデン政権は多くの重要な大統領令を出した。おそらく最も重要なのは 2021 年 7 月に出された競争に関する大統領令である。独占と反トラストに関するアメリカ史上最も強い大統領令であった。また、バイデンは、多くの国の規制機関のトップに党内の経済的に左派寄りの人材を就かせた。最もよく知られているのは連邦取引委員会( Federal Trade Commission )のリナ・カーン( Lina Khan )である。司法省反トラスト局( Justice Department’s antitrust division )、証券取引委員会( Securities and Exchange Commission )、全米労働関係委員会( National Labor Relations Board )、すべての環境関連機関にも同様の人物が任命されている。オバマ政権はグーグルに対して反トラスト法違反の調査を開始したが、その後中止した。逆にバイデン政権はグーグルを提訴し、勝訴している。オバマは、消費者金融保護局( Consumer Financial Protection Bureau )の設計にエリザベス・ウォーレンを参画させた後、その初代局長に就任したいという彼女の要求を拒否した。バイデンは、当時のウォーレンの側近だったロヒト・チョプラ( Rohit Chopra )を同局長に任命した。
また、政府には外部にはほとんど知られていない部分もあるが、バイデンはその多くを作り直した。その一例が、クリントンが大統領就任 1 年目に連邦規制の数を減らすために設置した情報規制庁( Office of Information and Regulatory Affairs )である。オバマが同庁のトップに据えたのは、法学教授で行動経済学者リチャード・ターラー( Richard Thaler )との共著「Nudge(邦訳:NUDGE 実践 行動経済学)のあるキャス・サンスタイン( Cass Sunstein )である。この人選は、規制緩和の方向を示すものだった。バイデンは、ウォーレンの盟友であるK・サビール・ラーマン( K. Sabeel Rahman )をその職に就かせ、政府が各施策の費用便益比を計算する際の新しい方法を承認し、社会保障をより重視する方向に方針を転換した。このような配慮はバイデン政権が可決した法案にも組み込まれている。CHIPS・科学法は、政府が資金提供する新工場の労働者と、工場を建設する建設労働者に対して、企業が育児支援給付をすることを義務付けた。連邦政府が助成する気候変動投資の 40% は、恵まれない地域に投資することが義務付けられている。「私たちは、人種やその他の構造的不平等の現実を経済関連施策の数々で改善しようとした」とラーマンは私に語った。「『経済的な側面だけを考えれば良い』と言う人もいます。しかし、私たちは、構造的不平等に実際に対処できるような形で、こうした各種経済施策をまとめようとした」。
バイデンの経済施策でこれまでの民主党と最も大きく異なるのは、気候変動問題であろう。何十年もの間、インセンティブ制度が炭素排出量削減の主流の考え方だった。カリフォルニア大学サンタバーバラ校( University of California, Santa Barbara )のリア・ストークス( Leah Stokes )教授は、著名な気候活動家でもある。「化石燃料の価格を上げるのは非常に不評である。あらゆるもののコストを引き上げてしまうからである」と彼女は言う。オバマ政権の主要な気候変動対策は、企業が排出枠を売買できるようにするキャップ・アンド・トレード( cap-and-trade )法案であった。この法案は上院で採決されることはなく、バイデンは結局この案を完全に放棄した。現在バイデン政権で気候政策を担当しているジョン・ポデスタは、次のように語った。「バイデンの取り組みは政治的に実行可能で、アメリカの労働者のために前進する道を示すものでなければならなかった。そこで、私たちはこれまでの政策をひっくり返すことにした。つまり、『何を閉鎖する必要があるか』から『何を構築する必要があるか』にシフトしたのである」。
この流れは 2022 年夏に決定された。アメリカ救済計画法が共和党の協力を得られなかったものの速やかに可決され、インフラ投資法案がそれに続いたが、他にもバイデンの提案が残っていた。トータルで 4 兆ドル規模であった。その大半は、アメリカ雇用計画( American Jobs Plan )とアメリカ家族計画( American Families Plan )と呼ばれる2つの部分に分かれていた。下院民主党は、この 2 つを組み合わせた「ビルド・バック・ベター法案( Build Back Better )」を可決したが、上院では否決された。ウェストバージニア州選出のジョー・マンチン( Joe Manchin )上院議員は、民主党所属でありながらアメリカ家族計画には明確に反対した。育児休業( child care leave )、有給家族休暇( paid family leave )、コミュニティカレッジの無償化などが含まれていたが、支給や給付の連続であると考えたからである。しかし、彼はアメリカ雇用計画の交渉には応じた。内容が非常にビジネス・フレンドリーであったことと、グローバリゼーションに懐疑的なクリーンエネルギー関連に主に資金が費やされるからである。この法案は最終的にインフレ削減法( Inflation Reduction Act )と改名され、その年の 8 月に可決された(現実はインフレを悪化させたわけで、誤った名称である)。「すべてがまとまり、私たちは目標を達成することができた」とディースは語った。
インフレ削減法には、マンチンの影響が色濃く残っている。その中核は企業に寛大な税額控除で、その大部分はクリーンエネルギー関連である。ウェストバージニア州は大いに恩恵を受ける。これを単なる画期的な気候変動関連法案として理解すると、大規模であるのは良いのだが、欠点もいくつかある。いくつかの比較的小さな条項を除けば、この法律は誰にも何の罰則も与えない。条項の一部は化石燃料企業に利益をもたらす。関連する設備投資の 80% 以上が共和党支持優勢の選挙区で実施されている。そこでは空き地が多く、規制環境が緩いことが理由である。逆に民主党支持が優勢な選挙区の多くでは、クリーンエネルギー革命を推し進めようとする環境保護論者と、電気自動車用バッテリーに使用する鉱物を採掘するための鉱山開発などに反対する環境保護論者との間で確執が起きている。インフレ削減法関連のプロジェクトはゆっくりと展開されている。この法律が可決された時に見積もられていたよりもはるかに多くの費用がかかる理由の 1 つは、補助金の一部が上限なしの税額控除という形で提供されることにある。電気自動車の購入に対して 7,500 ドルの税額控除を希望する者は、かなり高額な所得上限があるものの、誰でもその控除を受けることができる。しかし、この控除は安価な中国製 EV には適用されない。というのは、「ビルド・アメリカ・バイ・アメリカ( Build America Buy America法 )」というバイデン政権の倫理観が反映されているからである。欧州の同盟国は、インフレ削減法の税額控除があまりにも手厚いため、自国企業がアメリカに新しい工場を建設する誘因になっていることに憤慨している。
バイデン政権によれば、2030 年までに、インフレ削減法によって二酸化炭素排出量を 2005 年のレベルから 40% 削減し、300 以上のプロジェクトで 30 万人の新規雇用が創出されるという。ディースよれば、アメリカにおける新規投資の 5% 以上がクリーンエネルギー関連であるという。2018 年の約 1% から大きく増えている。理由は、インフレ削減法の税制優遇措置が大きいため、民間企業の財務基盤が強力になったこともある。
ニューディール政策の時代には、民主党は労働者の政党、共和党は企業の政党という構図であった。その単純な区分が、1990 年代以降は複雑でわかりにくいものになった。バイデン政権は、少なくとも一部の企業、多くの労働者のために矢継ぎ早に多くの施策を推進した。民主党の主要支持層だけでなく、共和党支持層のためにも多くのことを実施した。大統領としての職務を必死にこなしたと言って良い。バイデン政権の各施策が、継続されるか否かは見通せない状況である。バイデンがいなくなることもその予測を難しくしている。