4.どちらが大統領になっても変えられないこともあれば、変えられるものもある。
カマラ・ハリスは、大統領選キャンペーンで忙しいからなのか、バイデン政権が資金提供するインフラ・プロジェクトの視察にはあまり時間を割いていない。その任務は、主に 2020 年大統領候補争いでの彼女のライバルであったピート・ブティジェッジが担っている。彼はインフラ投資・雇用法の旗振り役であった。上院の議席数は両党ともに 50 議席であったが、69 票を獲得して可決された。共和党議員の一部も賛成した理由の 1 つは、自分の選挙区で建設プロジェクトが増えるのが分かっていることである。共和党所属といえども反対するのは難しかった(対照的であるが、インフレ削減法に賛成した共和党議員は皆無であった)。ブティジェッジは、全米 50 州のインフラ投資現場で公開イベントを開催した。私は 1 週間ほど彼と中西部を回り、バイデン政権が資金提供したプロジェクトのいくつかを視察した。
ミシガン州メノミニー( Menominee )では、大型風力タービンを頻繁に出荷するミシガン湖( Lake Michigan )の小さな民営の港湾施設を訪れた。ここは、航路を深くしてアップグレードするために連邦政府から 2,100 万ドルの助成金を獲得したが、同社にとって初めてのことであった。ウィスコンシン州マニトウォック( Manitowoc )では、地元の製麦企業が、市内の小さな港から製品を出荷するのに役立つインフラ助成金を申請している。ミルウォーキー( Milwaukee )では、ウィスコンシン州の農家が作物を水路で世界中の市場に出荷するのを支援するため、連邦政府の助成金 900 万ドルを港湾施設が獲得した。インディアナ州ココモ( Kokomo )では、自動車メーカーが電気自動車の生産への移行のためのいくつかの設備を披露した。その内の 1 つは、エネルギー省から 2 億 5,000 万ドルの助成金を獲得している。これらのプロジェクトはすべて、クリーンエネルギー、雇用創出、労働組合結成、中西部の産業基盤の再構築という、バイデンの複数の目標を結び付けたものである。
ブティジェッジの体型はスリムで髪型はクルーカットである。トライアスリートである。ダークブルーのスーツに白いシャツ、ネクタイという出で立ちで、中西部の好青年の雰囲気を醸し出している。彼は礼儀正しく、時間に正確で、誰にでも敬意を払い、十分な情報を得ており、中西部の有権者が沿岸部出身者に抱く胡散臭いイメージが出ないように上手く立ち回っている。立ち寄った先々で、彼は自分の出身やアフガニスタンでの兵役について言及した。しかし、フォックス・ニュース( Fox News )に出た時に見せたような共和党寄りの態度は見せなかった。ミルウォーキーの南部では、レストランで農業従事者のグループと会った。主にひげを生やしたがっしりした男たちで、彼を待っている間、秋のステートフェアについて雑談していた。ブティジェッジは午前 7 時 45 分にレストランに入り、握手を交わした。「遅くまで起きていていただきありがとうございます」と彼は言った(農業従事者は夜明け前には起きる)。それから彼は長いテーブルに座り、1 時間かけて皆から話を聞いた。背後では音を消した壁掛けテレビからウィスコンシン州で予想以上に人気のある民主党上院議員、タミー・ボールドウィン( Tammy Baldwin )の広告が流れていた。ボールドウィンは、吸入器の価格上限導入における自身の貢献を強調していた。ブティジェッジと農業従事者たちは、5 軸トラックと 6 軸トラックの違い、加工大豆粕の経済的可能性、ミルウォーキー港の非コンテナ貨物取り扱い能力について話し合った。何度かブティジェッジはバイデン政権の大きなテーマに話を誘導しようとした。具体的には気候変動や反トラスト法違反への取り組みなどである。農業従事者たちは礼儀正しく応対したが、目先の現実的な問題と違って、それらのテーマは彼らの心に響かなかったようである。朝食会の後、ブティジェッジは港で公開イベントを行なった。巨大なサイロと 「アメリカの将来に投資( Investing in America )」と書かれた看板の前で、地元の名士たちに囲まれながら、バイデン政権が製造業だけで 80 万人の雇用を創出したと話した。聴衆は少なかった。
その後、港湾事務所ビルの空いている会議室でブティジェッジと私は会った。バイデン政権が反転させようとしている長期にわたる産業衰退をどう説明するのか尋ねた。「多くの人が、グローバリゼーションとオートメーションが原因だと考えている」と彼は言った。「しかし、私はもう少し違う説明をしたい。アメリカ経済を成熟させたのは産業振興策やインフラ開発のための投資が多かったことであるが、問題なのは、そうした投資をする意欲が無くなってしまったことである」。ブライアン・ディースも同様の指摘をしていた。産業振興策はエリー運河( Erie Canal )の時代にまで遡る由緒あるアメリカの伝統であるが、この数十年間で忘れ去られ、そのことがひどい影響を及ぼしている。しかし、それが今復活しつつある。ブティジェッジが言うように、バイデン政権の経済政策は「産業振興、労働組合への支援、インフラ等への大規模投資への支援など、過去の政権が間違って放棄したもののいくつか」を取り戻すものである。
私はブティジェッジに、バイデン政権の経済政策すべてを包括するような単一の評価基準を提示できないかと尋ねた。彼はそのことについてずっと考えていたと言った。「私が行き着いたのは、いつかこれをビッグディール( Big Deal )と呼ぶようになるだろうという考えである。フランクリン・ルーズベルトの政策がニューディール( New Deal )で、スクエアディール( Square Deal )がセオドア・ルーズベルト( Theodore Roosevelt )の国内政策に対する呼び名である。現在のバイデン政権の政策はビッグディールと呼ぶべきである。なぜなら、ある意味でその規模の巨大さが特徴的だからである。少なくともインフラ建設においては、過去の政権は一度に 1 つの施策にしか取り組まないことが多かった。州間高速道路網は巨大であるが、当時の施策は高速道路のみに限られていた。大陸横断鉄道は巨大であるが、その時も同様であった。ビッグディールはより複合的である」。
疑問に思うのは、なぜ世間はバイデン政権の経済政策をビッグディールと呼ぼうと思わないのか、あるいはビッグディールであると認識しないのかということである。私は、ココモでブティジェッジと話をした。場所は、電気自動車製造に携わる人材を養成するコミュニティ・カレッジの空き教室であった。この疑問を彼にぶつけてみた。彼は、新しい経済政策の実施を主導するバイデン政権幹部の常套句を口にした。各施策の効果が現れるまでにはしばらく時間がかかるだろうという主張である。
「政治的影響という点では 2 つのことが起こる」とブティジェッジは言う。「 1 つは、有権者が『橋が建設されてありがたい』と感謝することで、もう 1 つは有権者がありがたがって『これなら税金を喜んで払う』と考えることである。しかし、実際には、両者が同時に起こることは稀である。これはインフラ投資の政治的影響だけに限ったことではない。私が指摘したとおり 2 つのことが同時に起こることは非常に稀であるが、それが起こった際には非常に良いサイクルになる。重要なのは国民の信頼が得られるか否かである。左派や中道左派のアメリカ人が北欧諸国を参考にすることが多いが、そこでは政府が公平であるという高いレベルの信頼がある。それは、政府が税収を使って国民が喜ぶサービスを提供できているからである。政策の効果が出ているので、社会的、政治的な信頼のレベルが高くなっている。この好循環があるので、国民は税金で何かが実現すると、払った税金で政府の政策を支援できるので支援すべきであるという確信を持つ可能性が高くなる」。
彼はさらに続けた。「国民の信頼を得ることに加えて、もう 1 つ重要なのは、不平等を減らすことである。特に人種間の貧富の差や、生物学的特徴や社会的属性によってもたらされる差など、謂れのない不平等を減らすと、誰にとってもより良い政治環境になる。トニー・ジャット( Tony Judt )は著書「 Ill Fares the Land (邦訳:荒廃する世界のなかで―これからの「社会民主主義」を語ろう)」の中で、同じ平均所得であっても不平等が大きい社会では公衆衛生が悪化し暴力が増えるなど、あらゆる問題が発生することを示すデータを提示している。各種統計データによると 2019 年〜 2022 年の 3 年間には、人種間の貧富の格差が縮小している。あまり認識されていないが、これは偉業である。20 年後にその偉業を達成した為政者を有権者が高く評価する保証はないわけだが、アメリカの政治プロセス全体により良い影響を及ぼすと推測する」。
目を細めて見れば、ポスト新自由主義と民主党の連合の輪郭が見えてくる。急成長中のクリーンエネルギー産業(風力、太陽光、蓄電池、水素、電気自動車)は、ハリウッドやシリコンバレーと協力して民主党を支持するかもしれない。ジョージア州やアリゾナ州などの紫色に染まった州(共和民主両党の支持が拮抗している州)は、クリーンエネルギー関連設備投資が盛んである。ジョージア州は「バッテリーベルト( battery belt )」の中、アリゾナ州は「水素ベルト( hydrogen belt )」の中にあり設備投資が盛り上がっており、より青くなるかもしれない。バイデン政権は、J・D・バンスの故郷であるオハイオ州ミドルタウンの鉄鋼業を復活させるために数億ドルを費やす計画も検討している。バイデン政権が建設プロジェクトで労働組合組織化を強く主張することで、民間セクターでの労働組合組織化の長期にわたる低下が反転し始めるかもしれない(全国の労働組合化率は現在 6% で、1950 年代の約 3 分の 1 から低下している)。アメリカ家族計画の中にあった政策をよりうまく推進できれば、世帯収入を増やせるだけでなく、介護業界とその従業員組合も強化できるかもしれない。これらすべての政策は黒人やラテン系の家計を助けるものである。民主党に対する彼らの揺らぐ忠誠心を強化できるかもしれない。
民主党が政治的にうまくいくことを望んでいる具体例を紹介する。北米建築業労働組合( North America’s Building Trades Unions )は、アメリカ中でもっとの紛争を好み、男性が多く、共和党が何十年にもわたって支持に回るよう断続的に秋波を送ってきた労働組合である。その委員長ショーン・マクガーヴィー( Sean McGarvey )は、2017 年 1 月 23 日、トランプ政権の最初の執務日に多くの組合幹部を引き連れてホワイトハウスの前に立ち、短く熱のこもった声明を発表した。 「我々は、大統領、副大統領、そして上級スタッフと、これまでのキャリアの中で最も素晴らしい会談を行った・・・(中略)・・・大統領が我々に示した敬意は、全米の 300 万人の組合員に対しても示したものであり、非常に誇らしいことである」。5 年後、マクガーヴィーは建築業界の労働組合員が大勢集う大会で演壇に立ち、バイデン政権への熱烈な支持を 30 分にわたって訴えた。私はマクガーヴィーに何があったのかと尋ねた。彼は答えた。「トランプはやると言ったことを何もしなかった。インフラ整備もしなかった。トランプ政権時の全米労働関係委員会のメンバーは全員が労働組合反対派であった。年金問題でも何もしなかった。本当に何にもしなかった。彼は私に最初に会った時、あれもやるこれもやると約束した。しかし実際には、その後 4 年間トランプ政権は労働組合活動に常に攻撃的だった。対照的にバイデン政権は、私たちが要求しうる、あるいは想像しうるあらゆることを実現してくれた。私たちが頼む勇気もなかったようなことを、彼らはやってくれた」。バイデン政権のプロジェクトのおかげもあって、建築業労働組合はこの 1 年で 5 万人の新規組合員を獲得した。1950 年代以降で最大である。
バイデノミクスを設計した者たちに言わせれば、このような転換は始まりに過ぎない。政府が経済を作り直すという考えがいったん定着すれば、政策と政治は継続的に自己強化的なループの中で連動し始める。しかし、それは確実というよりも願望に近い。
2024 年の大統領選が最終盤に差し掛かった今、私たちが置かれている状況は極めて奇妙である。政治は現実ではなく認識を中心に展開されていると不満を漏らす有権者が多い。現実は、一方の政党、つまり共和党が変質してしまい、ある種の経済ナショナリズムとポピュリズムを受け入れるようになり、大統領選挙で勝利して皆を驚かせたということである。これは単なる奇抜な出来事ではなく、同じことが世界中で起きている。アメリカでは政権についたトランプ大統領が、掲げた公約ではなく、昔ながらの共和党と同様に減税と規制緩和政策を主に推進した。一方、民主党はトランプを支持するようになった有権者を取り返そうと努力した。その結果、2020 年の大統領選で勝利し、アメリカの労働者階級と中流階級の暮らしぶりを向上させることを目的とした野心的な法案を矢継ぎ早に可決した。それでも、限られた活動家や政策立案者を除けば、これらはいずれもそれほど評価されていない。もう 1 つ有権者が政治家について不満に思っているのは、多くの政治家は口先ばかりで行動が伴わないということである。この不満に関しては、バイデンの場合はほとんど正反対である。行動は多いが、口先はほとんどない。ハリスは選挙戦が進むにつれ、特に中西部の州を訪問した際に、経済問題についてより多くを語るようになったが、彼女の話す内容は他のバイデン政権幹部とはかなり異なっていた。もしバイデンの実際の経済政策が選挙戦の主要な話題であったなら、おそらく選挙の結果によってバイデンが実施した経済政策の将来が決められたであろう。しかし、それはあまり話題になっていないわけで、その将来がどうなるかは全く見通せない。
ハリスが勝利した場合、彼女はバイデンの経済政策をそのまま踏襲するだろうか?残念ながら最近のバイデンは自身の経済ビジョンをはっきりと示せていないが、ハリスは各種経済施策を含むすべてのアイデアを具体的に自分自身の言葉で提示する傾向がある。ハリスの元政策担当ディレクター、ロヒニ・コソグル( Rohini Kosoglu )は私に言った。「彼女が時々自分の部下たちに言うのは、友人に招待されて結婚式に出て、しばらくしてその友人の家に行き、そこでテーブルの上に置かれた結婚式のアルバムを見ることを想像しろということである。それを開いて、何を探すか?結婚式での自分の姿である。アメリカの有権者は、各種経済政策を考える際に、結果として自分たちの姿がどうなるかを知りたいのである」。ハリスが最も初期に提案していた経済施策であるスーパーマーケットでの値上げ禁止は、結果として有権者が喜ぶわけで、結婚式のアルバムの比喩の視点から評価すると良い施策である。しかし、その経済施策を規模が大きく効果も大きいと評価する者は皆無である。彼女の経済的バックグラウンドとバイデンのそれはまったく似ていない。バイデンはペンシルベニア州スクラントン( Scranton )という衰退しつつある工場労働者の多い都市に移住し、第二次世界大戦後にすべてを失った下層階級の家庭の出身である。ハリスの両親は上昇志向の強い移民であり、彼女の故郷は活気にあふれ多くのイノベーションを生み出しているベイエリアである。バイデンと仕事をする者たちによれば、バイデンはエコノミスト連中、特にエリート大学出身のエコノミストに対して本能的に不信感を抱いているという。ハリスは成功した学者の娘であり、父親は著名大学に長年勤めたエコノミストである。
ハリスは政治家として経済関連の問題を優先的に取り組んできたわけではない。そこは、サンダースやウォーレンと異なる。彼女は、バイデンの経済政策、特に独占禁止法、貿易、労働組合関連の取り組みに懐疑的なシリコンバレー( Silicon Valley )と強い結びつきがある。余談だが、彼女の義弟のトニー・ウェスト( Tony West )はウーバーの上級幹部で、現在は大統領選応援のために休暇中である。民主党幹部の中には経済関連の取り組みを重視する者が少なくないが、彼らはハリスの一挙手一投足を執拗に解析し、彼女がポスト新自由主義的か否かを探っている。2020 年にバイデンが大統領候補に指名された時と比べると、彼女が指名された時期はかなり遅い。そのため、彼女には政策アジェンダを設定したり、将来の政権幹部候補を決める時間がなかった。ジーン・スパーリング( Gene Sperling )はバイデン政権を去り、彼女の選挙キャンペーンにフルタイムで加わった。しかし、グーグル( Google )に対してバイデン政権が起こした訴訟の 1 つで、グーグル側の主任弁護士を務めたカレン・ダン( Karen Dunn )が、トランプとの討論会の準備をしたチームにいた。ハリスは頻繁に「機会の経済( opportunity economy )」を作りたいと言っているが、これはポスト新自由主義者が使う言葉ではない。むしろ彼らは「繁栄の共有( shared prosperity )」という言葉を好む。彼女はバイデンのキャピタルゲイン税と法人税に関する増税提案を段階的に緩和して税率を引き下げ、SEC (証券取引委員会)や FTC (連邦取引委員会)など企業に非常に不評な規制当局の活動を強化するつもりはない。ウォーレンは 1 月のボストンのラジオ局のインタビューで、バイデンがハリスを再び副大統領候補に指名すべきか否か問われた時に明確な回答を控えた。一方、ハリスは明らかに、児童税額控除や有給家族医療休暇などの介護関連の政策には熱心である。彼女からは、原則として政府の権限を制限する人物であるという気配は全く感じられない。
ハリスは、独占禁止法、産業振興、貿易、あるいは政府が市場経済を積極的に構造化すべきだという大きな考え方についてはほとんど語らない。彼女はこれらのテクニカルな問題を説明しても多くの有権者は理解できないだろうと考えているようである。あまり具体的なことは言わずに、中流階級を助けると訴えかけている。討論会での彼女の経済政策についての説明はやや精彩を欠いた。彼女が最も力を入れて主張したのは、ゴールドマン・サックス( Goldman Sachs )やウォートン・スクール( Wharton School )や多くの著名なエコノミストがトランプよりもハリスの計画を評価しているということであった。バイデンの控えめな姿勢とは真逆である。8 月にノースカロライナ州で行われたハリスの民主党大統領候補としての最初の主要な経済に関する演説で、彼女はトランプが計画している関税は実際には中間層への増税になると非難した。関税は税金であり悪い考えだというエコノミストの標準的な見解をハリスは受け入れているように見える。しかし、バイデンも重い関税を課している。中国製電気自動車などが対象である。ブティジェッジもバイデンが関税を課したことを評価していた。ブティジェッジは言った。「海外製品に関税をかけることで雇用が創出されることを保証できる。たとえその利益が無償でないとしても、国益は大きい」。ハリスはこれらの関税を維持するのだろうか?民主党の寄付者層の天敵であるリナ・カーンを FTC(連邦取引委員会) に留任させるのだろうか?ハリスが最初の演説で労働組合について述べた「あなたが望むなら、労働組合に参加できるべきである」という味気ない言葉は、バイデンと労働組合の親密な関係が弱まる兆候なのだろうか?
トランプが勝利すれば、バイデノミクスは解体されるのだろうか?おそらくそうならないだろうし、完全にはそうなるわけではないだろう。トランプが大統領任期中に通過させた数兆ドル相当の減税措置は、来年末に期限切れとなる。もしトランプが再選を果たせば、減税措置の延長を試みる可能性が高く、そうなると政府のできることが制限されることになる。しかし、バイデンの主要法案は廃止が難しいように設計されている。必要資金は法的に確保されており、各施策の実施スピードは今後加速されるように設計されており、トランプがバイデンの各施策をキャンセルすることを法的に困難にする仕組みになっている。バイデンの各施策では、支出の多くが選挙で選ばれた議員たちが好む種類のプロジェクトに向けられている。また、共和党支持の強い州や地区が対象であることが多い。トランプを支持する有権者を利するものも多いので、共和党が放棄するのは簡単ではない。
また、大言壮語、脅迫、芝居がかった演出の裏で、トランプは、彼自身を含め、これまでのどの共和党大統領候補からも想像もできない経済政策を掲げて選挙戦を繰り広げている。今や、トランプは前任期中に覆そうと努めたオバマケア( Obamacare )の維持に全力を注ぐと公言している。メディケアを削減せず、社会保障の給付を非課税にすることで社会保障費を増やし、チップや残業代への課税を撤廃すると約束している。彼は、大統領時代に導入したものよりはるかに大きな新たな関税を課したいと考えている。J・D・バンスは、児童税額控除を 2 倍以上の 5,000 ドルにすることを提案しているが、これには数兆ドル規模の費用が必要となる。主要なバイデン法案の中で最も脆弱なのはインフレ削減法であるが、トランプはそれを撤回すると約束するまでには至っていない。インフレ削減法の最大の助成先は国内電気自動車メーカーであるが、最も裕福で最も声高なトランプ支持者の 1 人は、電気自動車大手メーカーのイーロン マスク( Elon Musk )である。トランプのトレードマークは言行一致ではないわけで、容易に前言を翻す可能性が高い。
誰が大統領に選ばれるかだけでなく、その大統領が誰を経済関連の主要ポストに就けるか、そして上下院選挙の結果にも大きく左右される。ねじれ議会( divided Congress:大統領の政党である与党と、連邦議会の上院か下院、または上下両院の多数党が異なる状態)となり、アメリカ経済が深刻な危機に陥っているわけではないという認識が広まっている状況では、大きな変化をもたらす好機とはならないであろう。しかしながら、アメリカの政治状況は 2000 年初頭とはまったく異なっている。アメリカ国民は、気候変動の政治版を経験してきた。1996 年の一般教書演説( State of the Union Address )で、クリントンは「大きな政府の時代は終わった」と宣言した。政治の日々の混乱の中で、新しい目に見えない基盤ができて、大きな政府の時代が終わったのである。両党とも、政府が特に中西部に住む大学の学位を持たない有権者を失望させたという前提を受け入れており、積極的に彼らを取り込もうとしている。彼らが政治の世界の勢力バランスを決定するからである。トランプとハリスはともに副大統領候補をその視点で選んだ。両党とも、そうした有権者に対する不当な扱いは、自由市場への過度の信頼が原因であることを認めている。誰が大統領になっても自由市場を過度に信奉するエコノミストたちが政権中枢を牛耳るような事態は発生しないであろうが、だからといって全ての問題が解決するわけではない。両党は、同じ目標を掲げていてもどのように達成するかについては根本的に異なる考えを持っている。内容も価値観も方法も、そしておそらくは誠実さも異なる。政府の役割の拡大という新しい概念を体現化するのは次の大統領である。誰がなるかによって、今後の数年間で大きな差が出るであろう。♦
以上