4.”Freewrite”(2016年リリース)は結構集中して書き物できる
しかし、最近ではさまざまなアプリやプログラム等にフォーカス・モードが付くようになりました。フォーカス・モードが有るワープロでは、文章を書き進める際に、編集や書式設定や見栄え等を気にせずに済むようになるので集中できるわけですが、ネットに繋がっていないということも気を散らさず集中するためには重要なことです。しかし、ネットに繋がっていないパソコンを使ったとしても、気を散らさせる誘惑は沢山あります。古い写真やダウンロード済みの音楽や自分がこれまでに作ったファイルなどが気になって集中できない可能性がないわけではありません。知識豊富な起業家が通話機能のみしか持たない携帯電話を蘇らせて市場に再投入しましたが、機能が限られているが故に、気を散らすことが少なくなるという理由で結構売れているようです。ダムフォン(通話やSMSなど最低限の機能のみしか持たない携帯電話)と呼ばれています。そうした世間の風潮を見ていると、どこかの企業がスタンドアローン(ネットに繋がらない)のワープロを復活させたことは必然だったのかもしれん。
2016年に発売されたスマートタイプライターの”Freewrite”は、カチカチと音のするメカニカルキーボードとインデックスカードほどのサイズ(3×5センチ程)のe-ink(電子ペーパー)のディスプレイを搭載しています。重厚で小さなランチボックスほどの大きさです。それを使う際には、文字キーとバックスペースキーは使えますが、それ以外のキーはほとんど使えません。デフォルトの設定では、一度に表示でされるテキストはたったの10行のみです。(ちなみに、有名な小説家のウラジーミル・ナボコフは蝶の生殖器を顕微鏡で研究することが趣味で細かい作業が得意だったようなのですが、小説「ロリータ」を書く際にはインデックスカードを原稿用紙の代わりに使っていました。その際には1枚のインデックスカードに14行という体裁で書き進めていたようです。)そのスマートタイプライターには、マウスもタッチパネルも矢印キーもありませんし、タッチペンも使えませんので、修正するとなるとバックスペースで削除して文字を書き直すしかありません。それにはちょっとだけイライラさせられます。書き物をする際には、誤字や脱字を気にせず、ただひたすら書き続けることを要求されるわけですが、そうした制約があるが故に書き進めるという行為に集中することが出来ます。書き進めるスピードが鈍って遅くなると、ディスプレイに、「自由に書き進めなさい!」という命令文が表示されます。そして、シェイクスピア、アガサ・クリスティ、チャールズ・ディケンズ、ジェーン・オースティン、アイザック・アシモフの肖像画が、順番にその命令文の上に立ちはだかるように現れます。
そのスマートタイプライター”Freewrite”を開発したのは、アダム・リーブとパトリック・ポールです。2人とも物書きが正業ではありません。しかし、プロの書き手が文章を紡ぎ出すのに苦労している状況を改善できるアプリを開発すれば人気が出るだろうということに、2人は気付いたのです。多くの物書きが、スタンドアローン(ネットに繋がらない)のワープロを欲しているように思われました。2人は2013年にデトロイトの起業家育成塾で知り合ったのですが、直ぐに、物書きの心をインターネットから遠ざけられ、クラウドにファイルの保存ができる機能を有するワープロを開発すべきだと思い至ったようです。リーブは、ミシガン州に設立した会社の本社で私に言いました、「試作品の作成に取り掛かりましたが、すぐに、とても簡単に作ることが出来ました。出来上がった試作品を何人かの物書きを正業とする人に見てもらいましたが、とても好評でしたね。」と。リーブとポールが、電子機器の新製品コンテストに”freewrite”のプロトタイプを出品したところ、非常に好評で話題を独り占めしました。それを受けて、2人は”Freewrite”の製造と販売をするために、アストロハウス社を設立することに決めました。クラウド・ファンディングで(Kickstarter.comのサービスを利用して)資金を募ったところ、僅か20時間で20万ドルを調達できました。
これまでに、”Freewrite”は数千台も売れたのですが、アストロハウス社は機種を2つ増やしました。1つは、小型化して携帯しやすくなった”Freewrite Traveler”です。もう1つは、ヘミングウェイをイメージした”Hemingwrite”で、ヘミングウェイが「初稿の出来栄えはいつも悲惨だ!」と言及していたことを受けて、文言の修正がしやすくなっています。”Hemingwrite”は、一旦最後まで書き進んでからでないと、修正作業が出来ないような制御がかかっています。大学の創作コースの授業でも一旦最後まで書き進めるという方法を推奨しているようですので、良い機能だと思います。リーブは言いました、「書くことに集中するために必要でないものは、全て取り除きました。一旦、上から下まで全て書き進んでから、後で推敲して修正をするのです」と。バックスペースキーを装備しないことも検討しましたが、それはちょっと行き過ぎだと判断しました。また、快適性も重視しました。それで、e-ink(電子ペーパー)を採用して目の疲れを軽減させました。また、メカニカルキーボードを採用してタイピングしやすくしました。リーブは、”Hemingwrite”の外観はどことなくレトロフューチャー的だと言いました(レトロフューチャーとは、過去の人々が思い描いていた未来像のこと)。
アストロハウス社の製品は、その独特な外観から不評を買うこともありました。実際、ウェブメディアのMashableが、”Freewrite”のことを奇をてらい過ぎているとして酷評していました。”Freewrite”を気に入って使っている者の中にも、人前でそれを使うのは憚られると認めている人が少なからずいるようです。6百ドルという強気の価格設定も不評です。巷には、「Wi-Fiをオフにするだけで再現できる環境を作るために6百ドルも払うのは馬鹿げている。自分をコントロールして書くことに集中たするためだけに、こんな高価なガジェットを買わなければならないのか?」という意見が溢れているようです。それはリーブも認識しています。しかし、リーブは、多くの消費者が機能が限定されたツールに喜んでお金を払うようになってきていると主張しています。彼は言いました、「自分の人生をコントロールしたいのであれば、日々の生活を充実させる必要があります。集中できるツールを使うことはとても重要なことです。」と。
私は、”Freewrite ”を試しに使ってみました。完全に書くことに集中できたとは言いませんが、様々な雑念が頭をよぎるような状況からは開放されましたし、ちっとも筆が進まないという状況には陥りませんでした。この記事を書き始めるために、私は小さな折りたたみ式のテーブルの上にそのスマートタイプライターを設置しました。いつも書き物をする際にはノートパソコンを使っていたのですが、使うものが変わるだけでも、良い気分転換になって、書くことに集中できそうな気がするから不思議です。気分が乗って来たような気がしたので、私は”Freewrite ”でひたすら単語を打ち続けました。それは、リアルタイムでクラウド上に同期されているので、ノートパソコンを開けると直近で入力した内容が見れました。まるで、私が興味を示さなかった書類を誰かがきちんとファイルに綴じておいてくれたような感じで、至れり尽くせりだと思いました。入力する際に使うメカニカルキーボードはバネが効いており、使用感はとても良好でした。
私の勝手な推測ですが、ワープロを最初に使った物書きは、タイプライターを使うよりもキーの打刻が軽いし、機能も多いので快適だと感じたでしょう。しかし、本当に快適なのは、どちらなのでしょうか?私は、タイプライターよりもワープロの方が快適だと自信を持って言うことは出来ません。私がキルシェンバウムから聞いた話では、ラルフ・エリソン(小説家)もオクタヴィア・バトラー(SF作家)も、ワープロやパソコンを使って小説を書こうとしたことがあるものの、完成させることは出来なかったそうです。キルシェンバウムは記しています、「集中して書くことによって、傑作は生み出されます。しかし、集中して書くということは非常に難しいのです。」と。タッチスクリーンは便利ですし、パソコンを使う際に予測変換機能でテキストが自動で表示されるのも便利です。それ以外にも便利な機能がいっぱい増えています。しかし、だからといって書くことに集中できるようになったわけではありません。