4.ドイツには、二酸化炭素排出量削減の模範例を示す義務がある
2020年に中国は石炭火力発電所を新たにいくつも建設しました。その数は、中国以外の国が新設した数の3倍以上でした。昨年、二酸化炭素排出量の抑制に着手すると何度も宣言していたにもかかわらず、中国の石炭産出量は40億トンで過去最高となり、前年比5%弱の増加でした。ドイツの石炭産業擁護派は、そうした数字を引き合いに出したり、ドイツの温室効果ガス排出量の世界全体に占める割合はわずか2%であると指摘することが多々あります。ドイツでは、石炭産業が生み出している利益は微々たるものです。では、なぜ、ドイツは石炭からの脱却になかなか踏み出せないのでしょうか。
ドイツの石炭使用による二酸化炭素排出量は微々たるもので、石炭からの脱却を急ぐ必要はないという主張は、気候変動への取り組みが盛んなドイツでは通用しません。多くの環境保護活動家やエネルギー政策専門家が、ドイツには二酸化炭素排出量を削減する責任が大いにあると言います。かつて、ドイツは工業化が進んだ国でしたので、大量の二酸化炭素を排出していました。しかし、ドイツの多くの製造業が生産拠点をアジアに移し、ドイツの消費者は他国で生産された製品に依存するようになりました。その結果、ドイツの二酸化炭素排出量はかなり減り、その分がそのまま他の国で増えました。ですので、ドイツは他の国で増えた二酸化炭素排出量と無関係ではなく、責任ある行動をとるべきなのです。裕福な国であるドイツには、二酸化炭素排出量削減の模範例を示す必要があるのです。クリーン・エネルギ―・ワイヤー誌のベルリン特派員のベンジャミン・ワーマンは言いました、「裕福な先進国であるドイツが、大量の二酸化炭素を排出することなく繁栄を維持できる仕組みを構築して他国に範を示せれば、その影響は非常に大きいでしょう。各国がこぞって真剣に二酸化炭素排出量削減に取り組むようになるでしょう。」と。
しかし、ドイツが脱石炭に取り組むことは、他の国よりも難易度が高いのです。というのは、ドイツでは昔から反原発運動が盛んだからです。ドイツは、米ソの核戦争に巻き込まれることを極度に恐れています。それで、2000年に、社会民主党と緑の党(元々、反原発運動がルーツ)による連立政権が誕生したのですが、両党は脱原発で合意しました。2009年に中道右派のキリスト教民主同盟が政権を奪還すると、メルケル首相は脱原発の方針を転換しました。しかし、2011年に福島原発事故が起きたことを受け、メルケルは11年以内に国内で稼働している17基の原発をすべて閉鎖すると発表しました。そして、不足する電力(当時、原発は総電力の4分の1近くを供給していた)を補うために、再生可能エネルギーを拡大すると発表しました。そうして”Energiewende ”(エネルギー革命)が加速されました。
その後、ドイツは風力発電と太陽光発電の電力供給量を大幅に増やしました。8,300万人もの人口を擁する国が自然エネルギーに大きく舵を切ったことで、世界の風力発電や太陽光発電の設備の価格が大きく下がりました。それによって、ドイツの自然エネルギーの発電コストも大きく下がりました。しかし、設備価格下落の代償として、ドイツの多くの太陽光発電パネル製造メーカーは廃業に追い込まれました。安価な中国製の太陽光パネルが各国の市場を席巻したからです。
しかし、ドイツでも近年は太陽光発電や風力発電の拡大は頭打ちになりつつあります。理由は3つあります。多くの州が風力発電設備の設置を制限しています。また、多くの環境保護活動家や地域住民が風車や送電線の設置を好ましく思っていません。また、風力発電開発業者への補助金が削減されたことも影響しています。2021年前半には、石炭火力発電による電力供給量が風力発電を上回るまでに回復しました。エネルギー政策の専門家の多くが指摘しているのですが、ドイツが再生可能エネルギーのみで総電力を賄うという目標を達成するためには、風力発電設備を現在の4倍に増やす必要があるそうです。そうすると、国土の2%を風車が占めることになるそうです。また、ドイツの電力料金は既に世界で最も高いレベルになってしまっており、国内製造業が国際競争力を維持しようとする際の足かせとなっています。
こうした困難な状況を受けて、ドイツ政府は2018年6月に”Kohleausstieg”(脱石炭)のための委員会を立ち上げました。ドイツの一人当たりの炭素排出量は、依然としてEUの平均を大きく上回っていました。環境保護活動家たちは迅速にそれを削減するよう求めており、2012年以降、何百人もの環境保護活動家が、褐炭炭鉱の拡張によって危機にさらされているドイツ西部の森、ハンバッハの森を占拠し続けていました。しかし、ドイツには課題が沢山ありました。まず、石炭火力発電所と原子力発電所の両方を自然エネルギーに置き換えなければなりませんでした。その上、電気自動車の急速な普及が見込まれましたので、そのために増える電力も賄う必要がありました。ですので、石炭から完全に脱却する時期をいつにするかということは、慎重に決めなければなりませんでした。(テスラ社は、先日、ベルリン郊外に電気自動車組立工場を完成させました)。
委員会が発足して、脱石炭に関連して、経済成長や産業構造の変革や雇用維持なども議論されました。委員会は31人のメンバーで構成されていました。メンバーは、環境保護活動家、有識者、産業界の代表、労働組合員、炭鉱のある地域の住民、国会議員などでした。委員会はベルリンで定期的に開催され、炭鉱が多い地域を視察したりしました。2019年1月に委員会の最後の会合(午前5時まで続いた)が終わりました。2038年までに完全に石炭から脱却するという行動計画が全会一致で採択されました。2020年7月、連邦議会で脱石炭に関する法案が可決されました。法案では、各炭鉱の閉鎖時期が個別に具体的に定められていました。原子力発電所の閉鎖時期も同様に定められていました。また、補償費用についても定められていました。電力会社への補償が44億ユーロで、高齢労働者が早期退職する際の補償が50億ユーロとなっていました(若年労働者が再就職先を探す間の補償額は別枠では確保されていました)。また、炭鉱の多い地方の炭鉱閉鎖後の地域振興を支援するために400億ユーロの補償金が確保されていました。
第二次大戦後のドイツでは、幅広い層の意見を聞いて合意形成するというプロセスが非常に重視されています。脱石炭のための委員会では、とことん意見を出し合って素晴らしい結論が導き出されました。緑の党の連邦議会議員のイングリッド・ネスレは言いました、「根本的なレベルで、いろんな立場の人がお互いに意見を出し合って脱石炭のために団結できたことは、非常に素晴らしいことです。」と。アメリカの気象学者も合意が形成された過程に感心していたようです。「環境保護団体、労働組合、経済界が一緒になって議論したのです。いろんな立場の人が一緒になって議論することが重要なのです。そこで手を抜かなかったことは、非常に素晴らしいことだと思います。」と、ウェストバージニア州出身のエネルギー政策に詳しいアナリストのジェレミー・リチャードソンは言いました。彼は、以前、”Union of Concerned Scientists”(憂慮する科学者同盟)のメンバーでした。
せっかく素晴らしい合意が形成されたのですが、変更すべきとか破棄すべきという声が出てくるまでに、時間はかかりませんでした。変更すべきという声を上げたのは、環境保護団体や緑の党のリーダーたちでした。EUが2030年までに炭素排出量を1990年比で55%まで削減するという新たな野心的な目標を掲げたことに対応して、完全に脱石炭を成し遂げる期限を前倒しする必要があると主張し始めたのです。2021年4月には、ドイツ連邦憲法裁判所は、ドイツの気候変動への取り組みは地球温暖化を防ぐには十分でないとの判決を下しました。その3ヶ月後の7月に、ベルギー国境に近いドイツ西部で大雨によって壊滅的な洪水が引き起こされました。その洪水により、少なくとも180人が死亡しました。町全体が壊滅的な被害を受けたところも複数ありました。それにより、気候変動対策への注目度がいくぶん高まりました。
昨年の夏にメルケル首相の後任を決める選挙が行われたのですが、気候変動対策は大きな争点になっていました。米国の大統領選のテレビ討論会では、それはほとんど話題になりませんでした。両候補は、気候変動が現実に起きているか否かという点でも意見が一致していませんでした。私はドイツの討論会を3回ほど見たのですが、各候補は気候変動に対して造詣が深く、それぞれ自分の意見を持っていました。「気候中立」や「石炭の段階的廃止」とか専門的な用語を普通に使っているのを見て、私は結構驚きました。社会民主党のオラフ・ショルツ候補は、炭素排出量の削減が急務であるという点で、緑の党のアンナレナ・バーボック候補と意見が一致しました。9月26日に選挙が行われたのですが、社会民主党はメルケル首相率いる中道右派政党のキリスト教民主党を上回る票を獲得しました。それで、緑の党と自由民主党(中道リベラル)は連立交渉に入ることで合意しました。
AfD(ドイツのための選択肢)の全国での得票数は減少したものの、ルザティア地方や東ザクセン州近郊の石炭産業が盛んな町では、4年前よりも得票数を伸ばしました。