5.ドイツでも米国でも炭鉱関連の職は減りつつある
ルザティアの西端に位置するラウフハンマーにある風力発電機を作っている工場で、私はAfDの支持者に会いました。その工場は、デンマーク資本のヴェスタス社が2002年に開設したもので、かつては”Energiewende”(エネルギー革命)を象徴する工場と見なされていました。100年前にルザティア地方で初めて炭鉱が開かれたラウフハンマーで、現在では再生可能エネルギーを生み出す機械がつくられているのです。しかし、選挙の1週間前、ヴェスタス社はこの工場を閉鎖すると発表しました。この決定は、ドイツにおける風力発電設備の設置が頭打ちになっていることが原因だったようです。この工場で働く46人の従業員は、今年前半には解雇される予定です。
ある平日の夕方に私はその工場に行きました。小雨が降る中、駐車場で待っていると、しばらくして1人の若い男性が自分の車に向かって歩いてきました。コーネル・ケルナーという名の31歳で気さくな性格の従業員でした。この工場で5年間、技師として働いた後、管理職に昇進していました。彼は、ここの仕事が気に入っていたのですが、この先どうしたら良いか分からないと言っていました。ルザティア地方で沢山人を雇いそうな企業というと、BASF社(世界最大の化学メーカー)くらいしかありませんでした。BASF社の工場がシュヴァルツハイド近郊にあり、バッテリー製造設備の増強を計画しているようです。彼は、ルザティア地方から離れた地で仕事を探すことも検討したのですが、断念しました。最近家を購入したばかりで、家族と離れたくないという思いがあったからです。「この地域で仕事を探すしかないんだ。」と、彼は言いました。
ケルナーにとって、現実を素直に受け入れるのは少し困難な状況でした。まず、再生可能エネルギーを強化すべき時期に、風力発電設備の製造工場が閉鎖されることが納得できません。しかも、工場のあるルザティア地方は、脱石炭のための補償金を受け取っていて産業構造転換を推し進めなければならないはずです。ケルナーはそうした不可解な事態に直面し、AfD(ドイツのための選択肢)を支持するに至ったと言っていました。彼は言いました、「私はAfDが極右だから支持しているわけではありません。AfDは既存の政党と全く違うことを提案してくれると期待して支持しているのです。」と。それで、私は彼に聞き返しました。AfDがルザティア地方や彼のような人々を助けるために何をしてくれるかを。具体的に教えて欲しいと言いました。しかし、彼は具体的なことは何も言いませんでした。彼の答えは非常に抽象的なものでした。「AfDなら何かしてくれるだろう。必ず、やってくれますよ。」と、彼は言いました。
ドイツでは、仕事を求めて他の土地に移り住むということをする人はあまり多くありません。ドイツ西部にあるガルツヴァイラー炭鉱で労働組合の代表を務めるクラウス・エメリッヒは、言いました、「ドイツ人の多くは同じ場所に住み続けます。”Heimat”(故郷)に住み続ける人が多いのです。」と。ドイツ語の”Heimat”という語は、「故郷」と意味が近いのですが、ドイツ人は故郷により強い愛着を持っているようです。
ここで再び米国に話を戻します。米国の石炭産業が盛んな地域でもドイツと同じことが起こっています。そうした地域に住む者の多くが、特に若い人たちは、そこに残るか、職を求めて他に移り住むかで迷っています。オハイオ州南部の閉鎖中の石炭火力発電所で働いていた海軍の退役軍人であるジョン・アーネットは、2018年に私に言いました、「ここは私の故郷みたいなものですよ。私は仕事でいろんなところに住みましたよ。米国外で暮らしたこともありますし、南半球に住んだこともあります。でも、今はここが一番気に入っています。ここに住み続けたいですね。どこでも良いから1箇所に住み続けるべきだったと思うこともありますよ。ここは世界で一番美しい場所だと思いますね。特にきれいな丘が気に入っているんです。」と。
産業が衰退して経済的合理性が失われた地域の人たちにはバスや飛行機の切符を与えて出ていってもらうしかない、ということを主張する経済学者や評論家もいます。そうした主張に対して、そこに住んでいる人たちは非常に憤慨しています。米国では、州境を越えて移り住む人の割合は、90年代初頭と比べると半分以下になりました。こうした傾向の背景には、大都市での生活費の高騰があるようです。また、伝統的な核家族が崩壊して、育児や老人介護を身内全員で分担しなければならなくなったことなどが原因であると考えられています。
東ドイツでは、ドイツ再統一後の数年間で多くの若者が国外に移り住みました。そのため、今いる場所に住み続けるか、他に移り住むかを決めるのは、いろんなことを考慮しなければならず容易なことではありません。ディー・ツァイト紙(ハンブルクに本拠を置く、週刊発行される全国新聞)の推定によれば、旧東ドイツの人口の4分の1に当たる370万人が、国外に移住したそうです。私は、先日、ホイエルスヴェルダの居酒屋で、イェルク・ミュラー(56歳)と話をしました。彼は、ドイツの自動車メーカー向けの塗料を作るBASF社の工場で働いていました。若い頃は、鉱山技師として父親が勤めていた炭鉱で清掃の仕事をしていたそうです。父親は、男手一つで彼を育てたそうです。妻をガンで若くして亡くしたからです。彼は、エネルギー価格の高騰がBASF社の経営に与える影響を懸念していました。しかし、彼の最大の関心事は、成長した子供たちのことでした。いずれも親元を離れています。1人はドレスデンへ留学しています。もう1人はヘッセン州カッセルで就職しています。私は彼にどのくらいの頻度で息子たちに会うか聞いてみました。すると、彼は「年に1、2回くらいかな。」と、答えました。