9.核融合発電実用化の見通し
その実証実験の直後、元科学技術関係審議会次官でコロンビア大学グローバルエネルギー政策センターの客員研究員のポール・ダバーは、ヒル誌に載せた論説文で「核融合時代の幕開けだ!」と宣言しました。彼はこの分野に対する政府の支援を拡充するよう促しました。ダバーは多くの核融合を研究している物理学者と同様に、CFS社の計画に非常に注目していました。CFS社の主張によれば、計画では2025年までに核融合発電装置の実証用設備を開発可能で、その装置は旧来の概念を覆すレベルの量の電力を生み出すということでした。
しかし、核融合によって生み出された電力が家庭に供給されるまでには、まだまだ沢山の技術的な課題が残っています。核融合装置で長期間プラズマを維持する必要がありますし、安全な燃料(トリチウム)サイクルを構築する必要もあります。また、廃棄物の処理方法も確立しなければなりませんし、超高温・超高圧で使い続けても問題ないレベルの炉を作らなければなりません。それらが全て解決される日は、いつ訪れるのでしょうか?それは誰にも予測できません。思いのほか早く訪れるかもしれませんし、永遠に訪れないかもしれません。
プリンストン大学のカウリーは私に言いました、「判断するのは非常に難しいのですが、CFS社が実験を成功させたことは、核融合研究にとっては非常に大きな前進です。しかし、私は生まれながらにして非常に慎重な性格なので、核融合発電の実用化はまだまだ先の話だと思っています。CFS社は単に課題を1つクリアしただけです。実用化にはクリアしなければならない課題が山ほどあります。また、私が心配しているのは、非常に注目されているCFS社が実用化を成し遂げることが出来なければ、核融合に向けられている期待もしぼんでしまうのではないかということです。そうなると、この分野への投資資金も減ってしまうでしょうから、本当に冬の時代に突入するんじゃないかと心配しています。」と。
カウリーは、核融合研究の将来について冷静に分析することもありましたし、悲観的な分析をすることもありました。以前、カウリーは私にエディントンが核融合に関する論文を発表したこと等を教えてくれた人物です。エディントンの論文にはイカロスに言及する部分があって、それで私は核融合研究について興味を持つようになったのです。カウリ―は言いました、「核融合発電の実用化の研究はまだまだ先が長いと思わざるを得ません。いずれ時が経てば実用化されるとは思います。時が経てばテクノロジーも進化しますから、現状では不可能なさまざまなことが容易にできるようになっているはずですから。ライト兄弟は物理学者でも研究者でもありませんでした。どちらかというと技術屋でした。それで、新しいアイディアをどんどん試してみようという気概を持っていました。どんどん試す内に、当時の最新のテクノロジーがたまたま彼らの課題を解決してくれたおかげで成功できたのです。CFS社の研究チームのメンバーは若い者ばかりで、挑戦心に満ち溢れ、どんどん試行錯誤を繰り返しています。」と。科学分野で偉大な発明や発見が為される際には、そうした挑戦心が必須です。カウリ―は、先ほどまでの悲観的な見通しを覆すようなことも言及しています。彼は言いました、「課題が次々と解決されて、いずれ核融合発電は実用化されると私は確信しています。紆余曲折はあるでしょうが、いずれ実用化される時が間違いなく来ます。」と。
1901年、アメリカ海軍の研究開発・調達担当次官補が重航空機(翼周りの大気の流れによって生じる揚力(動的揚力)によって浮き、飛行する航空機のこと)の開発について次のように記していました、「冷静に自然の摂理から分析すると、現在海軍で研究を進めている重航空機の開発は不条理とまでは言わないものの、必ずしも可能だとも言えない。」と。一方、ライト兄弟のマインドは違っていました。当時、ライト兄弟は急ごしらえで実験用風洞を作り航空力学を研究していました。しかし、それから初めて迎えた夏は、キティホーク号が飛ぶことは無く、失意の中で過ごさなくてはなりませんでした。その頃、兄のウィルバーは弟のオービルに「人類は1千年も経たない内に、空を飛び回るだろう。」という自分の予測を打ち明けました。それから2年後、兄弟は飛行機を12秒間飛ばすことに成功しました(1903年)。それから数年後には何時間も飛べるようになっていて、観衆に向けて曲芸飛行で8の字を描いて披露していました。セオドア・ルーズベルト大統領がすぐにオービルと一緒に飛行機に乗って飛びたいと希望していると伝えられた時には、オービルは大統領からの要求を拒絶するようなことはしなかったものの、大統領職にある者が危険と背中合わせの飛行機に乗るのはいかがなものかと思いました。♦
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