燃料は水素(重水素と三重水素)だけ!原子力発電と異なり核廃棄物も出ない!核融合発電の実用化はまだ?

2. MIT は核融合発電のライト兄弟になれるか?

 「正直なところ、私はかなり落胆しました。学生たちにも同様に落胆の色が見られました。」と、MITのプラズマ科学・核融合センターの所長のデニス・ホワイト(57歳)は言いました。2013年のことですが、MITの実験用核融合装置は、明確な理由を告げられることなく、米エネルギー省から資金が入って来なくなりました。核融合の分野は、全体として、まだ研究開発が進んでいるものの、その速度ははかばかしくなくゆっくりに見えました。フランス南部のITER(国際協力によって核融合エネルギーの実現性を研究するために作られた実験施設)で研究が進められていて、計画では2035年に核融合運転を開始する予定で、多くの物理学者が計画通り実施できるとの確信を持っています。しかし、ホワイトは、自分が死ぬまでに核融合によって安価に大量の電力を生み出すことは不可能だろうと認識しています。それどころが教え子たちが死ぬまでにも無理だろうと考えています。彼は言いました、「ITERの取り組みは科学的な観点から見ると非常に興味を引くものではあります。しかし、経済的な観点から見ると全く不愉快なものでしかありません。私は、ほとんどこの研究からは身を引きました。」と。

 ホワイトはカナダのサスカチュワン州出身です。彼が私に言ったのですが、本当に何もないような所だったそうです。彼の家族は農夫や電気技師などでした。彼は小学5年生の頃に科学者になりたいと思うようになりました。高校2年時に作成した学期末レポートでは、SF小説に出てくるような装置について記していました。それは、非常に斬新なアイディアで、2つの原子を核融合させてほぼ無限のエネルギーを放出する装置でした。恒星内部で起こっていることを起こさせるような装置でした。彼は言いました、「そのレポートを先生から返してもらう時に、『素晴らしいレポートだ!でも、複雑すぎて先生は良く理解できないな!』と言われて褒められたことは今でも覚えていますね。」と。ホワイトはサスカチュワン大学に進み、機械工学と物理学を専攻しました。その後、ケベック大学に新設されたばかりのプラズマ物理学研究室に加わり、博士号を取得しました。そこの核融合研究設備には、政府からの資金援助がありました。彼は言いました、「そこでは非常に素晴らしい研究成果をあげることが出来ました。特にトカマク型の研究が進みました。」と。トカマク型というのは、核融合装置に広く使われている大型のドーナツ型の装置です。その後、ホワイトはサンディエゴの研究施設に移りました。彼はいずれはカナダに帰ってケベック大学に戻ろうと計画していたのですが、ケベック大学の核融合施設への政府からの補助金が打ち切られてしまいました。彼は言いました、「私は米国で立ち往生するしかありませんでした。カナダには戻るところが無くなってしまいました。」と。

 マサチューセッツ工科大学では、ホワイトは大学院生に工業デザインを教えていました。毎年講義の内容を変え、核融合に関する実践的な課題について研究させていました。「私は院生には、物理学的な知識だけでなく、工学的な知識も習得して欲しいと思っていました。」と彼は言いました。2008年に彼が院生たちに与えた課題は、水素ではなくヘリウムを吸い上げる装置を設計するというものでした。通常、核融合では水素が燃料として使われ、ヘリウム灰がたまります。「ヘリウムは周期表の中でも最も活性が低いので、吸い上げるのが非常に難しいのです。」とホワイトは述べています。院生たちのアイディアは非常に優れたものが多かったのですが、いずれも実用化には至っていません。ホワイトは、その課題に取組み続ける必要があって、実用化は必須であると言っていました。

 翌年(2009年)、ホワイトが核融合の実現可能性を再認識するような出来事がありました。「私は同僚のレスリーを廊下で追い越しました。レスリーが抱えていたのはカセットテープのテープのようなものが束になったものでした。それは新しい材料でした。HTS(高温超伝導体)のリボンでした。超伝導体は、電気の流れる際に全く抵抗がない材料です。その性質のおかげで、理想的に効率的な電磁石が作れますし、その電磁石はトカマク型の根幹を為すものです。HTS(高温超伝導体)は、非常に重要なもので、核融合の実現可能性を大きく高めるものです。19世紀中頃に生ゴムを加硫する技術が生まれたのと同じくらい画期的なことです(ゴムの加硫とは、生ゴムに硫黄等を混ぜてゴムに弾性と耐熱性を持たせる技術のこと)。ホワイトの同僚レスリーが持っていたHTS(高温超伝導体)は、理論上、これまで存在していたよりもはるかに強力な磁場を作ることができ、それを使えれば、核融合炉を大幅に小型で安価にすることが出来ます。ホワイトは、「磁場を2倍にするごとに、同じ量の電力を生成するために必要なプラズマの量は16分の1に減ります。」と説明しました。核融合は、内含されているプラ​​ズマが1億度以上に加熱された時に起こります。ホワイトは、この新しい材料を使って、小都市に電力を供給するのに十分(500メガワットレベル)で、コンパクトな核融合炉を設計するように院生たちに指示しました。 彼は言いました、「HTS(高温超伝導体)の活用方法を十分認識できていませんが、とても画期的なものであることだけは確かです。」と。

 ホワイトが教えていた院生の中には、物理学者のボブ・マムガード、ダン・ブルナー、ザック・ハートウィグらがいました。彼らが協力して設計した核融合炉は、それほど目新しいものではありませんでした。その中心には、ホワイトが院生らと散々研究し続けてきたタイプと同じでドーナツ型のトカマクがありました。彼らは新たに設計した核融合炉を”バルカン”と名付けました。翌年は、1つ下の学年の院生たちが研究を引き継ぎ改良を続け、バルカンを改良した核融合炉を作りました。”ARC炉”(もしくはARCリアクター)と名付けました。ちなみに映画「アイアンマン」で17歳でMITを首席で卒業したという設定の主人公トニー・スタークが発明した核融合反応炉の名も「ARCリアクター」です。ちなみに、院生らが設計したARC炉は映画とは直接的な関係は無く、ARCは、Affordable=手ごろな値段、Robust=頑丈な、Compact=小型の頭文字を表しています。ARC炉では、液体の溶融塩が循環しながら中性子を減速するとともに、発電用の熱交換媒体としても使われています。また、「モジュールコア」が採用されており、メンテナンスや材料を変化させる性能向上実験がしやすくなっています。ARC炉の核融合で出てしまう廃棄物のリサイクルをすることはできないものの、かなり画期的な核融合炉でした。高温超伝導体の磁石を採用しているため、強度が2倍の磁場を発生させるコイルを作ることが出来るため、同じ出力なら、重力と容積を旧来の核融合炉(ITER等)の10分の1のサイズにすることが可能です。

 ホワイトの研究室の多くの院生たちが協力して、その後もARC炉の設計を見直し改良を加え続けました。そうして出来た改良版は、サイズが3分の2まで小型化され、すぐにでも運用可能なものでした。その核融合反応炉は”SPARC”と名付けられました。SPARCは、これまでにない燃焼プラズマを実現するための実験装置として計画されたものです。それを使って、ARC炉が持続的に手頃な価格のエネルギーを送電網に供給することができるかを検証する予定です。

 しかし、ARC炉を懐疑的に見る者は少なくありません。それは仕方が無いことで、HTS(高温超伝導体)に脆弱性があることが懸念されているのです。HTS(高温超伝導体)は壊れやすいので、それで頑丈な磁石を作ることは無理ではないかという懸念がありますし、また、作ることが出来たとしても、それが荷電粒子のガス(プラズマ)による衝撃にどれだけ耐えられるかは分かっていませんでした。さらに問題があって、HTS(高温超伝導体)は価格も高く、大量に確保するのも簡単ではないのです。しかし、ホワイトは言いました、「理論的にはHTS(高温超伝導体)でプラズマを閉じ込めることは可能なのです。実現するにはさまざまな障壁がありますが、工学的な対応で実現可能だと思われます。私の研究室の院生や研究者たちは、研究を熱心に続けました。おかげで、私は核融合発電の実用化はまもなく実現できると確信できるようになりました。」と

 核融合の研究者たちは、いつか核融合発電が実用化されるという人類史上に燦然と輝く瞬間が訪れるのを待っています。それは、ライト兄弟がキティホーク号で初飛行を記録したのと同様に輝かしいものとなるでしょう。これまで、一般的にはライト兄弟は人類史上初めて空を飛んだとされてきました。でも、よく考えると、それ以前には熱気球があって、ある意味人間は既に空を飛んでいたと言えなくもありません。また、既にカタパルトを使って飛び出すグライダーも存在していて、それも空を飛んでいたと言えなくもありません。ライト兄弟が初めて空を飛んだとされていますが、あの時は1分も飛んでいないのです。本当にそれで「飛んだ」と言えるのでしょうか。当時、ライト兄弟を取材していたAP通信の記者は言っていました、「57秒間です。飛んだのは57秒間だけです。57分ならニュースになりますが、これではとても記事に出来ませんね。」と。