5.核融合発電の実用化には資金が必要
2016年9月30日、25年間稼働していたMITの古い実験用核融合装置は、深夜までに停止させることを余儀なくされました。「この装置を使って博士号論文を書いた者は150人以上いました。」とホワイトは物憂げに言いました。今ではITERに塗り替えられてしまいましたが、かつては核融合による発電量の記録を打ち立てたこともありました。MITは、その装置を停止する理由を公表しませんでした。おそらく米エネルギー省は他の2つのトカマク型核融合研究プロジェクトにも資金提供しており、それがMITへの資金提供が細ったことの原因だと思われます。ホワイトは言いました、「皮肉なことですよ。我々の実験用装置は小型化がテーマなのですが、資金が小型化されてしまったんですから。」と。それでも研究員たちは、実験用装置が稼働を止める最後の瞬間まで実験を続けていました。その日の午後10時30分、彼らは高温と高圧の2つの世界記録を更新しました。深夜に、彼らはシャンパンで乾杯をしました。
ホワイトは言いました、「その日の夜のことは良く覚えています。真夜中過ぎに家に帰りましたが、なかなか寝付かれませんでした。」と。彼の自宅の書斎の壁には、彼の妻の手によって木や花の絵が描かれていました。 彼はそうした絵を横目に、閉鎖する装置で行った最後の実験のデータを分析し始めました。その実験と同様のことを、HTS(高温超伝導体)が実用化されて提供されると想定されるような強い磁場を使って行ったらどうなるかという視点で分析していました。ホワイトが計算した結果、SPARCは1億ワットの電力を供給できることが判明しました。それは、彼の研究チームがオースティンのレストランで推測ではじき出した数値を上回っていました。ホワイトは核融合には非常に可能性があると確信しました。
MITの研究チームは、寄付金や助成金等をかき集めてARSやSPARCの研究を続けていました。ある時には、給料の支払いが厳しくなり、地下の実験施設の床に転がっている銅くずをトラックに積み込んで売りさばくような状況に陥りました。そこで、SPARC Underground社を設立する形になりました。引き続き研究員たちが集まっては、議論を交わしていました。実験の進め方や問題点などについて話し合いました。彼らは、HTS(高温超伝導体)を出来るだけたくさん購入する必要がありました。その材料の特性をハンマーで叩いたり、加熱したり、凍結したり、電流を流したりして学ぶ必要がありました。マムガードは言いました、「HTS(高温超伝導体)が最初に運び込まれた時のことはとてもよく覚えています。それはリボン状でリールに巻かれた状態で納品されたんですが、何ヶ月も待ったと記憶しています。初回納入はたった500メートル分だけでした。さて、現在では10キロメートル単位で発注しています。最近では、Alibaba.comでも購入が可能です。当時は、今とは全然違いましたね。」と。
研究員たちは、物理学的な理論ではなく、解決すべき工学的技術的な問題を沢山抱えていました。また、研究継続のためには、経済面で解決しなければならない点もありました。それは、HTS(高温超伝導体)等の供給業者に、核融合の研究分野は将来有望であり今後も需要が減ることは無いと認識してもらう必要があるということでした。マムガードはいいました、「私たちは多くの納品業者と会って、核融合研究分野を将来有望な市場と見なしているか否かを尋ねてみました。どの業者も一様に有望ではないと答えました。」と。それから、2年ほど献身的に研究が続けられていましたが資金面での苦しさは改善していませんでした。それで、SPARC Underground社はCommonwealth Fusion Systems社に引き継がれる形となりました。Commonwealth Fusion Systems社には、MITの時から研究に参加している7人が引き続き残っていました。7人は民間の核融合発電研究企業に所属する形でした。要するにCommonwealth Fusion Systems社(以下、CFS社)がMITの研究に資金を提供する形だったのですが、研究で得られる知見はMITとCFS社で共有することになりました。特許も共同で出願する形になりました。CFS社へ資金を拠出していたのは、欧州のいくつかの電力会社、いくつかの慈善事業家でした。2021年までにCFS社は150人以上を新規雇用しました。その多くはSpaceX社やTesla社を退職した技術者でした。
マムガードは言いました、「エネルギー市場は非常に巨大です。市場規模は10兆ドルもあるんです。こんなに大きい市場は他にはありません。コンピューターやソーシャルメディアの市場規模だってそこまでは大きくないでしょう。ですので、エネルギー市場に関与し続けるということは非常に意味があることなのです。」と。