3.
現在は、護岸堤防を造るべきか否かというジレンマに陥っている状況である。1981年にジョージア州のスキダウェイ島(Skidaway Island)に海岸地質学者が集まって会議を開いて、「アメリカの海岸線の保護(Saving the American Beach)」 というレポートをまとめた。彼らは、海面上昇と海岸近くに住む者の増加によって、浸食や洪水や暴風雨の被害を受ける者の数が急激に増えると警告した。海岸線を守るためには、思い切って不人気な手段を取る必要があるとして、海岸線近くの建築物は一時的なもの、あるいは使い捨てのものにすべきであると提案した。1985年にスキダウェイ島で2度めの会議が開かれた頃には、彼らの懸念はより深刻なものになっていた。「海面は上昇し、アメリカの海岸線は後退している。」と、レポートには記されていた。「私たちは経済と環境の両側面から現実を直視する必要がある。2つの選択肢しかない。(1)今すぐ戦略的に海岸線近くからの退却を計画をすること、もしくは、(2)莫大な費用を投じて海岸線を強化すること、である。しかしながら、(2)を採用した場合、予測不可能な大災害を何度も経験することとなり、結局のところ、退却しなければならなくなる。
現在の状況を予見していたのは、スキダウェイの会議に出席した専門家たちだけではなかった。それでも、彼らがレポートを出して以降の30年ちょっとの間に、アメリカで海岸近くに住む人の数はほぼ倍増している。2018年には、海岸付近の居住地に住む人の数は1億2,800万人であった。これは、アメリカの人口の住民の40%に相当する。今日、アメリカの海岸線の約14%はコンクリート等の硬い構築物で固められている。
海岸線の保全は通常、費用と便益の問題(cost-and-benefit problem)として扱われる。ある場所の人口や財産が多ければ多いほど、防潮堤の便益は大きくなる。昨年、陸軍工兵隊(the Army Corps of Engineers )がニューヨークとニュージャージーの港を守るため防潮堤と水門の広大なネットワークの構築を提案した。このプロジェクトの費用は総額530億ドルであるが、便益がそれを大幅に上回ると主張した。また、そのエリアの洪水のリスクを完全に排除することはできないものの、大嵐のたびに市街地の大規模復旧をするよりははるかに費用が少ないと主張した。ちなみに、ハリケーン・サンディ(Hurricane Sandy)は、ニューヨーク市だけでも推定190億ドルもの被害をもたらした。人口が密集し、財産が多く裕福で、海岸線にあって侵食に脆弱な都市は、ニューヨークだけではない。バンコク、上海、リオデジャネイロ、サンフランシスコ、マイアミなどでも同様の計算が成り立つだろう。防潮堤を造れば、自然の海岸の機能は失われるし、さらに多くの人口が海岸近くに住むことになるかもしれない。しかし、現時点で既に多くの人口がそこに集中しているし、企業等も集中している。そういった場所で防潮堤を造ることで被害を減らすことができるのであれば、どんどん造るべきなのかもしれない。おそらく、人口が密集していないところや自然の海岸線が侵食を防ぐ役割を果たしているようなところでは、その逆が当てはまるだろう。防潮堤は、あまりにも多くの生物種を危険にさらし、あまりにも多くの砂浜を洗い流す。また、人口が密集していないところでは、単に守るべきものが少なすぎて、コストを正当化することができない。
しかし、このように費用と便益を見積もっても、多くのことが抜け落ちている。工業化社会(Industrialized societies)は、人類以外のもの(防潮堤が圧搾する海辺の生態系)や無形のもの(海辺に固有の文化的、歴史的、精神的価値)を評価するのが得意ではない。費用と便益の方程式では、モラルハザードも考慮されていない。防潮堤は人間と財産を危険から守るはずですが、もし防潮堤が出来ることで人や財産を海辺に引き寄せてしまえば、結果的により多くの人が危険に晒されることになる。また、防潮堤を造るための費用は、人や財産が多い海辺にだけに集中して投じられる傾向がある。裕福な都市や国だけが防潮堤を造り、そうでない都市や国に住む者は海辺から退却するか溺れる危険を冒すしかない。誰もがそんな世界は公正ではないと思うだろう。
社会学者グレイは、災害を逃れるための退去(managed retreat)には、懐疑的である。「温暖化が進むこの星で、海岸付近にとどまることは、本質的に不平等な闘いである」と、彼女は著書に書いている。退去するしか術のない人たちは、悲しいかな移住するしかない。その典型的な例は、彼女が著書の半分を費やして記述しているモルディブの住民たちである。「海岸線保全の専門家は、護岸強化をする資金の無い都市やエリアにドラスティックな変革を求めることが多い。」と、彼女は書いている。しかし、防潮堤を建設する余裕のない沿岸地域には、そもそも取り得る選択肢は何も無いのだ。グレイはこの問題の解決策は無いと指摘している。彼女がこの本で推奨しているのは、退去することではなく海岸線を強化して住み続けることである。
結局のところ、莫大な費用をかけて護岸を強化し続けるべきなのか、それとも災害を避けるべく退去すべきなのか、どちらが正解なのだろうか。海面上昇が続くと想定されるわけで、海岸線の保全についてはより慎重に検討しなければならない。安易に護岸強化をすると、予期せぬ結果が引き起こされる可能性もある。だから、そのリスクを警戒しなければならないし、便益だけに目を向けるわけにもいかない。できる限りたくさんの強固な防潮堤を造るのではなく、必要最小限のものだけを造るようにすべきである。最も重要な場所にのみ造るべきである。最も重要な場所がどこかということが問題となるが、その答えは簡単には見つからないかもしれない。防潮堤には膨大な費用がかかるが、不公正さが無いようにするための対処に多大な手間もかかる。
環境問題に詳しい記者シァは先述した著書の中で、現実には費用と便益を天秤にかける際に公正さを組み込むと、より正解を導き出すのが困難になると記している。シァは南カリフォルニアのラグナ・ビーチ市(Laguna Beach)を調査した事がある。そこには絵に描いたように美しい海岸線の景色が広がり、多くの豪邸が建ち並んでいる。2015年に裕福な夫婦が老朽化した海辺の邸宅を購入してリノベーションした。石とガラスでできた要塞のようになった。また、その海側にはその邸宅だけを守る防潮堤を築いた。この夫婦も、ある意味、海面上昇に対処するため、費用と便益を天秤にかけていたと言える。しかし、この場合の便益は、あくまで2人だけのものだった。この防潮堤がビーチを脅かしているとして、近隣住民がすぐにカリフォルニア沿岸委員会(the California Coastal Commission)に苦情を申し立てた。2人が作った防潮堤が許可されるかどうかは、同委員会の判断に委ねられることとなった。
シァは、スキダウェイのレポート作成者に名を連ね、災害を逃れるための退去(managed retreat)をひたすら主張することで知られるようになったオーリン・ピルキー(Orrin Pilkey)を探し出し、意見を求めた。彼は、隣家の住人が不安に思うのは当然だと主張する。私設の防潮堤によって波が近隣の家に向かう可能性があり、近隣の他の家々も競うように防潮堤を作り出す可能性がある。「1人の邸宅所有者の私設の防潮堤が認めらることは、まわりの住人が被害を被ることを意味するわけで、他の全ての者の不利益を意味します。」と、ピルキーはシァに言う。「ここで私設の防潮堤が認められたら、最終的にはすべての場所で認められ、不利益を被る者の数は膨大になる」。
カリフォルニア沿岸委員会は、ピルキーと同じ考えであったようで、この防潮堤を違法と判断し、取り壊しを命じ、海岸沿いの家を許可なく改造した夫婦に100万ドルの罰金を科した。同委員会はまた、いくつかの例外を除いて、海岸線付近に新しい防潮堤を建設することを禁ずることも決議した。「防潮堤は土砂が堆積しなくすることで砂浜を減退させ、最終的には消滅させる。」と、同委員会の声明文には記されていた。「海面上昇が続く時代において、防潮堤がもたらす長期的な2つの効果がある。1つは、一時的に背後にある土地を保護することである。もう1つは、砂浜が永久に失われてしまうことである」。
個人の邸宅を守るための防潮堤の敷設が禁じられたわけだが、それによって海辺の邸宅に住むのを止めて移転する人が増えるかもしれない。しかし、移転すると決意するのは、複雑な現状を鑑みると簡単なことではないかもしれない。カリフォルニア沿岸委員会は、同州沿岸部の住民は、海水が彼らの家を襲うまで、防潮堤を作らない限り、自由に滞在できると言っているようである。海辺に住んで既存の防潮堤が心もとなく思え、なおかつ、私設の防潮堤の敷設も認められないとなれば、堤防の不要な内陸の街に移転するという選択肢を取ることもできる。しかし、実際には、多くの住宅所有者はそこに留まって、海面上昇に闘いを挑んでいる。ラグナ・ビーチの私設堤防を造った夫婦は同委員会の決定を不服として裁判所に訴えた。シァが著書を書き上げた時点では、不法とされた防潮堤はまだ残っていた。