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8月の風の強い日の夕方、私はロワー・マンハッタンにある公園まで自転車を走らせ、マンハッタンがハリケーンで受ける影響を研究してコンピューターでシミュレーションをしている物腰柔らかな研究者ユキ・ミウラ(Yuki Miura)に会いに行った。ミウラは、東京出身である。彼女は、早かれ遅かれメガストームは必ず襲ってくると言った。実際、「既にメガストームが襲って来たことがある」と彼女は言う。2012年のハリケーン・サンディ(Hurricane Sandy)による高潮は、ピーク時で14フィート(4.3メートル)近くに達し、何百もの街区が浸水した。「コンピューターによるシミュレーションによると、必ずと言っていいほど浸水してしまうエリアがかなりある。」と、ミウラは私に言った。その時、ミウラと私がいたところは、まさしくそうしたエリアだった。
私たちは一緒にイースト・リバー(the East River)に向かって歩いた。巨大なコンクリート壁が目の前に現れた。その壁は最近建てられたもので、まだビニールが被っていた。ミウラによれば、数年前に彼女がコロンビア大学(Columbia University)で土木工学の博士課程に在籍していた際にこの地を訪れた時、ビッグU(the big U)と呼ばれるロワー・マンハッタンの防潮堤はまだ提案段階にすぎなかったという。「まだ何も作られていなかった。」と、彼女は言う。彼女は、少なくともこの場所だけでも、ニューヨーク市が護岸の強化に着手したことを喜んでいた。
水辺に出るために、私たちはトラックが1台通れるくらいの防潮堤の切れ目を通り抜けた。車輪付きの水門(小型の電車のような形状)を通り過ぎた。それから、仕事を終えてジョギングする人々の流れをすり抜け、川沿いの小さなコンクリートの崖に着きました。金属製の手すりの向こう側には、フェリーがたくさん行き交っていた。それらが残す航跡がニューヨーク市が要塞化した海岸線まで届いていた。
ミウラによれば、大きな嵐が来れば、この川面は、津波というよりは潮の満ち引きのように、ゆっくりと上昇を始める可能性が高いという。海面が既に高い時に強力なハリケーンが来れば、このあたりは水没してしまう可能性が高いという。私たちの背後にある防潮堤は海面より16フィート(4.9メートル)高く、想定されうる最大級のハリケーンによる海水の浸水を、完全に防げるわけでは無いが、制限するのに十分な高さであった。しかし、ミウラが懸念していたのは、もし防潮堤の建設中、つまり、ロワー・マンハッタン全域を守る防潮堤が完成する前に巨大な嵐に襲われたら、海水は防潮堤のない場所を見つけ、その裏側に流れ込み、莫大な被害が出かねないということである。現時点では、ビッグUはほんの一部しか完成していない。
私はミウラに、海岸近くに防潮堤を造ってたくさんの人たちが住み続けられるようにする代わりに、ニューヨーカーは海岸から離れたところに住むことを考えるべきかと尋ねた。「災害を逃れるための退去(managed retreat)は、地域によっては良い選択肢かもしれません。」と、彼女は言った。「しかし、ニューヨークでそれをするのは現実的では無い」。マンハッタンには160万人が住み、何兆ドルものインフラがある。海抜数メートルの海岸沿いにたくさんの高層ビル、病院、ハイウェイを既に建設済みなわけで、それらを置き去りにするような未来を思い描くのは難しい。
ミウラと話しながら、私は現在の選択肢が非常に限られる状況になった原因に思いを馳せた。護岸を強化しなければならないのは、化石燃料を燃やしたことも一因である。化石燃料を燃やしたのは、無責任にも他の場所や後の世代にその結果を背負わせれば良いと信じたからである。防潮堤を造ることは、化石燃料を燃やすことと一緒の部分もある。それは、他の場所や後の世代に影響が及ぶということである。気候危機対策では、こうしたことが多い。「問題を根本から解決する必要がある。」と、ミウラは私に言った。炭素排出量削減という困難な作業を世界規模で実施しない限り、地球は熱くなり続ける。海面は上昇し続ける。嵐はさらに凶暴になる。
日が沈む頃、ミウラと私は海原を眺めた。雲は紫とオレンジに染まり、数隻のボートが漂っていた。ここに住みたい人が多い理由がよく分かった気がした。遠くにクイーンズのウォーターフロントに点在するマンションや工場が見えた。マンハッタンと同じく人口密度の高い地域だが、マンハッタンのように強固な防潮堤は建設されていない。ちょっと心配になって、私はミウラに尋ねた。嵐でマンハッタンに浸入するはずの海水は、結局のところ、クイーンズとか別の場所に流れ込むのか?
「そう、行き先が変わるだけよ。」と、ミウラは答えた。「海水はどこかに行かなければならない」。 ♦
以上