残念 癌の早期発見のための検査は意味が無い!検査の有効性を証明する長期間の臨床試験が行われたことは無い!

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 早期発見の難問はそれだけではない。私は時々、朝の回診中に多くの研修医に「癌検診の有効性はどうやって判断するのか?」と質問してきた。たいていの場合、答えはすぐに返ってくる。「検査で悪性腫瘍を高率、あるいは早期段階で発見できるものが有効性が高いと推定できる」。

 しかし、実際にはマンモグラフィーの例が示すように、腫瘍が見つかっただけでは、それが何をもたらすのかは何も分からない。そこで私はさらに問い詰める。彼らの次の答えもすぐに返ってくる。「集団を検診を受けたグループと受けていないグループに分け、どちらのグループが癌を患わずに長く生きられるかを測定すれば有効性を評価できる」。しかし、このアプローチは別の誤謬を招く。

 2025 年に一卵性双生児の双方が同時に乳癌を発症したとする。姉は定期的な検診を受け、腫瘍は早期発見される。彼女は治療を開始し、外科手術と化学療法を受ける。しかし、その過程は過酷である。手術後の血栓、化学療法中の感染症に耐え、さらに数カ月にわたって回復に努めなければならない。それから 4 年が経過する。彼女は治癒への希望を抱きながら、全てに耐え続けている。

 一方、妹は旧友が癌治療で苦しむのを見たことがあったので、検診を一切受けないようにする。ニューヨーク州北部に移り住み、リンゴの木の手入れをし、読書に励み、医療介入( medical intervention )を拒む。2029 年に乳癌の症状が現れるが治療を拒否する。

 2030 年に姉は癌が再発したことを知り、ニューヨーク市の病院に入院する。全く同じ月に妹も明らかに病状が悪化したため、同じ施設に入院する。2 人は隣り合ったベッドに横たわり、自らの選択を振り返る。同じ週に 2 人は息を引き取る。

 ここで誤謬が生まれる。姉は診断後の生存期間が 5 年と記録されるわけだが、妹はわずか 1 年である。医師はそれぞれの症例を検討し、癌検査(各種スクリーニング検査)によって生存期間が 5 倍に延びたと結論付ける可能性がある。しかし、実際にはその姉妹は同時に生まれ、同時に亡くなっている。癌検査は寿命に影響を与えていない。ここで見かけ上メリットがあるように見えてしまうのは統計上の幻想である。時計の針をいつ動かしたかによって生じる人為的な影響が出ている。これがいわゆるリードタイムバイアス( lead-time bias )である。実際には何の改善も無いのだが、生存期間が水増しされた形になる。

 リードタイムバイアスは、癌検診の結果を歪める唯一の錯覚ではない。ある村で、癌が 2 つの形態で発生していると考えてみたい。1 つは急速に進行し致命的である。もう 1 つは進行が緩やかでほぼ無害である。年 1 回癌検診を実施すると、ゆっくりと進行する癌は発見されやすい。なぜなら、それらは検出可能な無症状の段階でより長く残存するからである。対照的に、浸潤癌は、検診と検診の間に症状が現れることが多く、そこで必要な検査が行われて臨床的に診断されることがほとんどである。湿潤癌の患者は、年 1 回の検診と検診の間に死亡することも少なくない。10 年間データを取ると検診は有効であるように見える。早期癌の発見が増え、診断後の生存期間が長くなっているように見える。しかし、メリットがあるように見えているのは誤解でしかない。癌検診では、そもそも致命的になる可能性が低い、進行の遅い腫瘍が不釣り合いに検出されてしまうからである。これはレングスタイムバイアス( length-time bias )と呼ばれる。

 リードタイムバイアスとレングスタイムバイアスという 2 つの錯覚が、癌検診の効果の過大評価につながっている。前者はスタートラインをずらすことで生存率の測定を歪め、後者は元々危険性が低い腫瘍を優遇することで評価を高める。この 2 つの錯覚が、何十年にもわたって癌研究者を欺いてきた。

 癌検査が本当に有効かどうかを判断するには、生存期間ではなく死亡率を測定する必要がある。癌検診を受けたグループでは、癌による死亡者数が減ったか?これが真に重要な結果である。しかし、そのような効果を証明するのは、時間がかかり、骨の折れる作業である。臨床試験を実施するとなると、最終的なエンドポイント( end point )を待たねばならない。ここでのエンドポイントは死である。それまでに何十年もかかることもある。そして、癌検診を受けたグループと受けなかったグループの違いを明らかにするには、膨大な数の患者が必要となる。骨の折れるプロセスを延々と続ける必要がある。癌検査、各種精密検査、治療、これらを繰り返す。それらを死が訪れるまで続ける。厳格な癌検査の臨床試験には、莫大な費用と時間がかかる。方法論的に見ても困難であり、不確実性も多い。それをやろうと思うと、その方法の妥当性だけでなく、これを続ける信念があるか否かも試される。