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グレイルはすでに英国国民保健サービス( U.K. National Health Service:略号 NHS )の保健システムと提携して研究を実施していた。2020 年末に発表されたこの研究は、大規模でイングランド全土の 151 カ所の医療機関で 14 万人以上の被験者が登録された。「この臨床試験は、末期がん(ステージ III および IV ) の診断数の減少という主要評価項目を達成するために、3 年間連続してスクリーニング検査を行うように設計された」と、グレイルの国際事業を統括するハーパル・クマール( Harpal Kumar )は記している。最初のスクリーニング検査のデータのレビューは 2024 年に予定されており、最終結果は 2026 年に得られる見込みである。初期データで有望であることが証明されれば、ガレリ検査は英国国民保健サービス内でより大規模なパイロットプログラムへと進むことになる。
この提携は、癌研究者の間で即座に議論を呼んだ。NHS はイギリス社会において独自の地位を占めている。愛される機関であるが、同時に常に批判の的ともなっている。アメリカの民間企業が公衆衛生システムに深く関与するアイデアは、警戒を引き起こした。ランセット誌の「ガレイルのガレリ検査:なぜ特別扱いなのか?」と題された鋭い論説では、8 人の著名な医師、疫学者、社会学者が率直な警告を発した。「癌検診プログラムが原因特異的死亡率( cause-specific mortality )、もしくは生活の質( quality of life)の改善をもたらさない場合、それは単に害を及ぼし、資金を無駄にするだけである」。 彼らの見解では、「ガレイルのガレリ検査は、少なくとも癌特異的死亡率の減少という直接的な利益を示す必要がある」。サロゲートエンドポイント( surrogate end point:臨床試験において患者にとって本当に重要な真のエンドポイントの代わりに用いられる評価項目)に到達するだけでは不十分である。彼らは、NHS とガレイルによる臨床試験でステージシフト( stage shift:癌の進行度を示すステージが治療の過程期で移ること)を主要な指標として選択し、重篤なステージの者が減ることを示そうとしていることに懸念を示した。1900 年代に始まった卵巣癌検診の失敗を思い出すべきで、早期診断数の増加が必ずしも死亡率の低下を意味しないことが明らかになっている。「商業的な利益は強力であるが」と多くの批判者が警告する。「 NHS は、評価が不十分な介入を世界的に先導する余裕はない。そのような介入は、ほとんど、または全く利益をもたらさず、人々を傷付け、他の用途に充てられるべき資源を無駄にする可能性があるからである」。
2024 年の春に私はデスクに座り、NHS のガレリ検査の評価に関する発表を待っていた。初期のデータが特に良好であれば、ガレリ検査はより大規模なパイロット試験に拡大される予定であった。発表がようやく届いた際、その内容は驚くほど簡潔であった。「 3 年間の NHS と協力して行ったガレリ検査の最初の 1 年間のデータに基づき、NHS は 2026 年に予定されている最終結果を待つことを決定した。これによって、NHS がガレリ検査を進化させた複数癌早期検出検査( Multi Cancer Blood Test Programme 、略号 MCBT )の導入を推進するかどうかを検討する予定である」。
これは何を意味しているのか?臨床試験が不十分だったのか、それとも分析したが単に結論が出なかっただけなのか?ガレリ検査の独自の枠組みがあったのだが、決定を下すための「 3 つの堅固で野心的な事前定義された基準( three robust, ambitious and pre-specified criteria )」が事前に設定されていた。すなわち、スクリーニング検査を受けたグループと受けなかったグループの間で末期癌( late-stage-cancer )診断数の減少、検査の陽性的中率( positive predictive value:略号 PPV )、および各コホート( cohort )における総癌検出率( total cancer-detection rate )である。
私はグレイルの社長、ジョシュア・オフマンに連絡を取った。「 NHS は、初回スクリーニング検査のみで明確な効果の早期兆候が示されることを期待していた。しかし、過去を振り返れば明確であるが、初回スクリーニング検査で明確な結果が出るはずなどない」と彼は言った。彼の基本的なメッセージは、データが少なすぎて判断するには時期尚早であるというものである。しかし、グレイルが NHS による初期データのレビューに同意した時点では、ひょっとすると異なる期待を抱いていた可能性もある。
明確な答えを求めて、私は英国癌研究協会( Cancer Research UK )の主任臨床医チャールズ・スワントン( Charles Swanton )に連絡を取った。彼は言った。「私は共同主任研究者であるが、最終結果が出るまでいかなるデータも知らされない」。オックスフォード大学の医学教授で、ゲノム医療の世界的権威であるジョン・ベル( John Bell )も、詳しいことは知らなかった。「全く分からない」と彼は答えた。「私もあなたと同じくらいしか知らない。ピーター・ジョンソン( Peter Johnson )に聞くのが良いかもしれない」。
NHS の癌担当全国臨床ディレクターであり、この分野で最も尊敬される臨床学者の 1 人であるジョンソンにメールで問い合わせたところ、直ぐに返信してくれた。「この研究は 3 年間の血液検査を終えており、統計解析計画と研究プロトコルに従ってその結果を見てから、さらなる決定を下す予定である。データの分析はまだ行われていない」。彼は、2024 年 5 月の声明は、臨床試験の方向性を決定する正式な中間解析ではないと明言した。
私はさらに質問を続けた。グレイルの「 3 つの堅固で野心的な事前定義された基準」は評価されたのか?もしこれが中間解析ではないとしたら、具体的に何が評価されたのか?有望なデータが示されれば、NHS の資金援助によるより広範な展開につながるのか?なぜグレイルは主要評価項目として、癌特異的死亡率ではなくステージシフトを選択したのか?そして、今後の研究では死亡率を測定するのか?
ジョンソンの次の返答は、示唆に富むものだった。まず、彼は財政的な取り決めについて明確にした。「ランダム化比較試験である NHS によるガレリ検査は、グレイルが単独で資金提供と後援を行っている」。彼が指摘したのは、NHS は陽性結果を示した被験者の診断検査と治療の費用は負担したが、検査自体の費用は負担しなかったということである。(伝えられるところによれば、NHS は初期の結果が非常に有望であれば、規模を拡大したパイロット試験のために 100 万回分の検査費用を負担することに同意していたという)
そして、重要な開示事項が明らかになった。「 3 つの基準のうち少なくとも 1 つは満たされていなかったことが確認できた」と彼は言い、2024 年にパイロット試験の導入が進まなかった理由を説明した。彼は癌検診研究が遅々として進まないことを認め、「癌検診の臨床試験では、死亡率に関する結果が公表されるまでに通常 10~ 15 年かかり、陽性反応が出た場合も、高いカバー率の検診プログラムが全国的に展開されるまでにさらに 10~ 15 年かかるのが一般的である。NHS のガレリ検査とパイロット試験導入の可能性について私たちが採用したアプローチは、あらゆるプログラムの成功に不可欠な方法論的厳密さを失うことなく、このプロセスを加速することを目指したものである」と述べた。
グレイルのウェブサイトで、ハーパル・クマールは次のようにコメントしている。「特定の指標を早期に評価するだけでは、限られた視点しか得られない。過去の癌スクリーニング検査で実証されているように、初回スクリーニング検査の結果は必ずしも最終結果を反映するものではない。それは、特に末期癌診断数の減少に関して顕著である」。