ニューヨーク市スタテンアイランドでライム病を媒介する鹿の個体数が急増!駆除推進派と保護推進派が対立!

5.自然を回復させるのは難しい!そもそも回復できるという考えが誤り!

 ある夜、私は夕暮れ時にスタテン島内でシカが最初に定着したとされるクレイピットポンド州立公園保護区で、クリフ・ハーゲンというスタテン島の住民に会いました。その辺りの森林の地面には緑色の草がみずみずしく茂っていました。ハーゲンは言いました、「下草が非常にきれいに生えているでしょう。まるで映画”The Hobbit”(邦題:ホビット)の撮影現場みたいですよね。」と。

 ハーゲンは学校の先生をしています。また、野生の鳥の生息地として重要なクレイピットポンド州立公園保護区の森林を守る活動をしている環境保護団体(Protectors of Pine Oak Woods)の代表を務めています。まあ、決してホビットの撮影現場のようではなかったことだけは確かなのですが、美しい下草は、シカが食べない外来種のアシボソでした。私たち2人はその辺りをぶらぶらと歩いたのですが、ハーゲンはアシボソ以外の草があまりにも少ないので驚いているようでした。また、将来育って高木になる広葉樹の若木は全くありませんでした。広葉樹の若木や在来種の草が茂っているのが見られたのは、シカが入れないようにフェンスで囲まれたエリアの中だけでした。多くの研究で明らかになっていますが、シカの生息密度が高くなってしまうと、森林全体の生物多様性は減少し、外来植物が優勢となり、シカが好んで食べる木の若木や花の苗の生育は阻害されます。ハーゲンは私に言ったのですが、その辺りの森林はシャイア(映画ホビットの中に登場するホビット達の故郷の村)の森林とは似ても似つかぬもので、どちらかというと映画“Children of Men”(邦題:トゥモロー・ワールド)を彷彿とさせるものです。その映画では人類が繁殖能力を失った近未来が描かれていて、子供はほとんど登場しません。ハーゲンは言いました、「ある意味、この森はすでに死んでいます。ただ、まだそれを誰も認識していないだけです。」と。

 数分ごとに、ハーゲンは立ち止まって鳥笛を吹き鳴らしました。彼は鳥の鳴き声で鳥の種類を認識することが出来ました。歩いてる最中に、いろいろな鳥を私に教えてくれました。モリタイランチョウ、セジロアカゲラ、ハシボソキツツキなどがいました。さらに歩いていると、ちょっと低い鳥の鳴き声のような音がして彼は立ち止まりました。そして、言いました、「おお、これは珍しい。たぶんアメリカワシミミズクの鳴き声ですね。いやいや、聞き間違いですかね。橋を通過するトラックとかの音と聞き違えたのかもしれません。」と。

 私は、その時、米国のパシフィックノースウエスト(太平洋岸北西部)での出来事を思い出しました。それで、その出来事のことをハーゲンに話しました。グレートプレーンの生態系が人間の手によって変わってしまったので、太平洋岸北西部にアメリカフクロウがグレートプレーンを越えて渡って来るようになりました。元来、アメリカフクロウが太平洋北西部に来ることなどありませんでした。アメリカフクロウは太平洋北西部で個体数を増やし、元から生息していた絶滅危惧種のニシアメリカフクロウを駆逐しつつありました。それに対応して、米国魚類野生生物局は驚くべき手段をとりました。なんとアメリカフクロウを撃ち殺したのです。数千羽規模でした。私はかつて、その時駆除されたアメリカフクロウが冷凍保存されている施設を訪れたことがあります。凍った個体を1つ見せてもらいましたが、非常に小さくはかない存在だと感じられました。ハーゲンは愛鳥家でしたので、その出来事に大きな関心を持ったようでした。彼は言いました、「自然のバランスを取り戻すためには、抜本的な対策が必要です。」と。

 「自然のバランスを取り戻す」という言葉は、シカの個体数が増えすぎた件について話し合う時にもよく使われる言葉なのですが、どういうことが「自然のバランスを取り戻す」ことなのかを定義するのは非常に困難です。ウエストチェスター郡で、私はパトリック・ムーアと会いました。ムーアは、スタテン島やニューヨーク市の他の地域で怪我した野生動物を救護するボランティア活動をしています。私がムーアと話している時も、2人の女性が車にぶつかられて手術が必須の1羽のカナダガンを運び込んできました。(カナダガンもシカと同様に一時は生息域で個体数を大幅に減らし絶滅の危機に瀕していたのですが、その後劇的に個体数を増やしたため現在では駆除の対象となることが多い。)また、害虫駆除業者が、河川の土手の巣から取り出した2匹の赤ちゃんリスを連れて来ました(母リスはその業者が薬剤を使用して駆除した)。ムーアはため息をつきました。害虫駆除業者は、生業で駆除を行っており報酬を得ていますが、ムーアの救護は誰かが費用を出してくれるわけでもないので、無償で行われていました。持ち込まれたリス2匹は生まれてからあまり日が経っていませんでした。ですので、ムーアは、餌をやる際には特殊なスポイトを使わなければなりませんでした。また、3時間毎に排尿を促すため、膀胱付近をさすってやらないといけませんでした。

 タイムズ紙が最近ムーアの仕事を記事にしました。その記事の写真には、母シカが死んだので保護された3匹の子シカが彼の家の浴室でくつろいでいる写真が載っていました。その写真を見てあるコメントテーターは「酷すぎる!シカは既に多くなりすぎている。そのかわいい小シカたちはあっという間に大きくなって害獣になるんですよ!」と言っていました。しかし、ムーアはそうした意見に対して特に怒ったりはしていませんでした。ムーアは私に言いました、「孤児になった赤子を見て『人間は多くなりすぎたから、助けて育ててはいけない。』なんて言う人はいませんよね。そんなことを言うのは間違っています。だから、小シカを救護するなというのも間違っています。」と。彼は、シカを駆除したり不妊化処置したりしているのは、人間の傲慢さと無責任さの為せる業だと言っていました。「シカが植生にダメージを与えているかもしれませんが、人間に比べたら微々たるものでしかありません。人間は自然のバランスを取り戻そうとして様々なことをしようとしています。でもそんなこと出来るはずがありません。自然というのは巨大なもので、人の手でどうこう出来るものではないのです。」と彼は主張していました。

 私はシカの個体数管理に興味を持ったので、関連する記事がないかいろいろと科学誌に目を通してみました。1つ参考になると思った記事がありました。フーコーとジョン・パトリック・コナーズとアン・ショート・ジャノッティの主張が載っていました。人間と自然は分離しているという考え方は19世紀に生まれた概念で、当時の都市部の衛生状況を改善しなければならないという時代背景から生み出されたものであると記されていました。それまで何千年もの間、人間は家禽も野生動物も身近にいる環境の中で生活することに慣れていました。しかし、人間の衛生状況はもっと良くすることが出来るというアイデアが生み出されて以降、動物は厄介ものと見なされるようになり、動物の生息する場所を管理すべきだというアイデアが生まれたのです。コナーズとジャノッティが記しているのですが、シカや他のシナントロープ(家禽やペットではなく、野生動物であるにもかかわらず人間が好んで住むような場所や人間が変化させた環境に上手く順応して繁殖している動物)の個体数が復活したことは、都市部や郊外は人間だけが住むべきところであるという旧来からの概念に疑問を投げ掛けるものです。都市部や郊外に野生生物が生息して人間と共生しても良いのではないかと思う人が少なからず出てきました。そういう風に考える人たちは、共生するには仕方が無いことだとして、シカを駆除したりすることにもあまり罪悪感や痛みを感じなくなっています。また、フーコーら3人は、シカの個体数が急増したのは人間が自然環境に介入した結果であり「不自然」なことであるが、しかし、それを改善すべく「自然のバランスを取り戻す」ために人間が様々な施策を実施することは正しく自然への介入であり、さらなる「不自然」を助長するものでしかない、と主張しています。

 人間は動物を認識する際にさまざまな視点で見ます。食べられるか否かという視点で見ることがありますし、ペットに出来るか否かという視点や駆除すべきか保護すべきかという視点で見ることもあります。動物をどのように見るか、どういった視点で見るかということは、時代によって変わってきましたし、時と場合によって違ってきます。動物に対する認識は時と場合によって違うために、時としておかしなことが起こることもしばしばですし、動物に対して矛盾した施策が為されることもあります。ニュージーランドは在来種を保護するために外来種を大規模に強力に駆除していることで有名です。普通に考えたら外来種の野猫も駆除対象になるのですが、除外されています。飼い猫と似ていることが理由のようです。米国西部では、コヨーテ(在来種)は銃を使った駆除の対象です。しかし、同じ在来種の野生の馬は撃たれることはありません。英国では、ハイイロリスの駆除が長い間続けられています。目的はキタリスを保護するためです。先日、避妊剤を練り込んだヘーゼルナッツスプレッドをハイイロリスに与える計画が承認されました。ガンにパンを与えていた人が次の瞬間にはハイイロリスの避妊にせっせと励んでいます。また、パンを貰っていたガンも別の場所では避妊剤を混ぜた丸薬を与えられたり、卵に植物油を塗られて孵化出来ないようにされています。タフツ大学カミングズ校獣医学部准教授アレン・ラトバーグ(ヘイスティングスオンハドソン村のシカ個体数管理にも携わっている)によると、世界中で野生動物の個体数管理に関してさまざまな取り組みが為されているが、生物学的知見に基いているものはほんの一握りしかありません。ラトバーグは「ほとんどが生物学的知見とは全く関係ないものです。どうしてそんなことをしているのか聞いてみたくなるような取組みばかりですよ。」と言っていました。

 ラトバーグが私に言ったのですが、ほとんどの人が彼に最初に尋ねる質問は、シカの「正しい」数は何頭ですかというものです。「正しい」という語が使われたのですが、質問した人たちは「正しい」数というものがあるという前提で質問したのだと思われます。おそらく、以前の数に戻すのが自然を回復することで「正しい」ことだと考えているのでしょう。また、自然は変化しないもので数を一定に保つことが「正しい」と考えているのでしょうし、自然を元の形に戻し何も変化させないことが「正しい」と考えているのでしょう。しかし、そうした考えは間違っています。スタテン島でダニが繁殖した例を思い出してください。ダニがスタテン島で大繁殖した理由は、シカが流入してきたことだけでなく、気候変動により冬の気温が上昇したこともあります。スタテン島のダニの個体数をシカが流入してくる前の状態まで減らそうと思ったら、シカの個体数を大幅に減らして根絶させなければなりません。今までとられた手段を続けるだけでは不十分でしょう。さて、もう1つの理由である冬の気温が上がったことに対してはどのような対策をすべきでしょうか?現状では何の手立てもありません。そもそも自然を元の状態に完璧に戻すことなどできないわけですから、個体数を元の数に戻すのが「正しい」と考えることは意味の無いことなのです。

 長い間、シカが象徴的な存在と見られてきました。それで、シカの個体数管理の話題になると多くの意見が出すぎて議論が紛糾してしまうのだとラトバーグは認識しています。ラトバーグは私に言いました、「人間と自然の両方が関与し合ってシカに影響を及ぼしていることを理解すべきです。シカに対する世間の関心は非常に高いわけですが、そのことを人々に人間の活動が自然環境に大きな影響を及ぼしていることを知ってもらうための良い機会だと捉えるべきです。シカを駆除したら、自然環境が元通りになるという簡単な話ではないと言うことを人々に認識してもらうべきです。」と。