犯罪捜査での顔認識システムの使用は危険! 他のAIツールと同様、メリットもあるがデメリットが大きい!

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 ソーヤーの妻であるキャロン・ジョーンズ・ソーヤー(Carronne Jones Sawyer)は、警察から電話があって、夫が逮捕されたことを知った。彼女は、警察署に駆けつけ、ソーヤーを取り調べたタラント刑事とケネス・コムズ(Kenneth Combs)警部補に会った。彼女は夫がどうして捕まったのか説明されたが、とにかく驚くばかりだった。彼女の夫はバスには乗らないし、女性を殴ったりもしないからだ。そのことを彼女はタラントとコムズにも説明したが、取り合ってもらえなかった。2人は自信満々の面持ちで彼女に容疑者情報の載った資料を見せた。そして、彼女にソーヤーが犯人であることを認めさせようとした。ちらっと見ただけで、彼女は容疑者情報に載っている人物は夫ではないと確信した。怒りを露わにしないように努めなければならなかった。まず、彼女の夫は容疑者よりもかなり年上であった。髭も夫の方が濃い。決定的な違いは、夫の方が歯と歯の間の隙間が目立つことだった。それらを彼女は指摘した。

 しばらくして、捜査員2人はソーヤーの妻に犯行シーンの動画を見せた。彼女がすぐに気づいたのは、動画の中の男が着ている服を夫が持っていないということである。また、彼女は、動画の中で加害者がバスに乗る時に頭を下げていないと指摘した。夫の身長は6フィート6インチ(198センチ)で、必ず頭を下げるはずだという。彼女は憤慨して、「なぜ、夫と私はここにいるのですか?」と、尋ねた。彼女によれば、捜査員2人は否定的な眼差しを彼女にくれるだけだったという。(メリーランド州警察本部は、タラント刑事とコームズ警部補が取材に応じることを許可しなかった)。

 ソーヤーの妻は、夫と同じで50代で控えめな物腰である。しかし、何か気に障ることがあると激しく反発することがある。警察署で話をした時、彼女は非常に憤慨した。しかし、同時に恐れた。というのは、自分と夫のことを誰も信じてくれないかもしれないと考えたからだ。どうせ信じてもらえないからと考え自暴自棄になった彼女は、保釈条件を再検討してもうべく弁護士に相談した。弁護士は、裁判でソーヤーの妻の姉に証言させた。彼女は、犯行当日の朝、ソーヤーが彼女の家のリビングのソファーで寝ているのを見たと証言した。しかし、裁判官は保釈条件の変更を拒否した。

 その3日後、ソーヤーの妻は保護観察官アーロン・ドーガティと話すためにヘーガーズタウンに車を走らせた。「何の用ですか?」と、彼は尋ねた。彼女は自分が何者であるかを説明した。すると、彼はかなり驚いていた。彼女は彼にいろいろと説明した。夫のソーヤーが数十年間の懲役刑をくらいそうなことを説明した。その決め手は、ドーガティが容疑者情報の顔写真とソーヤーが一致すると判断したことであることも説明した。マスクをしていないソーヤーを見たこともないのに、どうして確信が持てるのだろう?ソーヤーの妻によると、ドーガティはソーヤーを暴行犯であると断定していないと言ったという。また、ドーガティは容疑者情報に載っている犯人とソーヤーが同じ人物であるか否かを判断するのは難しいと捜査当局に説明したという。(ドーガティにこの件で取材を申し込んだが、拒否された。)ソーヤーの妻によると、ドーガティは捜査当局からバス運転手暴行事件の監視カメラの映像を見せられた時、写っている人物がソーヤーであることを示唆されたという。ドーガティのところから去る前に、ソーヤーの妻は持参したソーヤーの写真数枚を見せた。「これが私の夫よ。」と、彼女は言った。また、もしこのままことが進んで法執行機関が夫を起訴するようなことになれば誰かが責任を負うようになる、と彼女は言い残した。

 その翌日、ドーガティはタラントにEメールを送った。バス内の映像を彼に共有したのはタラントである。「昨日の午後、ソーヤーの妻が私のところまで来た。」と、メールには記されていた。「彼女はソイヤーの写真を何枚も持ってきた。私はそれらを見てみた。・・・(中略)・・・よく見ると、容疑者情報に載っていた者をソーヤーであると見なすことには疑義がある」。

 ドーガティのメールは4月5日にメリーランド州警察本部に送られた。その3日後、ソーヤーは拘置所から釈放された。

 ボルチモア郡の検事スコット・シェレンバーガー(Scott Shellenberger)が私に言ったのだが、ソーヤーが誤認された事件で使われた映像は監視ビデオ から抽出された画質の粗いものだったという。シェレンバーガーは、容疑者の特定に関する疑義が生じた時点で、この案件はかなり迅速に却下されたと主張した。しかし、私が少し前にハーフォード郡の教会で会ったソーヤーには、そのプロセスは迅速には思えなかった。彼はボルティモア・オリオールズの野球帽をかぶり、半袖の黒いシャツを着ていた。シャツにはベモ・ソリューションズ(Bemo Solutions)のロゴが付いていた。彼が勤めている照明機器製造会社だ。ソーヤーは仕事を終えたばかりだった。いささか疲れ気味ではあったものの笑顔で私に挨拶をした。そして教会の入口ドアをくぐり、グレーのアームチェア2脚とネイビーブルーのソファ1体が置かれた小さな部屋に案内してくれた。彼の妻がソファに座っていた。彼は長身を折り曲げるようにして椅子の1つに座り、自分が経験した苦難について語り始めた。

 彼が私に語ったのだが、保安官代理が彼を壁に叩きつけて逮捕状が出ていると告げた時、彼はまず 、「何かおかしなことが起きている」と思って困惑したという。そうした困惑はさらに深まっていく。何故だか分からない内に、拘束され拘置所に入れられる。運転手暴行事件のあった日だけでなく、その週のすべての時間帯の居場所を聞かれる。何人もの捜査員が入れ替わり立ち替わりで細部まで思い出すよう詰問してくる。彼は固まったように喋れなくなってしまった。なぜなら、ひどく動揺していたからだ。また、何日も前の出来事を詳細に覚えているはずも無く、虚偽の供述をすることを恐れたからだ。その後、保釈が却下された。その時に彼が思ったのは、やってもいないことで刑務所で今後の長い人生を過ごすことになるかもしれないということだ。彼が私に言ったのだが、やってもいないことで刑務所で余生を過ごさなければならなくなることは、究極の悪夢であり、すべての黒人はそうしたリスクを常に感じながら生きざるをえないという。「誤認逮捕されたのは、私が黒人だからだ。顔認識システムは黒人を識別できない」。

 ソーヤーは妻の方を見た。彼が言うには、もし妻が捜査に異議を唱えていなかったら、自分は屈服していたという。つまり、やってもいない罪を認めるということである。そうすれば、裁判のリスクを回避できるし、刑期を少しだけ短くすることができる。「もし妻がいなかったら、私は罪を認めて減刑を嘆願していただろう。」と、彼は言った。「そうするしか手はなかったはずだ。何と言っても懲役25年は長すぎる」。

 実際、刑事事件で責任を問われると、ソーヤーが考えたように司法取引をする者は非常に多い。刑事事件の内、裁判が行われるのはわずか2%である。残りは司法取引で終わる。被告は減刑され、裁判で罪状を争う機会を放棄する。「司法取引に応じている者の中には、やってもいない罪を認めている者もいる。それがどれくらいなのか?見当もつかない。」と、クレア・ガービーは私に言った。「現状では、顔認証システムの利用方法や利用実績は公表されていない。また、それが何回誤認逮捕に繋がったかについての情報も公表されていない。まったく透明性に欠けている」。