5.ケスラーの予測 スペースデブリは増え続ける!
ケスラーはLEO(低地球周回軌道)について研究すればするほど、デブリが増え続けていることが分かってきました。1990年代までに、彼は、最もデブリが多い軌道域では、デブリの衝突が連続して起こり、数百マイルにわたってデブリがばら撒かれていると確信するようになりました。そうしたデブリによって、LEO全体が何世紀にも渡って危険な状態は続くと、彼は警告を発していました。1986年に、欧州宇宙機関のロケット本体が壊れました。原因は何かが衝突したためと推定されました。その時飛び散った破片の1つが、何年間も漂った後、フランスの偵察衛星と衝突しました。1994年、米国防総省の人工衛星MSTI -2は、打ち上げ直後に電源供給が不能になりました。NASAの推測によれば、1個のデブリがワイヤーの束に衝突したことにより、電源がショートしたことが原因でした。そして、MSTI-2自体が宇宙のゴミとなり、スペースシャトル・エンデバーやミールと衝突しそうになりました。
ケスラーはNASAを一旦退職しました。しかし、NASAとの研究には携わり続けました。最初は、ロッキード社の社員として、後には個人コンサルタントとして関わりました。彼がNASAを去った時、宇宙に漂う人工物の破片は減少を続けていました。ASAT実験の回数が減ってきたことで、ミサイルが衝突してばら撒かれる破片の数が減ったことが影響していました。ソ連が崩壊したことにより、ソ連の宇宙開発計画が一時的に停止されたことの影響もありました。また、太陽活動の活発化によって、低周回軌道で多くのデブリの燃焼が早まったということもありました。しかし、減少傾向は続きませんでした。ソ連の宇宙開発計画は再び活発になりました。また、新たに人工衛星を打ち上げる国が増えましたが、それら国の行動は、冷戦時の超大国と同じで、デブリが飛び散る可能性を減らそうという配慮は全くありませんでした。2007年には、中国がASAT実験を実施しました。恐ろしいことですが、気象衛星をミサイルで破壊し、膨大なデブリが放出されました。その影響で、ISSは何度もデブリを回避するための活動を実施しなくてはなりませんでした。その状況は今でも続いています。同時に、ケスラーが予測していたように、人工衛星やロケット本体が衝突し始めるようになりました。これは、非常に危険な兆候です。ASATによる意図的なデブリの放出は抑制する手段がありますが、そうした衝突によるデブリの放出は自然に起こり得ることで防ぎようがないからです。
2009年2月、ロシアの北極圏沿岸シベリアのタイミール半島の780キロ上空で、2つの静止衛星が衝突しました。人工衛星同士の衝突は初めてのことでした。アメリカの通信会社イリジウム社の衛星と、遺棄されたソ連の人工衛星コスモスでした。2つは途方もない速度で衝突しました。衝撃も大きく、デブリが大量に飛散し、地球の周りに帯のように拡がりました。この衝突と、中国軍のASATの実験により、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)のカタログには新たに6,000個もの物体が登録されることとなりました。
イリジウム社の衛星とコスモスの衝突は、宇宙空間での衝突の可能性が劇的に高まっているということを示すものでした。ケスラーは述べていました、「デブリの研究は新時代に突入しました。これからは、規模の大きい衝突が徐々に増加していくだろう。」と。彼は、地球周回軌道上に人工衛星やロケット本体を遺棄するような宇宙開発計画は止めるべきだと考えていました。また、遺棄されている物体を回収すべきであるとも考えていました。「宇宙に漂うデブリの数を減らすことは、最初は費用がかかるかもしれません。しかし、それが出来なければ長期的に災厄が続くことになります。」と彼は主張しました。NASA関係者の中には、ケスラー・シンドロームが現実となりつつあると言う者も少なからずいました。地球周回軌道上には既にデブリが一杯でしたが、それでも人工衛星の打ち上げは続きデブリは増え続けていました。2018年7月時点では、NASAのある論文によれば、第18宇宙管制隊が追跡している物体の半分以上はデブリです。そのほとんどは、衝突によって生み出されたものです。
ダレン・マックナイト(航空宇宙サービス提供企業センタウリ社の研究開発部門のトップ)は私に言いました、「デブリの関して責任を持って行動するというのは非常に手間もコストもかかることです。ですから、誰も真剣に取り組もうとはしないのです。」と。最近、彼の部署では、海抜780キロにある1つのデブリ群を追跡し調査していました。1日当り60回の衝突寸前の状況が確認されました。そこより160キロ下では、もっと懸念される状況にあり、18個の遺棄された巨大な物体が浮遊していて毎日のようにかなり接近していました。昨年、それらの内の2つが、ソ連の3トンの偵察衛星とソ連の8トンのロケット本体ですが、僅か90メートルまで接近しました。万が一、衝突していたとしたら、大災害となったでしょう。そのことに関して、マックナイトは、言いました「衝突していたら、NORAD(北米航空宇宙防衛指令部)のカタログの厚さは倍になっていたでしょう。たった1度の衝突で、60年掛かって生み出されたのに匹敵するほどのデブリが生み出されたでしょう。」と。
マックナイトの推定によれば、その衝突が起きていれば、20万個もの危険なデブリが生み出されたでしょう。それらのデブリは小さすぎるので、人工衛星等に当たれば甚大な被害を与えるにもかかわらず、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が追跡することは出来ないでしょう。彼は、ケスラーや他の研究者と同様に、低周回軌道から危険な人工物を取り除かない限り、宇宙空間を安全に利用することは不可能だと考えました。微小なデブリを除去する方法は実用化されていません。しかし、大きな遺棄された人工物を除去していけば、新たなデブリの発生を防ぐことは出来ます。2006年、NASAでケスラーの業務を引き継いだニコラス・ジョンソンとジャー・シー・リウがサイエンス誌に論文を発表しました。そこでは、低周回軌道から現存している遺棄された大きな人工物を除去することしか、将来の衝突事故の可能性を低くすることは出来ないという主張が為されていました。2人はケスラーの予測をさらに精緻に計算しなおしました。分かったのは、2020年まで1年に5個以上のペースで除去し続けないと、衝突の連鎖が引き起こされて衝突件数が急増するということでした。
現在、マックナイトは、世界中の研究者と協力して、除去すべき対象となる人工物の中で優先度の高いものを見極めようとしています。上位50個を選定中です。彼は言いました、「イリジウム社の人工衛星とコスモスの衝突事故は最悪のものだったと思っている人が多いようです。でも、違います。あれくらいの衝突は本当に小さいものだったと感じるようになるでしょう。いずれ比べようもないくらいの大きな衝突が起こります。」と。