7.サリー宇宙センター 苦節6年!宇宙空間でのデブリ除去実験の準備整う。
ISSと小さな人工衛星は地球周回軌道上を周回し、ロンドンから1時間ほど離れたサリー大学の上空を通過しました。そのキャンパスでは、技術者の集団が2階建てのレンガ造りの、有名なSF作家にちなんでアーサーC.クラーク・ビルと名付けられた建物に集まっていました。その建物は、立方体の小さな人工衛星の設計と製作を行ったサリー宇宙センターの本拠でした。リムーブ・デブリスがその人工衛星の名前でした。壁面にモニターがいっぱい据えられている管制室で沢山の研究者が映像に見入っていました。ISSから提供されているライブ映像で、リムーブ・デブリスが軌道上を周回しているのが確認できました。人工衛星の製作に6年の歳月を要しましたので、その雄姿に、誰もが見とれていました。
フューステルがジョンソン宇宙センターと交信し、リムーブ・デブリスから何か展開されるのかと尋ねた時、サリー宇宙センターでもその会話を聞いていたのですが、笑いがもれていました。あの人工衛星は、複数の穴から機器を放出する機能を有していました。放出されるのは、宇宙船を貫通するのに十分な強度を持つチタン性の銛、デブリを包み込んで大気圏内に落下させるように設計されたケブラー製の7メートルの網などでした。
網には上手く機能しないのではないかという懸念がつきまといました。NASAの研究員たちは、網は試すほど十分な研究がなされていないのではないかと考えていました。網がISSに絡みつく可能性を心配していました。そうなれば被害は甚大なものになります。それで、彼らは、リムーブ・デブリスがISSから離れ始めて1カ月以上経ってある程度の距離になったら網の実験をしても良いという判断を下しました。今年の初めに、サリー宇宙センターの管制室でリムーブ・デブリスの開発に携わったエンジニアのリチャード・デュークは、言いました、「網を使った方法を使う試みは今まで誰もやったことがありません。でも他の方法だって同じで、誰も試したことなんかないんです。」と。横にいたリムーブ・デブリスのプログラム・マネージャーであるサイモン・フェローズは言いました、「網が絡まってISSが落下したらそれこそ一大事ですよ。でもそんなこと起こるわけないじゃないですか。」と。
サリー宇宙センターは、宇宙開発の分野において重要な地位を占めているような存在ではありません。小さな組織で、資金力が豊富なわけでもありません。学術的な研究を重視していますが、低予算で小さな人工衛星CubeSat(キューブサット)をいくつか作成した実績がありました。中には靴箱ほどの大きさのものもあります。デュークは言いました、「私たちは低コストで、新しい技術を開発しようとしています。誰も危険を冒したくないので、ISSの周りで人工衛星を飛ばすことに躊躇してしまっています。でも、飛ばして試してみないかぎり、何も得られるものは無いんです。」と。
1980年代に、サリー大学は中型の人工衛星を製造する企業サリー・サテライト・テクノロジー社を立ち上げました(後にエアバス社に買収された)。リムーブ・デブリスの開発計画は、2013年に、サリー大学、サリー・サテライト・テクノロジー社、エアバス社が協力して構想したものです。当時は既に、宇宙に漂うデブリを回収する技術には潜在的な需要があると考えられていました。国連は、人工衛星を保有する国に対して、ガイドラインを出し、人工衛星等の軌道滞在期間を25年以内にするべきであるとしました。そうしたガイドラインが出されるきっかけとなった事故が2012年にありました。2012年に、ESA(欧州宇宙機関)の人工衛星1基が制御不能に陥りました。それは、もっとも混雑した帯域を周回していたEnvisat(エンビサット)でした。ESA(欧州宇宙機関)はデブリを回収する技術の開発に資金を提供することに関心を示すようになりました。Envisat(エンビサット)は、8トンの重量でスクールバスほどの大きさですが、制御不能で回転していました。ESAの関係者も非常に危険で強大なデブリであると認識していました。
エアバス社内では、既にデブリを除去する装置を試作して実験していた部署がいくつかありました。ヨーロッパの各拠点で技術者たちが取り組んでいました。フランスの研究チームは、LIDARと呼ばれるレーザー画像解析システムを使った仕組みを研究していました。それが実用化されれば、宇宙ゴミ回収用の衛星を使ってデブリを回収することが可能となります。イギリスの研究チームは、19世紀の捕鯨技術から着想を得て、銛を打ち出す方法を研究しています。ドイツの研究チームは、網を使う方法を開発しました。無重力状態では、重力の影響がないため網は完全な形できれいに開きます。網が閉じる際には、デブリを押し出さないようにしなければなりません。エアバス社は、真空状態でそれを実験しました。無重力状態を生み出すために急激に落下する航空機の中で実験しました。そうした無重力研究に使う航空機はvomit comet(嘔吐彗星)と呼ばれています。乗ると吐きそうになるので。
地球上では、無重力かつ真空の状況で実験をする方法はありません。しかし、サリー宇宙センターは、低コストで周回軌道上と同じ状況を作り出して実験をした経験がありました。それで、エアバス社の持つ技術に関して共同で研究する組織を立ち上げ、実験を行うための助成金1,400万ユーロを欧州連合に申請しました。2015年には、フェローズはその実験を主導することとなりました。彼は、銛を使う方法、網を使う方法、さまざまな方法についての研究を進めましたが、重要なのはいかにしてデブリを確実に除去できるかということでした。しかし、どの方法で取り組んでも容易なことではありませんでした。数年前にNASAのジャー・シー・リウは、デブリの除去は至急取り掛かる必要があるにもかかわらず、それには膨大な費用が必要で技術的な課題も多いと警告していました。サリー宇宙センターは、そうした見通しが間違っていることを効果的に証明しようとしていました。フェローズが言っていましたが、それを証明することは非常に難易度が高いと思われました。
問題は技術的なものだけではありませんでした。法律的な問題により、フェローズの研究チームは実験中にデブリを掴むことができませんでした。というのは、人工衛星が崩壊してバラバラになった後でさえも、飛び散ったパーツの所有権は人工衛星の所有者にあるからです。そのため、実験で除去する対象となる実験用のデブリは自前で準備しなければなりませんでした。人工衛星からエアバス社が製作したキューブサットが出てきて、さらにその中から実験用のデブリが吐き出されます。中から次々と出てくる様はまるでマトリョーシカのようでした。また、宇宙船がデータを送信するためには、世界中で安定して受信できる周波数の帯域を確保する必要がありました。デュークは日本の総務省に問い合わせなければなりませんでした。デュークが使っている周波数が日本のテレビ局が使っているものと同じであることが分かったからです。
リムーブ・デブリスをISSに搭載するということも問題を引き起こしました。デュークは当時のことを回想して言いました、「NASAと安全性について議論した時のことですが、我々は、HTAについて説明をしたんです。NASA側はHTAとは何ですかということを質問してきました。それで、HTAは「hapoon target assembly」の略だと言ったんです。すると彼らはそれを詳しく説明してくれと言うので、銛を使ってデブリを回収するということを説明しました。サリー宇宙センターの研究員たちはリムーブ・デブリスの実験映像をスクリーンに映し出して説明しました。しかし、NASAの研究者たちの懸念は高まるばかりでした。フォローズによれば、NASA側はびっくりしたようです。もう一度動画を見せてくださいと言われるまで、しばらく沈黙が続きました。それで動画がもう1回流された後、NASA側の1人が言ったのは、リムーブ・デブリスを構成する部品は全て宇宙空間での使用に耐えられる仕様でないといけないということでした。NASA側はLIDAR(レーザーを使った画像解析システム)についてもいろいろと質問をしてきて持ち込んで欲しくなさそうでした。
フェローズの研究チームは、NASAの安全基準を満たすために追加作業に何カ月も費やしました。駐車場でバッテリーを爆破するなんてことまでしました。2017年に、NASA側が最終的に納得した後、フェローズの研究チームは、リムーブ・デブリスに金属製の取っ手を付けました。それは、ISSから出された時にISSのロボットアームが掴みやすくするためです。
そういった一連の作業が終わった直後に、フェローズの研究チームは、当惑するようなニュースを見つけました。日本の宇宙航空研究開発機構が同じような装置を開発したというニュースでした。それは、電気力学を利用した宇宙空間にあるデブリを回収する800メートルの投げ縄のようなものでした。その投げ縄は、1世紀以上にわたって漁網を作り続けている日本のメーカーの協力により作られたものでした。そのプロジェクトは国の機関によるものでしたが、実験は失敗しました。フェローズは言いました、「かなり動揺して焦りました。日本のチームは既に実験をして、どこに問題があるのか把握している点で我々より進んでいます。」と。その時点でフェローズのチームに出来ることは、リムーブ・デブリスを発泡材の中に入れてケープカナベラル基地まで運ぶことだけでした。それで実験が開始されるのを待つしかありませんでした。