ロー対ウェイド判決が覆された!アメリカで中絶薬は禁止に?その薬を発明したエミール・ボリューは何を思う?

 本日翻訳して紹介するのは、the New Yorker のWeb版にのみ掲載のLauren Collinsのコラムで、タイトルは”The Complicated Life of the Abortion Pill”(中絶薬の数奇な運命)です。Collinsはスタッフライターで、政治関連の記事を多く書いていました。

 7月5日(火)に投稿されたコラムです。中絶薬に関するものでした。アメリカでは、連邦最高裁でロー対ウェイド判決が覆されました。中絶する権利は憲法が定めるものではないと結論付けた形です。このコラムは、それを受けて書かれたもののようです。

 アメリカでは、プロチョイス対プロライフの対立が顕著になっています。生命を最大の価値として重視し、妊娠中絶を殺しであると考え、その禁止を求めるのがプロライフ。子供を産むか産まないかという選択の権利を女性が持つことを重視、中絶の選択が女性の権利として認められなければならないと考えるのがプロチョイスです。私には、どちらの立場も理解できるような気がします。どちらの主張も一理あると思うのです。

 あくまで私見ですが、中絶、つまり子どもを堕ろすということは、やはり良くないことだと思います。殺人とは言いませんが、1年以内に産み落とされるであろう胎児の生命を奪っていることになるので、むやみやたらにして良いことではないと思います。しかしながら、レイプ被害で意図せず妊娠してしまった場合や妊娠が進むと母体が危険にさらされる可能性がある場合には、中絶を認めても良いのではないかと思うのです(私の個人的な意見)。もちろん、それでも絶対に中絶はダメだと考えている方もおられるでしょう。

 本日訳したコラムは、中絶薬に関するものでした。アメリカで中絶薬が使用可能となったのは、他国よりも10年以上遅れてのことでした。中絶する場合(そもそもの中絶を認めるか認めないかという点は横に置いといて)、中絶薬という手段は非常に合理的です。女性の身体への負担も外科手術的方法よりも少ないですし、自宅で誰の手も借りずに行えますし、経済的負担も少なくてすみます。しかしながら、1988年には開発が終わった中絶薬がアメリカで使用可能となったのは2000年のことで、フランスや中国と比べると10年遅れだったのです。遅れた理由は、純粋に女性の身体の安全を第一に考えていて議論が長引いたというのであれば納得できます。しかし、そうではありませんでした。アメリカではカトリック教的な価値観が色濃く残っている部分もありますから、それで絶対に中絶を認めないという人の割合が多く、それで中絶薬を早く市場に投入すべきであるという機運が生まれなかったようです。

 では、以下に和訳全文を掲載します。詳細は和訳全文をお読みください。