アメリカ チップの習慣を廃止できないのはなぜ?新型コロナ収束後、チップの相場が高騰! 

2.チップの習慣の成り立ち

 元々、チップは感謝の気持ちを示すものであった。同時に「申し訳なさ」を示すものでもあった。チップを払うのは、相手が顧客よりも幸せでない場合が多い。心理学者アーネスト・ディヒター( Ernest Dichter )はかつて、チップを「不平等な関係に感じる罪悪感を取り除くために必要な支出」と表現した。

 コーネル大学でマーケティングが専門のマイケル・リン( Michael Lynn )教授は、院生の頃にバーテンダーのバイトを始めて以来 40 年もチップについて研究している。「誰もが、なぜ必要も無いお金を払わねばならないのか疑問に思っている。」と彼は言った。彼が認識したのだが、レストランで誰もがチップを払う根拠は、社会的認知にあるという。リンはテイクアウトの店やカウンターで注文して商品を受け取る店ではほとんどチップを払わない。レジでチップ画面をクルッと回して見せられる店でも同様だという。チップの額を選択すべくチップ画面が示される状況が顧客の行動にどのような影響を与えるかを調べるため、彼はあるクリーニング店のアプリを使って調査を行った。そのアプリは、顧客にチップの額をサンプルとして表示していた。額はランダムに示された。彼が認識したところによれば、表示されたチップの額が大きければ大きいほど、顧客はより多くのチップを支払うという。その額は、顧客の満足度とは全く無関係だった。定着率との相関も見られなかった。余談であるが、ジョーズ・クラブ・シャック( Joe’s Crab Shack )というレストランチェーンがチップを廃止したところ、顧客満足度が下がったという。費用を支払うという痛みが喜びと
なっていたのである。マゾヒズム的である。

 チップは長い間、支払い義務を他人に押し付ける便利な方法であった。チップを歴史的な視点から捉えた著書「チップ( Tipping )」を上程したケリー・セグレイブ( Kerry Segrave )は、チップの起源は中世後期のヨーロッパに遡ると指摘する。17 世紀には、貴族の邸宅を訪れた客は、そこで働いている者にベール( vails:コインのこと)を支払うことが求められていた。これにより、貴族から支払われる給与自体は引き下げられたかもしれない。貴族の中には、この収入源を最大限に活用しようとする者もいた。収入を増やすべく頻繁にパーティーを開いたのである。このシステムが広まった。イギリスのコーヒーハウスでは、「迅速さをお約束するために( To Insure Promptitude )」と刻まれた壺が置かれたという。客はコインを投げ入れた。やがて、この文言は「 tip 」と略されるようになった。19 世紀末には、従業員へのチップの支払いを求める経営者が現れた。一部のカフェは、ウェイターにそこで働く特権を得たことへの対価の支払いを求めた。フランスでは、チップはル・トロン( le tronc )と呼ばれる木箱に直接入れられた。その箱の中身は店の経営者のものとなった。1907 年フランスではウェイターによるストライキが起こった。彼らは、自分たちの職業にとって 2 つの大きな害悪があると指摘した。ル・トロンと口ひげ禁止令である。当時のことを報じた新聞には、「多くの女性が、夫の口ひげがカミソリで剃られるのを見るくらいなら、子供たちと一緒に飢え死にする決意がある。」との記述があった。結局、2 つの害悪は取り除かれた。

 ヨーロッパを訪れたアメリカ人は、チップの習慣をアメリカに持ち帰った。おそらく、プルマン社( Pullman Company:20 世紀半ばまでアメリカで寝台車両の製造、運行業務をしていた)ほどこの習慣の普及に寄与した企業はないだろう。ジョージ・プルマン( George Pullman )は、かつて奴隷だった黒人をポーター( porter:荷運び人)として雇うことを好んだ。ポーターには僅かな給料しか払わなかった。それを補填するのがチップだった。同社の鉄道路線の拡大とともに、この習慣も広まった。1920 年代、アメリカ初の黒人による労働組合である「寝台車ポーター同胞団( Brotherhood of Sleeping Car Porters )」の見積もりによれば、この施策によってプルマン社は 1 億 5,000 万ドルを節約していたという。ポーターたちは長い間、チップの習慣を無くすために闘った。彼らの要求は、プルマン社の社長で、後に会長となるロバート・トッド・リンカーン( Robert Todd Lincoln:第 16 代大統領エイブラハム・リンカーンの長男)によってはねつけられた。

 チップの習慣がひとたび定着すると、廃止するのは容易ではなかった。20 世紀初頭のニューヨークでは、一部の新しいもの好きの経営者が、レストランに年間数千ドルを支払ってコートルーム( coatroom:クローク)を運営していた。彼らは、チップトラスト( tip trust )という組合を作り、他の者が参入するのを阻止した。コートや帽子を預かってチップをもらうために、少なくとも 1 人の若い女性がきらびやかなフレンチ製の衣装を着て立っていた。中にはチップをくすねる輩もいたので、後に同トラストは衣装にポケットを付けることを禁じた。冗談のような話であるが、気前の良い旦那衆は、5 ドルで帽子を買い、それを被るためにせっせとチップを払った。塵も積もれば山となる。年に 73 ドルもチップを払う者もいた。その対策として、ある帽子メーカーは、コートの中に折りたたんで隠せる帽子を発売した。帽子預り王( Hatcheck King )の異名を持ち同トラストを牛耳っていた人物は、年間 6,000 万ドルもの収入があった。同トラストの政治的な影響力も大きかった。今日、ニューヨーク州では、企業が従業員が貰ったチップを取り上げることを禁じている。しかし、コートルームの受付係だけは例外となっている。

 ヨーロッパでは最低賃金が引き上げられて、チップの習慣は完全に廃れた。1966 年に連邦議会は、企業がチップ労働者に払う最低賃金を引き下げた。それは今も変わっておらず、全国的に(州によっては別途定めているところもあるが)、わずか 2.13 ドルである。(チップ労働者とは、月に30ドル以上チップを受け取る仕事で働く者)。