頭の中で思考する際に、言語で考える人と映像で考える人がいるらしい?いやいや、その研究って本当に正しいの?

4.頭ので中の思考方法の分類する

 頭の中で画像を思い浮かべて思考する者もいれば、パターンを認識して思考する人もいれば、言語で思考する人もいます。同じ思考と言っても、まったく異なる形が3つあるわけです。しかし、1人の人間は1つの思考パターンしか使わないのでしょうか?ラスベガスにあるネバダ大学(University of Nevada)のラッセル・T・ハールバート(Russell T. Hurlburt)教授は、1970年代に、特定の時間になるとビープ音を出す装置をたくさんの被験者に渡し、その音が鳴った時に被験者の頭の中がどうなっていたかを記録してもらうという実験を思い付きました。理論的には、被験者の反応が十分に素早ければ、彼が「手付かずの内なる経験(pristine inner experience)」と呼ぶ、自然に起こる思考をありのままに観察することができます。数十年にわたって何百人もの被験者を調べた結果、ハールバートは、大まかに言って人の頭の中での思考方法は5つの要素を組み合わせたものであると結論付けました。そして、人によってその5つの要素が異なる割合で混ざり合っていると主張しました。1つ目は、頭の中で内なる声を聞いて思考する形です。2つ目は、内なる光景を見ながら思考する形です。3つ目は、感情を重視して思考し言葉を発する形です(この場合は、「私はこれが気に入らない!」などと言ったりするわけです)。4つ目は、一種の感覚を重視して思考する形です(この場合は、「首筋の毛が逆立った!」などと言ったりするわけです)。最後の5つ目は、非記号化思考(unsymbolized thinking)を駆使する形です。これは、言葉や画像(イメージ)などを一切使わずに思考するということで、他の4つとは全く異なっています。

 私がこのハールバートの理論のことを知ったのは数年前のことです。その時、私は自分が思考する時の頭の中の状態を正確に示しているように感じました。確かに私の頭の中は決して”empty(空っぽ)”ではないのですが、記号化されたもの、つまり言語や画像(イメージ)などは全く存在していないのです。しかし、ハールバートの研究は、自分自身がどのような方式で思考しているかを特定するのは無理であることを示唆しています。彼の主張では、ほとんどの人は、自分がどのように考えているのか、実は正確には認識できないのです。被験者のほとんどが、ビープ音が鳴る直前の自分の頭の中がビープ音が鳴った後にどうなるかを説明するように求められたのですが、全く的外れな回答をしていました。また、ほとんどの被験者に「偽の一般化(faux generalizations)」が見られました。つまり、自分の考えていることについて根拠のない主張をする傾向が見られたのです。私は、自分が思考する際には記号化された言語や画像を頭の中で使っていないと認識していました。そう思い込む人は少なくないようですが、しかし、その認識は必ずしも正しいわけではありません。そもそも、自分の思考の仕方をよく観察したことのある人などいるのでしょうか。実際、人間の頭の中は思考する際に、いろんな要素が絡まって常に微妙に変化しています。それが理由で、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce)は、”Ulysses(邦題:ユリシーズ)”の中で心情を描くのに18章も費やさなければならなかったのです。1人の頭の中でさえ、思考する際には様々な形をとっているのです。

 量子物理学者(Quantum physicists)は、観測に関して難問を抱えています。彼らが1つの粒子を観測するたびに、観測されなければ不確定なままであったはずのその量子状態(quantum state)が変化し、固定化されてしまいます。人間の思考の仕方を理解しようとする試みも、同様の問題に悩まされています。思考の仕方について意識して研究しようとすると、普段思考している形とは違った形で頭が使われる可能性があります。2002年にツーソン(Tucson)で開催された思考に関する学会で、ハールバートはこの問題について、哲学者のエリック・シュヴィッツゲーベル(Eric Schwitzgebel)と議論しました。シュヴィッツゲーベルは、人間が思考する際の頭の中の状態を認識する能力について懐疑的です。彼は、著書”Perplexities of Consciousness(「意識の不可解さ」の意?)”の中で、1950年代にはほとんどの人が白黒の夢を見ると言っていたのに、1960年代にはカラーの夢を見ると言い始めたことを指摘しています。彼が主張したのは、間違いなく人間の頭の中の夢の色は変わっていないということです。その10年間で何があったかと言うと、カラーフィルムが普及しました。実際には、人間はカラーで夢を見ているような気がします。推測するに、1950年代の人たちの認識は誤っていて、1960年代の人たちがカラーで夢を見ると言ったのは正しいように思えます。しかし、シュヴィッツゲーベルは、夢をカラーか白黒のいずれかに分類するのは間違いだと考えています。彼は記しています、「私たちの夢はカラーでも白黒でもないという可能性も考えるべきです。」と。夢は非現実的なものでありますし、目覚めている間に寝ている時に見た夢のことを説明するのはそもそも不可能である可能性があります。どういう風に夢を見るかということを説明しようとして研究を進めると、弊害があります。それは、夢に本来はないはずの固定観念を加えてしまうことです。

 ツーソンでの会議の後、ハールバートとシュヴィッツゲーベルは共著で本を1冊出しました。“Describing Inner Experience? Proponent Meets Skeptic.”(未邦訳:「頭の中の思考方法を解き明かす?賛否両論、徹底討論」位の意?)という題でした。この本では、メラニーという名の大学新卒者にビープ音が鳴る装置を付けさせて、頭の中で思ったことを口にしたのを記録して研究していました。18ほどの場面がありました。ハールバートは、メラニーの頭の中で何が起こったかを解明することは可能だと考えていました。シュヴィッツゲーベルは、頭の中で起こっていることについて研究が進んでいて解き明かされつつあると考えるのは間違いだと考えています。本質的には頭の中の状態に関する研究の成果は、全く信頼できないものだと主張しています。彼が主張しているのは、頭の中で思考する際にはいろんなパターンがあるわけですが、いずれにおいてもそれほど大きな違いは無いのではないかということです。

 この本には特に結論めいたことは記されていません。誰が正しいかを判断するのは読む人次第です。例えば、Beep2.3という章があるのですが、それはメラニーがビープ音が鳴る機械を身に付けて2日目のことで、その日3回目のビープ音が鳴った際のことが記されています。ハールバートとシュヴィッツゲーベルは、メラニーの行動について次のように記しています。

 メラニーはバスルームに立ち、周りを見渡しながら、頭の中で買い物リストを作ろうとしていました。ビープ音が鳴った瞬間、彼女の頭の中に思い浮かんだ映像(イメージ)は、2つです。それは、白いメモ帳(彼女が常日頃から買い物リストを書くのに使っているのと同じもの)と、conditioner (コンディショナー)という単語を書いている場面でした。その手は動いており、ペン先がすらすらと文字を生み出しているのが見えたそうです。ビープ音が鳴った瞬間には、”d”(”conditioner “の4文字目)を書いてるところだったそうです。

 同時に、メラニーは頭の中で内なる声で「コンディショナー」と言いました。その単語が一文字づつ書かれていくのに合わせていたので、ゆっくりとした発音でした

 また同時に、彼女は自分のつま先が冷たいことに気づいていました。これは、ビープ音が鳴る直前まで、実際に彼女のつま先が冷たかったことに起因するもので、彼女の意識の中に、冷たかった記憶が残っていたわけです。これは、直感的に感覚で認識したもので、明確な思考プロセスを伴わないように思われました。

 Beep2.3(ビープ音が鳴る機械を身に付けて2日目のことで、その日3回目に鳴った時)では、メラニーの頭の中で、かなり多くのことが起こっていたことが明らかです。ハールバートとシュヴィッツゲーベルは、彼女が報告したことについて議論しました。彼女は本当にこれらのことを同時に頭の中で意識していたのでしょうか?シュヴィッツゲーベルは疑問に思っていました。1990年代にハールバートは、フランという名で銀行の窓口係をしている女性にインタビューしていました。フランは、自分の頭の中は、5個から10個もの画像(イメージ)で満たされていると言っていました。すべてが重なり合って同時に見えていると述べていました。沢山のテストをしてみたのですが、フランが自分の頭の中のことについて述べたことは、どうやら正しいらしいことが判明しました。彼女が働いていた銀行では、窓口係はいつも札束を数えているのですが、フランは札を数えながら何度となく同僚に話しかけるので、相手を苛立たせていました。結果、同僚が数え間違えることが時としてありました。札を数えると同時に同僚と会話をすることは、同僚たちには不可能でしたが、フランにとっては難しいことではなかったのです。

 メラニーの思考の流れは、独特で、うつろいやすく、重層的で、豊かです。Beep 3.1(ビープ音が鳴る機械を身に付けて3日目のことで、その日1回目になった時)では、メラニーのボーイフレンドがメラニーに保険会社からの通知について質問していたことが分かります。しかし、彼女の焦点は、彼が質問してきたことではありませんでした。そうではなく、必死で”periodontist(歯周病専門歯科医) “という単語を思い出そうとしていました。彼女は、頭の中で、”peri・・・”で始まる言葉であることを思い出していて、内なる声で「peri・・・、peri・・・」とつぶやきながらなんとか思い出そうとしていました。推測ですが、頭の中で「peri・・・」という文字を思い浮かべて、少し視覚的に思考していたかもしれません。その日が終わり頃、Beep3.2(ビープ音が鳴る機械を身に付けて3日目のことで、その日2回目に鳴った時)では、メラニーは自分の車に向かって歩いていて、大まかにその車の黒い形を感じながら進みました。しかし、頭の中ではぼんやりした感じと不安な気持ちが支配的でした。いつもの思考スピードで考えることができない状態になっていました。ビープ音が鳴った瞬間、メラニーはぼんやりとした感じが何であるかを観察している最中でした。それは、たしかに目の奥に存在するような感じで、眉間のあたりに重苦しさが感じられる気がしました。Beep6.4(ビープ音が鳴る機械を身に付けて6日目のことで、その日4回目に鳴った時)の直前、彼女は乾燥しきった花をいくつか捨てていました。彼女はハールバートに言いました、「私は、『それらの花はかなり長い間枯れなかった!』と思いました。頭の中で何も考えていなかったのですが、内なる声がそう言っているように感じました。」と。彼女が言っていたのですが、ビープ音が鳴った瞬間、彼女は『それらの花はかなり長い間枯れなかった!』という文章そのものを聞いたわけではなく、それが頭の中で反響しているのを聞いていたそうです。

 メラニーが自分の心に熱心に注意を向けている様子は刺激的です。彼女の思考は非常に起伏に富んでいて、ある意味、波乱万丈です。ハールバートとシュヴィッツゲーベルの共著の本を読んだ後、私は彼女を真似て、自分の”pristine inner experience(手付かずの内なる経験)”にさらに耳を傾けてみることにしました。私も、頭の中の内なる声に耳を傾けてみることにしました。「仕事に戻れ!」「スマホで遊ぶな!」という声が頭の中で反響しているのを聞くことができたのでしょうか?自分の感情を感じながら、それを観察できたのでしょうか?私の頭の中では、同時にどれだけのことが起こっていたのでしょうか?確実に言えることは、私は、頭の中で、自分が買い物リストに何かを書き留めている映像を思い浮かべて思考したことは無いということです。私が思考する時に頭をどのように働かせているかを正確に言うことは困難なままでした。おそらく、私が思考する際に記号化された言語や映像を使わないことが多いこと、私を導いてくれる心理学者がいなかったことなどが理由なのかもしれません。あるいは、自分の頭の中の思考方法について考え始めると、そのことで自分の頭の中の思考は手つかずの状態では無くなり、正確に調べられなくなるからなのかもしれません。ハールバートは、自分の内面を表現するのは難しいと言っていました。シュヴィッツゲーベルは、そもそも人間の頭の中の思考方法を認識することは不可能だと言っていました。彼が主張していたのですが、人間の頭の中の深層の思考は、コウモリの超音波ソナーを使った反響定位能力に少し似ているそうです。私たちは、その実態を知ることはできないのです。