How the War in Ukraine Might End
ウクライナ戦争はどのような形で終わるのか
In recent years, a small group of scholars has focussed on war-termination theory. They see reason to fear the possible outcomes in Ukraine.
近年、少数の学者グループが戦争終結理論に焦点を当ててきました。彼らは、ウクライナで起こりうる結果を恐れる理由があると考えています。
By Keith Gessen September 29, 2022
1.
ハイン・ゲーマンス(Hein Goemans)は、1960年代から70年代にかけて、第二次世界大戦の記憶と逸話に囲まれながらアムステルダムで育ちました。彼の父親はユダヤ人で、ナチスの占領下時代には床下部屋に隠れていたそうです。彼は、国際関係学(international relations)を学ぶために渡米しました。彼は、ある授業で「個人的に国際関係学に関連して最も影響を受けた経験は何か」と問われたそうです。彼は、「第二次世界大戦だ」と答えたそうです。他の学生たちは、「それは個人的な経験」ではないと批判したそうです。しかし、ゲーマンスにとって、それはまさしく個人的な経験だったのです。彼は、1985年5月にカナダ軍によるアムステルダム解放40周年を祝う記念式典に出席した時のことを今でも鮮明に覚えています。解放作戦に参加したカナダ兵がまだ沢山生きていて、カナダ軍がアムステルダムを解放するために上陸した場面を再現していたそうです。ゲーマンスは、アムステルダムの住民たちは記念式典にはそれほど関心が無く、参加する人は多くないだろうと考えていました。しかし、それは間違いでした。彼は当時のことを思い出して私に言いました、「アムステルダムの街全体に人が溢れかえっていました。すごい熱気で圧倒されました。」と。
現在、ゲーマンスはロチェスター大学で政治学を教えています。彼は、戦争終結論、つまり、戦争がどのように終結するかということに関する論文を書きました。戦争がどのように始まるかということに関しては、非常に多くの研究がなされていますが、戦争がどのように終結するかということついてはほとんど研究がなされていないことにゲーマンズは気づきました。その研究がほとんどなされていないのには理由があります。米ソ両国が核武装をしたことによって、両国間で戦争が勃発することは人類の歴史自体が終わることを意味するようになりました。どちらの国も生き残ることはなく、全人類が滅亡してしまうと推測されました。それで、冷戦下での戦争に関する研究は、抑止力に関するものが増えたのです。抑止に関してさまざまな語が生み出されました。直接抑止(direct deterrence)、拡大抑止(extended deterrence)、懲罰による抑止(deterrence by punishment)、拒否による抑止(deterrence by denial)などです。しかし、冷戦時代は終わりました。そして、戦争が起こり続けています。そこで、ゲーマンスは、戦争抑止について研究するのではなく、戦争終結論を研究すべきだと悟ったのです。
彼は博士論文や出版した著書「War and Punishment(未邦訳:戦争と罪)」の中で、戦争終結論について記しました。直ぐに終わる戦争は、何故、どのようにして終わるのかということと、長引いてなかなか終わらない残忍な戦争があるのは何故なのかということを論じています。彼の著書「War and Punishment」のタイトルの中の”War(戦争)”は第一次世界大戦のことであり、”Punishment(罰)”は、ドイツの指導者たちが、敗戦したら持ち受けているだろうと恐れていたもののことです。ゲーマンスのその著書は2000年に出版されたのですが、戦争終結の問題だけに焦点を当てたものでした。そうした研究が近代以降に本格的になされたことはありませんでした。彼が、この分野を切り開いたのです。
ゲーマンスが記しているのですが、昔から戦争は一方が降伏すれば終わると考えられてきました。1944年に出版されたある著作には、「敗者が立ち去るまで、戦争は続く」との記述がありました。しかし、過去の戦争の記録を紐解いてみると、それは必ずしも全ての戦争に当てはまるわけではないことが分かりました。通常、戦争が始まる際には、どちらの国が悪いのか否かは別として、2つの国が必要となります。また、同様に戦争が終わる際にも2つの国が必要となります。敗者が勝者から前もって提案されていた条件を受け入れる形で戦争が終わることが多いようです。敗者は、何とかして勝者がさらに厳しい条件を提案してくるのを防ごうと考えるものです。その典型的な例が第一次世界大戦です。ボルシェビキ(Bolshevik:ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派)は、ロシアで権力を握った後、ドイツとの戦いを続けることを拒否しました。ボルシェビキは、ドイツなど同盟国側と単独で講和条約(ブレスト=リトフスク条約)を結び、革命遂行の前提である平和を実現するために戦争を終結させました。「文字通り、敗者は去った」とゲーマンスは記しています。しかし、ドイツ軍はこれを受け入れることなく、ロシアに進攻し続けました。ボルシェビキがわずか3週間前に提案されたよりもさらに厳しい条件を呑んだ後に、ようやくドイツは戦争を終結させることに同意しました。
ゲーマンスが記しているのですが、最近は戦争終結論の研究が進んでおり、戦争を終結させるには2つの国が関与するということに関しての認識は高まっているのですが、重要な側面が見落とされることがしばしばあるそうです。戦争を終わらせるにも始めるにも2つの国の関与が必要であるという概念は、経済学の「交渉(bargaining)」の概念にヒントを得たものです。戦争は交渉プロセス(通常は領土をめぐる交渉が多いようです)が決裂した時に始まるものと考えられてきました。そして、交渉決裂の最も一般的な原因は(これも経済学にヒントを得たものなのですが)、ある種の情報の非対称性です。簡単に言えば、一方または双方が相手に対して自国の戦力を過大評価していることが多いということです。こうした情報の非対称性が生まれる理由はたくさんあるのですが、どこの国の戦力もベールに包まれていて機密事項であることが主な理由です。いずれにせよ、どっちの国の戦力が勝っているかを知るためには、実際に戦ってみるのが一番です。そうすれば、すぐにどちらが勝っているかが明らかになります。ほとんどの戦争は、実際に戦ってみることで、戦力の優劣が明確になり、お互い認識することとなります。それで、交渉が進んでお互いに条件を呑むことで戦争が終結します。
しかし、情報の非対称が原因で無い戦争も過去にはありました。いろいろな原因があるのですが、いずれもあまり認識されていませんでした。というのは、それらは経済学では重要なファクターとして扱われることが少ないからです。1つは、国と国との契約(戦争の場合は和平交渉)は、ほとんど、あるいはまったく強制力がないという事実です。ある国が契約を破棄しようとした際に、相手国が訴えることのできる仲裁裁判所は存在していません(理論的には、国連がそれに該当するのかもしれませんが、実際にはそうした機能は果たしていません)。この結果、「信頼できるコミットメント(credible commitment)」と呼ばれる問題が発生します。戦争がなかなか終結しない原因の1つは、一方または双方が、相手国が和平交渉の合意事項を守ってくれると信じていないことにあります。ゲーマンスの同僚のダン・ライター(Dan Reiter)は、2009年に出版した著書「How Wars End(未邦訳:戦争の終わり方)」の中で、1940年晩春のイギリスのことを記しています。ちょうどフランスが陥落した直後で、イギリスの戦況は悪化しつつあり、アメリカが参戦するか否かが読めない状況で、イギリスも陥落しかねない状況にありました。しかし、イギリスは戦い続けました。というのは、ナチス・ドイツと何らかの合意を結んだとしても決して信用できないことを知っていたからです。ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)は、その独特の言い回しで、閣僚連中に語りかけました、「この島国の長い歴史を終わせるのは、全国民が自分の血の海に沈む時だけにしようではないか。」と。
ゲーマンスが記しているのですが、なかなか戦争が終結しない原因がもう1つあります。あまり認識されてこなかったのですが、それは国内政治です。国家というものは、1つの集合体であり、利益を追求する1つの単位であると考えられてきました。しかし、そうした理解は、国民国家の政府にかかる内的圧力を軽視しすぎています。ゲーマンスは、1816年から1995年の間に戦争をしたすべての国のすべての指導者のデータを集めました。データを分析して、全ての指導者を3つに分類しました。民主主義的、独裁的、その中間の3つに分類したのです。ゲーマンスによれば、民主主義的指導者は、戦争の状況を示す情報に反応して行動する傾向があるそうで、最悪な状況に陥って戦争に勝てそうに無いと判断した場合には、戦争を終結させようとします。たとえ、戦争に負けたとしても国が存続していれば良いと判断するからです。そして、戦争を終結させた後、さっさと自ら退陣し、回想録を出版してプロモーション・ツアーに精を出します。独裁的指導者は、国民を完全にコントロールすることができますので、必要であると判断した時には何時でも戦争を終結させることが可能です。第一次湾岸戦争(first Gulf War)後のサダム・フセイン(Saddam Hussein)は、その典型です。彼は、自分を批判する者がいれば、何も考えずに殺していました。ゲーマンスが記しているのですが、戦争を終結させられない指導者は、民主主義的でも独裁者でもない指導者であることが多いようです。要は中途半端が一番ダメだということです。中途半端に独裁的であるがゆえに、しばしば悪い結果を招き、中途半端に民主主義的であるがゆえに、世論におもねったり振り回されてしまうのです。中途半端な指導者は、起死回生のギャンブルに打って出る誘惑に駆られがちです。それで、しばしば泥沼の戦争を続けることになってしまうのです。何でそんなことをするのかと言うと、戦争に勝利しない限り、自分は亡命するか死ぬしかないと思っているからです。ゲーマンスは、第一次世界大戦が始まって4ヵ月後の1914年11月17日の第3代ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世(Kaiser Wilhelm II)がとった行動を教えてくれました。ヴィルヘルム2世は、側近連中と戦況を分析し、勝利するのは難しいという結論を導き出しました。ゲーマンスは言いました、「それでも、彼らはその後4年間も戦い続けたのです。その理由は、もし敗戦してしまったら政府が転覆し革命が起こると考えていたことにあります。」と。実際、彼らの考えていた通りでした。民主的でなく独裁的でもない中途半端な指導者が非常に危険なのです。ゲーマンスによれば、第一次世界大戦をはじめ、長引いた戦争の多くは、このような指導者のせいだそうです。