2.参加型予算編成の模範例 カスカイス市(ポルトガル)
5月の暖かい日の夜、私はカスカイス市の市民課を率いるイザベル・ザビエル・カニング(Isabel Xavier Canning)と一緒に、参加型予算編成の会議を見学しに行きました。ザビエル・カニングは、50代の黒髪の女性で、20年以上カスカイス市役所に勤務しています。課を仕切っているだけあって、自信にあふれているように見えます。会議は午後9時からカトリック教会の付属するコミュニティセンターで行われることになっていました。私たちは、開始時刻の1時間ほど前に到着しました。箱型の建物の外には、すでに何人かが待機していました。私たちは、地階の会議場に向かいました。そこで、ザビエル・カニングが市民課のスタッフに混ざって、折りたたみ式の長机と椅子を並べ始めました。1つの長机には5脚か7脚の椅子が置かれていました。偶数にしないことは意味があって、同数票となることを避けられます。建物の外には、どんどん人が増えていました。
9時10分前になると、市民課スタッフが外で待っていた人たちを案内して会議場に入れ始めました。受付テーブル前に素早く1列の待機列ができました。受付では、全ての会議参加者は布袋から棒を取り出します。棒がくじになっていて、棒の先には色が付いています。各参加者は、その色ごとに定められた長机のまわりの椅子に座りました。赤いTシャツを着た筋肉隆々の消防士たちが到着すると、順番に棒を取り出しました。それぞれ違う色が出るようになっていて、あちこちの長机に散らばっていきました。もし、彼らがまとまって1つの長机に座ってしまうと、その長机では彼らの意見が優勢となってしまうかもしれません。逆に彼らが1人もいない長机では、彼らの主張を他の者に聴いてもらう機会はほとんど無くなってしまいます。また、何の制約も設けずに採決をすると、団体やグループが提案したことが個人のものより優勢となりやすいものです。それで、組織や団体による提案はタイプAプロジェクトとして区別されていて、採決方法が個人が提案したプロジェクト(タイプBプロジェクト)とは異なっています。もし、そうしたルールが無かったら、消防団や父兄会などの団体の構成員が出席者の多数を占める会議の場で、個人の提案するプロジェクトが採択される可能性は低くなってしまうでしょう。
20数卓ある長机のうち、3つを除いてはすぐに満席になりました。さまざまな人がいました。消防士だけでなく、定年退職者、大学生、芸術家、スポーツのコーチ、動物愛護活動家などでした。この会議には12歳以上であれば誰でも参加できました。ほとんどの人が胸に名札をつけていて、どことなく華やかなムードが漂っていました。談笑している者が多く、幼児がテーブルの間を走り回ったりしていました。午後9時ぴったりに、カスカイスのロゴ入りTシャツを着たボランティアの進行役数人が、各テーブルで案内をし始めました。各長机では全員が自己紹介をして、その後、各自が簡単に自分の意見を説明しました。いくつかのテーブルでは、消防士がピカピカの消防車や救急車の写真を載せた資料を手にして説明していました。また、他のいくつかの長机では、ドーム状建物の予想完成図を示してアピールしている者がいました。その建物は、保護猫の収容、ヨガ教室、ビーガン料理教室のために使われるとのことでした。それを提案している団体の1人の年配女性は、子犬を抱きかかえ、哺乳瓶でミルクを与えながら話していました。提案の説明とそれに対する質疑応答に30分ほどが費やされました。各長机で各提案に対する投票が行われました。各人がタイプAの提案2件、タイプBの提案2件に投票する形です。進行役の何人かが、各テーブルで選ばれた案を、壁一面のホワイトボードに大きく書いていきました。タイプAプロジェクトは緑、タイプBプロジェクトは黒で色分けされていました。複数のテーブルで同じプロジェクトが採用されたようですが、最終的にはAB両タイプともに6件ずつのプロジェクトが残りました。
続いて、各プロジェクトの提案者から1分間のスピーチが行われました。全参加者が耳を傾けました。1人の女性は、背が低い元気な女性でしたが、犯罪を減らすためにビーチに監視カメラを設置すべきだと提案しました。彼女は、人々はすでにスマホで監視されているのだから、プライバシーの侵害に配慮する必要はないと主張しました。次に体格のよい日焼けした消防士は、彼の所属している消防団では15年前の救急車を使用していると説明しました。彼は言いました、「国からお金は出ないのです。あなた方市民が頼りなんです。」と。その説明が始まる寸前に、消防団の重要性を認識させるための演出だったと思うのですが、何人かの消防士が通報を受けたとして部屋を慌ただしく飛び出していきました。会議の参加者は全員が緑色のシール2つ(タイプAプロジェクト用)と、ピンクのシール2つ(タイプB用)を手にしていました。各人が進行役をしている者たちにシールを渡すことで投票することになります。回収されたシールは壁のホワイトボードに貼られます。投票が進むにつれ、色が濃くなり、どのプロジェクトが勢いを増しているかがわかります。団体が提案したプロジェクト(タイプA)の中では、消防士たちが提案した救急車等の装備の新調を求める提案も多くの票を獲得していました。次いで多かったのは知的障害者施設の改修で、サッカー場の改修等が続いていました。個人が提案したプロジェクト(タイプB)では、公共美術館新設、高齢者支援プログラムの創設、近隣の大学生のためのバスの増便や照明設備の改善などが上位を占めました。投票で選ばれた団体や個人はホワイトボードの前で記念撮影をしていました。地下の会議室から参加者が地上に出ていく際に、進行役たちが選ばれなかった団体や個人に声を掛けていました。今回は残念でしたが、次の会議で頑張ってくださいというようなことを言っていました。会議は年間で9回開催される予定です。そして、市民課のスタッフが最終的な投票数を記録して、長机と椅子を撤収しました。また、参加者の質問に答えたりしていました。そして、午後11時過ぎには、すべて完了しました。
これは、長いプロセスの始まりでしかありません。このような会議で春に選ばれたプロジェクトは、夏に技術的な分析がなされます。その段階で、プロジェクトの提案者は市の関連部署のスタッフと面談を重ねます。市のスタッフはそのプロジェクトの実現可能性やコストを評価します。毎年、この段階で約3分の1のプロジェクトが却下されることとなります。理由はさまざまです。市が定めた350万ユーロの予算上限をオーバーすることが不可避と判断されること、既に市等が提供しているサービスと重複すると判断されること、環境に悪影響を及ぼすと判断させること、法的な問題がクリアできないと判断されることなどです。そして、秋に、1カ月にわたる一般投票が行われます。盛んに投票を呼びかける運動が繰り広げられます。友人や隣人が集まって、協力して投票を呼びかけたりします。一般投票では、毎回40ほどのプロジェクトが投票にかけられますが、それよりも多い場合もあります。携帯電話を持っている人なら誰でも投票できます。投票のほとんどはテキストメッセージで行われます。システム上で、同じ携帯電話からは1回しか投票できないように制御されています。
1カ月の投票期間が終わると、市長は投票数によってランク付けされたプロジェクトのリストを受け取ります。市長は、このリストのどこかに線を引かなければなりません。いわゆる足切り線です。その線より上にあるプロジェクトには、資金が提供され、実施されます。この線を引く際に、ある程度の裁量が市長にはあるわけですが、とはいえ、かなり限定的です。市長はリストの下方にあるプロジェクトを自分が好きだからという理由で優先して実施する権限があるわけではありません。そもそも、リスト上のプロジェクトの順番を入れ替える権限もありません。また、参加型予算編成で決まるプロジェクトには投資総額の下限が定められているのですが、市長はプロジェクトを選んだ際に合計額が下限額を必ず上回るようにしなければなりません。同時に、市長には投資総額の上限を決める権限もないのです。投票者が多ければ多いほど、プロジェクトに提供される資金総額は増えるようになっています。過去最高となった2017年は、7万5千人以上が投票しました。