言った者勝ち?なぜ保安官等の公職選挙において、かくも学歴詐称や軍歴詐称が横行するのか!

2.以前から軍歴詐称をする輩はいた 今ほどバレなかった

 政治家は人々を戦争に巻き込むために嘘をつきます。将軍は戦況について嘘をつきますし、兵士は戦果ついて嘘をつきます。1782年、ジョージワシントンが独立戦争で活躍した部隊にリボンとバッジを授与しましたが、既にその時代でも軍歴の偽装は悩みの種でした。ワシントンは次にように記していました、「何の軍功も為していないのにずうずうしくも名誉の証である勲章を受勲する者は厳しく罰せられなければならない」と。南北戦争の南軍に仕えた退役軍人で最後の生き残りであると考えられていたウォルター・ワシントン・ウィリアムズは1959年に亡くなりました。時の大統領アイゼンハワーは彼を追悼する日を設けようとしました。しかし、ウィリアムズの兵役記録はでっち上げであること、ウィリアムズに次いで長生きした南軍の生き残りであると考えられていた人物の軍歴もでっち上げであることが判明しました。実際、南北戦争に詳しい歴史学者ウィリアム・マーベルによれば、南軍の退役軍人で最後まで生き残った12人全員の兵役記録がでっち上げであることが分かっています。昔は大騒ぎにならなかったのですが、兵役記録を偽ることが大きな問題になるようになったのはつい最近のことです。そういった行為は、”stolen valor(軍歴詐称)”と呼ばれるようになりました。

 ”stolen valor(軍歴詐称)”というのは、現在テキサス州で株式仲買人をしているベトナム戦争の退役軍人であるジャグ・バーケットが作った語です。彼は1980年代にテキサス州でベトナム戦争の退役軍人を顕彰するための資金集めをしました。しかし、かなり苦労しました。なぜなら、ベトナム戦争の帰還兵には典型的なイメージが確立してしまっていたからです。帰還兵は敗残者であり、浮浪者であり、麻薬中毒であり、アル中であり、怠け者であると思われていました。ベトナム戦争から戻ってきた社会のお荷物は、悪夢とフラシュバックにとりつかれいつ暴れだすか分かったもんじゃないと思われていました。1988年、バーケットは、ダラスタイムズヘラルド新聞の記事で、カール・ウィリアムズというベトナム戦争帰りの退役軍人が警官1人を撃ち殺した事件を知りました。その新聞のコラムニストは、ベトナム戦争がカール・ウィリアムズを犯罪者にしてしまったのせはないかという懸念を表明しました。ほんの気まぐれだったのですが、バーケットは連邦情報公開法(Freedom of Information Act)に基づく請求をして、カール・ウィリアムズに関する兵役記録を取得しましたが、ベトナム戦争で従軍した記録はありませんでした。

 バーケットは思う存分に連邦情報公開法を活用するようになりました。彼は、パレードなどで子供たちにサインに応じていた陸軍特殊部隊員の兵役記録を請求し、虚偽であると見破りました。次に、サンアントニオのベトナム戦争博物館の運営をしていた2人(海軍特殊部隊出身と陸軍特殊部隊出身)を調べました。2人とも嘘つきでした。二人は、お互い相手の兵役記録は虚偽では無いと信じていました。バーケットは、俳優ブライアン・デネヒー(映画ランボーで主人公を執拗に追う保安官を演じた事で有名)のベトナムで戦闘中に負傷したという経歴が虚偽であることも明らかにしました(デネヒーは海兵隊に5年間勤務した実績がありますが、ベトナム戦争には加わっていません。デネヒーは後に謝罪に追い込まれました)。バーケットは、兵役記録の改竄、でっち上げたをした人を沢山特定しました。あまりに多い人数でしたので、兵役記録以外にも経歴を詐称する事例は国中にいっぱい転がっているだろうと思いました。1989年までの2年間、バーケットは1日1件の割合で連邦情報公開法に基づく調査依頼を出しました。国立公文書館の職員が言うには、バーケットほど頻繁に連邦情報公開法を利用した者は他にいないとのことです。

 1998年に、バーケットは「軍歴詐称-世間にはびこるでたらめなベトナム戦争の武勇伝」を自費出版しました。ベトナム戦争に詳しいジャーナリスト、グレンナ・ウィットリーとの共著でした。700ページ弱の本で、バーケットの探求心を満たすために作られたような本です。例えば、PTSDは、反戦左派勢力によってでっち上げられたもので、誰もが安易にPTSDだと診断されていること、ベトナムでの戦争犯罪に対する告発は大げさで誇張があるとか等が延々と書かれています。その中で、最も読者の注目を集めたのは、軍歴詐称をしている者を暴いているところです。共著者のウィットリーは、まだSNSの無い時代であるにも関わらず、かなり拡散されたと言っていました。

 それでも、虚偽の兵歴をアピールしている者を常々調査しているような人は、当時はほんの一握りしかいませんでした。基本的に、3人しかいませんでした。バーケットとミズーリ州の2人です。ダグ・スターナーが軍歴詐称の調査をするようになったのは偶然でした。スターナーはベトナム帰りです。2つの青銅星章をもらっています。彼は、Medal of Honor(名誉勲章ー米軍の最高位の勲章)を贈られた人のデータベースの構築に関わっていた時に、軍歴を保存しているシステムの使い方を覚えました。バーケット同様に、スターナーもかなり熱心に取り組んでいました。日中は、コロラド州プエブロのアパートの管理の仕事をしていました。時間に余裕があれば、メダル受領者のリストを管理し、81冊もの本を書きました(その大部分は軍歴に関するものです)。しかし、その中で一番売れた本は全く戦争と関係のないものです。彼の妻は 映画「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」の大ファンでした。それで、彼は結婚40周年を機として同じような感じの本をいくつか書いてみたのです。それらの本は、過去に書いた本を合わせた合計よりも多く売れました。彼は、そのことを少しはにかみながら教えてくれました。

 スターナーは軍歴詐称者を暴露するつもりはありませんでした。どちらかというと実際に戦場で功績を挙げた人の方に興味がありました。出来るだけそういう人と会うようにしていました。あるメダル受賞者の集まりで、90年代のことですが、1つのメダルを胸に着けた背の低い男がスターナーに寄ってきました。そして、写真を見せながら言いました、「あなたは”Medal of Honor(名誉勲章)”について詳しいと伺っています。どうか、この男が誰だか調べてくれませんか?」と。スターナーはその写真をじっと見つめてから言いました、「ええ、写真の人物が着けているメダルは空軍の名誉勲章ですね。そのメダルは13人にしか贈られていません。その内、存命中なのは5人しかいません。残念ながら、写真の人物はその5人の誰でもありません。ですから、間違いなく軍歴を偽っていますね。」と。そうしたら、写真を見せた男性は握手するための手を差し出しながら言いました、「申し遅れました。FBIのトム・コットンです。今後ともお世話になるかもしれませんな。」と。そうして2人の付き合いは始まりました。

 スターナーがMedal of Honor(名誉勲章)に関する軍歴詐称ではないかと疑う出来事が起きました。それでコットンに知らせました。あるご婦人からスターナーに手紙が届いたのですが、そこには、彼女の夫の名前はMedal of Honor(名誉勲章)のデータベースに追加すべきであると記されていました。コットンはスターナーに彼女を信じるふりをするよう指示しました。スターナーにとっては、汚いことをしている感じのするあまり気持ちの良い仕事ではありませんでした。そのご婦人を騙していたような感じがしました。彼女が夫に罪を負わせるのを助長するような作業でした。最後は、FBIが出て来て軍歴詐称であることが判明しました。スターナーはコットンにあまり気持ちの良いものではないと不満をぶつけました。コットンは、軍歴で嘘を言うような者は放っておけばもっと大きな嘘を言うのだからこうするしかないと言いました。

 当時、軍から贈られたのではないメダルを着けることを罰する法律がありましたが、しかし、その法律は軍歴詐称は想定していませんでした(それ自体は罰することが出来ませんでした)。該当する連邦法の条文は、偽の警察バッジを作ること、4-H(米国の農村の青年団)のメンバーであると偽ること、スモーキーベア(米で人気の熊のキャラクター)の偽物を作ること等は違法となることを規定しているだけです。そういった状況が動き始めたのは、2004年のことです。アリゾナの地元紙に載った退役軍人がきっかけを作りました。その男の軍歴は華々しいものでした。よく見るとあり得ないことばかり書かれていて、サダム・フセイン拘束作戦にも参加したことになっていました。スターナーはその男の軍歴詐称を暴露するのを手伝いましたが、刑事罰が課されないことを不満に思いました。メダル受賞歴を偽っても罰せられることはありません。罰せられるのは、偽物のメダルを胸に着けている時だけなのです。パム・スターナー(スターナーの妻)は、夫とコットンが関連する法律が機能していないことについて議論しているのをふと耳にしました。時々大声がしたり、熱のこもった忌憚のない議論を交わしているようでした。その時の顛末はスターナーにとって非常に印象に残ったので、著書”Restoring Valor: One Couple’s Mission to Expose Fraudulent War Heroes and Protect America’s Military Awards System(武勲を守れ 戦歴詐称を暴き軍功褒章制度を守るために戦う夫婦の記録)”にも記しています。その際のコットンの口調があまりにも激しいことにパムはかなりイラつかされました。当時パムは大学に戻り政治学を学び 直していました。翌日が締切の課題が残っていました。その最中にふとパムは思いつきました。卒業論文のテーマは米国の最高位の勲章に関わる軍歴詐称に決めました。評価はAでした。その後、軍歴詐称を罰することが出来る法案を通過させようと決意しました。

 スターナー夫妻にとってはタイミングの良いことに、法案を通すための機運が盛り上がりやすい状況でした。ピュー・リサーチセンターが行った調査によると、アメリカ同時多発テロ以降、米国人の91%が米軍に誇りに思っていること、米軍は国内で最も信頼されている機関であることが判明しました。軍への信頼が高まるのに伴い、その信用が悪用される可能性があるのではないかという不安も高まっていました。「戦歴詐称防止法案」はパムも少し立案に関わっていましたが、2005年に議会に提出されました。映画「ウェディング・クラッシャー」が封切られた年です。何百万人もの観客が動員されました。映画の中で、ヴィンス・ヴォーンとオーウェン・ウィルソンの2人は紫心章(名誉戦傷章)に関して嘘をついている役を演じました。2006年9月7日、法案は議会で満場一致で可決されました。それによって、軍での受賞歴や軍歴を偽ることは連邦犯罪になる事となりました。大統領ジョージ・ブッシュはその後すぐに署名し法律は制定されました。しかし、その6年後、米国対アルバレス訴訟において、最高裁はザビエル・アルバレスを支持し無罪を言い渡しました。彼はカリフォルニア州港湾事務所職員でしたが、名誉勲章の受賞に関する虚偽の主張で下級審では有罪判決を受けてました(他にも嘘を言っていたことが明らかになっています。プロのアイスホッケー選手であったとか、メキシコの映画スターと結婚していたという主張はいずれも嘘でした)。最高裁は、軍歴詐称防止法は憲法修正第1条に違反していると認定しました。たとえ虚偽の声明があったとしても、憲法修正第1条が表現の自由を妨げる法律の制定を禁じていることから除外するには十分ではないという判断でした。その後、米下で修正法案が可決されました。それにより、不正に勲章を身に着けたり、軍での階級を偽ったり、軍歴を偽って金銭や利益を得ることは違法とすることが可能になり、軍歴詐称は表現の自由の問題から除外されて、犯罪として扱われることとなりました。しかし、アルバレスの裁判では、裁判官の意見は全会一致だったわけではなく、アンソニー・ケネディー裁判官は違う考え方をした1人でした。彼は言いました、「アルバレスの嘘は既に万人の知るところとなり、様々な批判を受けることとなり社会的な制裁を受けています。今後も同じだと思いますが、虚偽の主張をする人は結局は社会的な制裁を受ける羽目になるということです」と。