4.リスクは常に変化する。が、やるべきことが変わるわけではない。
リスクと脆弱性は、絶え間なく変化し続けます。ヴァージニア・ウルフの代表作「ダロウェイ夫人」の冒頭で、主人公の50代のクラリッサは、晩餐会の食材を調達するためにロンドンの喧騒に満ちた街を歩いていました。彼女は人ごみの中でしばらく立ち止まり、昔の恋人のことや若い頃の実現しなかった夢のことを思い浮かべました。彼女は自分のこれまでの人生が間違っていたかもしれないと思うようになりました。ウルフは「彼女は自分はまだ若いと感じていたが、同時に言いようのないほど老いたとも感じていた。彼女はいつも、一日を生き延びることさえも決して容易なことではないと感じていた。」と記していました。
齢を重ねるということは、間違いなくリスクが高くなるということを意味します。1日生き延びることは、年々難易度が高まっていきます。若い時には罹っても何ともなかった病気や怪我も、齢をとってから罹ると死を意識せずにはいられなくなります。人間の肉体は経時的劣化からは逃れることはできないのです。そうはいっても、加齢によって健康上のリスクは高くなるのですが、時には低くなったりすることもあります。心臓にステントを入れる技術が確立されたので、心臓病による死亡率は少し下がました。そのことによって、加齢に伴うリスクは多少とはいえ下がりました。化学療法の進歩により、致命的でなくなった癌もあります。少しずつですが、歳を重ねることがより安全になりつつあるのです。
新型コロナのパンデミックが始まって以降、特にオミクロン株の出現以降、齢を重ねることに伴うリスクは急激に高くなっています。しかし、それはいつまでも続くものではないと思われます。齢を重ねることによるリスクの高さは、いずれ元の高さに戻るでしょう。新型コロナは、特別な感染症ではなく、年を取ったら気をつけなければならない沢山の病気の中の1つになるでしょう。ワクチンの追加接種、飲み薬の開発、迅速な陽性検査体制の確立、マスクの改良、換気システムの改善などにより、新型コロナのリスクは変化するでしょう。一方、米国の新型コロナによるリスクは、地域ごとに異なります。感染者が多発しているところではリスクは高く、そうでないところでは低いでしょう。それは、脆弱性のある人もない人も同じです。現在、米国では1日平均13万3千人の新型コロナ感染者が発生しています。この夏には1日当たりの新規感染者数はその10分の1ほどでしたが、その頃と比べれば、現在は脆弱性のある人たちにとって非常にリスクが高くなったと言えます。個々人が獲得している免疫力というのは、有るか無いかの二者択一ではなく、人によって強かったり弱かったり程度が異なります。また、ワクチンを摂取したり、ウイルスに暴露することで強まります。ですので、新型コロナの感染が拡大している状況は、新型コロナが普通の風邪のようになる状況が近づくということを意味します。普通の風邪のようになれば、それほど脅威に感じなくても良いわけですし、特別に警戒する必要もなくなるのです。新型コロナに対するリスクは決してゼロにはなりません。しかし、そのリスクは時間とともに緩和されつつあります。やがて現在のような不自由な生活を余儀なくされている状況も変わるでしょう。
残念ながら、現在はまだその段階ではありません。まだ、リスクは十分には低くありません。そして、コロナウイルスの感染力は、オミクロン株の出現で高まっていますが、リスクは人によって異なり、脆弱性のある者はより注意が必要でしょう。ワクチンの3回目接種を受ければ、たとえオミクロン株に感染しても重症化は防げるでしょう。しかし、誰もがそのような選択肢を選べるわけではありません。世の中には、新型コロナに対して脆弱性のある人もいます。社会全体でそういう人たちのリスクを軽減しなければなりません。そのために、この冬はより安全な行動を取るべきです。
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