3.抗ウイルス薬も正しく使われなければ効果は無い
メルク社はモルヌピラビルの大量生産体制を着々と整えています。同社の製造担当上級副社長のジョン・マクグラスは、第III相試験でモルヌピラビルの有効性が確認されるずっと前からメルク社は製造能力を拡大し始めたと語っていました。通常は、どんな企業でも製品の需要予測をしてから、製造プラントを徐々に拡大していきます。しかし、メルク社は、モルヌピラビルの製造ラインを既に8カ国(3大陸)の17工場で構築しています。現在の製造能力では、今年の終わりまでに1千万人治療分の製造が可能です。また、来年は2千万人分の製造が可能です。メルク社は、モルヌピラビルによって2022年末までに50億ドル~70億ドルの収益があると見込んでいます。
新型コロナの抗ウイルス薬が市場に投入されたら、冬になって急増する気配を見せている感染者数にどのような影響を与えるでしょうか?新型コロナのパンデミックではさまざまな要因が絡み合っているので、抗ウイルス薬だけで純粋にどれだけ効果があるかを測定することや推定することは不可能でしょう。FDA(米国食品医薬品局)は数週間以内にモルヌピラビルを承認するでしょう。その後、すぐにパクスロビッドを承認するでしょう。抗ウイルス薬が承認されて市場に投入されたら、全てが解決するわけではありません。抗ウイルス薬は、他のどんな薬でも同じことですが、正しく効果がある方法で服用された場合にのみ効果を発揮します。新型コロナの抗ウイルス薬の場合は服用のタイミングが非常に重要です。症状が出始めた直後、モルヌピラビルの場合は3日、パクスロビッドの場合は5日以内に服用する必要があります。抗ウイルス薬のご利益を得ることができるか否かは、どこに住んでいるかということに依存している部分があります。つまり、住んでいる所の公衆衛生インフラのレベルに依存しています。欧州では、在宅で迅速に新型コロナの陽性検査をする体制が整っているところが多いようです。新型コロナのパンデミックが発生してから既に20カ月も経過しましたが、米国の多くの州ではそんな状態にはなっていません。米国には、安価にPCR検査を実施し、結果を直ぐに知らせてくれる医療機関等はそんなに多くありません。
米国で新型コロナに感染したとすると、どうなるか想像してみましょう。月曜日に、ある男性が疲れ感じたとします。その時点では新型コロナしたなどと想像しないでしょう。火曜日になって、彼は朝起きた時に頭痛があることに気づき、午後には熱が出てきました。それで、翌朝に新型コロナの陽性検査を受けることを計画します。予定通り水曜日朝に検査を受けて、その2日後に、検査結果が陽性であったことを通知する電子メールを受け取ります。それは金曜日の午後です。そこで、彼は直ぐに診てくれる医療機関を探して電話し予約を入れます。そして誰かに連絡して医療機関まで車で送ってもらい、医者に処方箋を出してもらいます。それを手にして薬局へ向かい、ようやく5日分の薬を手にすることが出来ます。その男性が、医療保険に入っていない場合はもっと面倒なことになるでしょう。高齢者、一人暮らしの者、ホームレス、英語を話せない人の場合だと、薬を受け取るまでの日数はもっと長くなるかもしれません。抗ウイルス薬が開発され、まもなく承認されますが、その恩恵を最大限に被りたいのならば、感染したら直ぐに分かるように神経を研ぎ澄ませておく必要がありますし、検査を受けられる場所や直ぐに診てくれる医療機関や薬局を探す手間を惜しんではいけません。また、感染が確認されたら即座に行動することが必須です。
抗ウイルス薬は、人口のわずか6%しかワクチン2回接種を済ませていないアフリカなどでは特に効用が大きくなる可能性があります。米国や英国などの裕福な国々は早々とワクチンを確保しましたが、同様なことが抗ウイルス薬でも起こっています。裕福な国々は既に抗ウイルス薬供給に関して大口の契約を結んでいるようです。それでも、メルク社は発展途上国へも供給が十分に為されるための措置を講じ、先日、国連が支援する非営利団体(メディシン・パテント・プール)に無料で特許を開放しました。それにより、100カ国以上の低中所得国で製薬各社がモルヌピラビルのジェネリックを製造することが可能となります。ファイザー社もメディシン・パテント・プールと同様の内容で合意に達しているようです。ファイザー社の発表によれば、低所得国に対してはパクスロビッドの特許を放棄し、新型コロナのパンデミックが収束してもそれを続けるということでした。その結果、モルヌピラビルを感染者に投与する(1日2回、4錠づつ、5日間の40錠)場合の費用は、米国等では700ドルですが、発展途上国では僅か20ドルとなります。メルク社のグローバル公共政策担当取締役のポール・シャパーは私に言いました、「当社の目標は、この製品を高所得国にも、中所得国にも、低所得国にも同時に届けることです。」と。世界中の50以上の企業が既にメディシン・パテント・プールと接触済みで、抗ウイルス薬を製造するためのサブライセンスを取得しています。また、ゲイツ財団はジェネリック医薬品メーカーを支援するため1億2千万ドルを拠出する予定です。先日、メディシン・パテント・プールの代表を務めるチャールズ・ゴアは言っていました、「世界にはワクチン接種率が高くない国が少なくありません。そうした国にとって、これは本当にありがたいことです。」と。今後は、抗ウイルス薬をどうやって必要な場所まで配送するかということが課題となるでしょう。特に、中、低所得国では容易なことではありません。また、十分な陽性検査体制を整えることも必要となります。
去年の春には、新型コロナの感染者を診る医師として出来ることがあまりにも少なかったので、私はちょっと意気消沈していました。米国では、ヒドロキシクロロキン(抗マラリア薬)、抗凝血剤の投与が試されました。また、酸素吸入器や人工呼吸補助器等も使われました。いろいろと試されましたが、ほとんどの場合において、患者が自然と回復するのを待つしか手立てはありませんでした。それで、夕刻に誰も居なくなってしまった街角を歩きながら、どんな治療法が出来たら一番効果的なのかということを考えたりしました。その時に、私が思ったのは、感染後すぐに家で簡単に服用できるウイルスの複製を防ぐ薬が開発されるのが一番望ましいということでした。そうすれば、重症化する人が居なくなりますし、入院する人やICUに入る人も居なくなると思っていました。
間もなく、そのような薬が1つではなく2つも利用可能になります。新型コロナ感染防止の観点から見ると、抗ウイルス薬が開発されたことは、ワクチン開発と並ぶ重要な薬理学的進歩です。新型コロナウイルスの感染の拡大は続いていて、ワクチン接種者にも非接種者にも感染が再び拡がる気配を見せていましたので、追加の対策がどうしても必要となっていました。2つの抗ウイルス薬は正に待たれていたものです。コロナウイルスが人体に与えるダメージを軽減するでしょう。また、コロナウイルスの感染拡大の抑止にも寄与するでしょう。しかし、抗ウイルス薬の効果が十分に発揮され、かつ、その効果を広範囲に行き渡らせるためには、容易に素早く陽性検査が出来る体制を整えることが必要です。それには、米国でさえ苦戦しています。医療機関、製薬企業、当局、配送業者等の間のコミュニケーションを円滑にし、上手く調整することも必要です。また、誤った情報を無くすこと、ワクチンや新開発の抗ウイルス薬への信頼を勝ち取ることも必要です。ワクチンは腕に注射しなければ何の効き目も無いのと同じように、抗ウイルス薬も正しく服用されなければ全く効かないのです。
以上