Road Trips July 11 & 18, 2022 Issue
In the Beforetime(新型コロナ前の旅の思い出)
“I could sense in my bones that the worst had happened, yet a road trip allowed time and space for disbelief. Disbelief is a kind of hope.”
「直観的にとても悪いことが起こっているような気がし、何か確信めいたものがありました。一人で運転しながら、悪いことが起こっているはずはないと思い込もうとしていました。そうすることで、不安な気持ちを一掃しようとしていたのだと思います。」
By Yiyun Li July 4, 2022
2つの旅をして、2人の詩人の記念館に行き、2つの永久の別れを経験する。それらは全て、私の人生のある一週間で起きたことです。それは2017年9月のことでした。当時はとても辛かったはずです。それでも、2022年となった今、改めて振り返ってみてもそれほど痛みは感じません。少し、懐かしく感じることさえあります。しかし、将来、新型コロナが収束した現在の状況を振り返って懐かしく思うようなことは決して無いでしょう。現在、我々は、新型コロナ後の世界を生きているわけですが、新型コロナの残した爪痕は歴史的に見ても非常に大きいのです。
当時、私はウィリアム・トレヴァー(アイルランドのコーク県出身の小説家)の追悼のためにロンドンに行っていたのですが、フィリップ・ラーキン展(フィリップ・ラーキンは英国的詩人としての名声を確立。社会的名声を求めず、生涯独身でひっそりと生涯を終えた)を見るためにハル(イングランド北東部にあるイギリス第三の港湾都市)にも行くつもりでいました。私が紅茶を飲みながらケーキを食べていると、友人が「特急列車で行くの、それとも車で行くの?」と聞いてきました。私は、特急列車で行けるところには、いつも特急列車で行っていると答えました。その5日後、私は、マサチューセッツ州アマーストにあるエミリー・ディキンソン(19世紀アメリカの詩人)記念館に行く計画を立てました。私の住むプリンストンからアマーストまでの距離は、ロンドンからハルまでとほぼ同じ200マイル強でした。しかし、アマーストへの旅では、列車という選択肢はありません。車で行くしかありませんでした。私と友人は、道中の車の中でウィリアム・トレヴァーとフィリップ・ラーキンのことについてあれこれと話をしました。2人はともに親になることを選択しなかった少し複雑な人物でした。また、イギリスとアメリカの政治、ブレグジット(Brexit)の国民投票の影響、2016年の大統領選挙後のことなどについても話をしました。まあ、そうしたことが話題となることは予想されたことではありました。誰もが話題にしやすいことですから。しかし、今では話した内容はほとんど記憶に残っていません。
ラーキン展は、かつて彼が司書をしていたハルの大学図書館で開かれていました。数百もの彼の所有物が展示されていました。蒐集していたネクタイが展示されていました。母親に送った手紙などがガラスケースに整然と置かれていましたが、秘蔵品でそれまで展示されたことが無いものでした。ラーキンの父親が所持していたヒトラーの小さな彫像、ラーキンが書いていたいくつかの日記の表紙と背表紙もありました。それらの日記の1つは、中身が切りだされていて、それも展示されていました。雑誌から切り抜いた薄着の女性の写真の切り抜きがちりばめたように貼られたページが沢山ありました。その日記は彼の長年のパートナーであったモニカ・ジョーンズに託されたものでした。彼の死後ほどなくして、彼女が日記の中のページを破り捨てたのです。
エミリー・ディキンソン記念館は、ディキンソンが暮らした家を含む2つの建物で構成されており、ディキンソンを身近に感じられる環境となっています。壁紙、カーテン、鏡台、ティーカップ、蔵書等が当時のままの状態で保存され展示されていました。私はそれらのすべてを見ることはできませんでした。おそらく、今後も見ることはないでしょう。私がアマーストのホテルに到着して間もなく、午後の早い時間のことでしたが、テキストメッセージを受信しました。それで、フロントまで戻るように促されました。フロントで伝言を確認すると、すぐに自宅に引き返さなくてはならないことが分かりました。私は、すぐにチェックアウトして、急いで車に乗り込みました。その日、私はディキンソンの生家の前を通っていたかもしれません。しかし、たとえ通っていたとしても気がつかなかったでしょう。
車での移動には、さまざまな利点があります。何といっても自由に旅程を変更することができます(列車での移動では、急用があったりした場合、その先の旅程をキャンセルするしかありません)。また、渋滞などの状況によってルートを変更することも可能です(実際、その日も私は車のナビの指示に従って通常とは違うルートを行きました)し、車の中では世間の目を気にせず大声で泣いたり喜んだりすることもできます。対照的ですが、列車での移動では、悲嘆に暮れていて静かに過ごしたい時にも周りが騒がしいことがあります。私がハルに行った際には、静かな車両(quiet carriage:欧州で長距離列車に設定されている大声が禁じられている車両)の指定席を予約していました。列車がキングス・クロスを出た時、その車両には私の他に居たのは1家族だけでした。両親と子ども2人(10代の男女)の4人家族でした。4人は、通路を隔てて私の反対側に陣取っていました。トランプで遊びだしたのですが、楽しそうとはいえ、ちょっと声が大きくて気に障りました。
私は、「ここは静かな車両です(This is a quiet car)」と記された車内案内表示を指差しながら言いました、「すみません。騒ぐのはよしてくれませんか。」と。
すると、その家族の父親が反応して言いました、「ここって静かな車両だったの?だったら、声出したらダメじゃん!そうなの?」と。
私は、誰に向かって言ってるの?とか、寝言は寝てから言えと心の中で思いました。それで、「騒ぐんだったら他の車両に移って下さい。」と言いました。
父親は言いました、「いや、席を移れと言われても、ここを予約しちゃったんですよね。」と。
私は言いました、「静かな車両を予約したんだから、静かにしてくださいよ!」と。
父親は妻の方を向いて聞きました、「俺、静かな車両を予約しろなんて言ってないよね?」と。
問われた妻は、鞄の中にしまっていたチケットを取り出して、予約した内容を確認しました。しかし、それきり何も言いませんでした。男の子が再びトランプを手に伸ばし、また配り始めました。母親は声を出さないように注意してトランプをしていました。子供2人はひそひそ声で話をしていました。残念ながら、父親は普通の声量で話をしていました。私は窓の方を向きました。ガラスに家族がトランプに興じる様が映っているのが見えました。冷静に観察してみました。私が思ったのは、父親は最低な奴だなということです。母親のことは、可哀想な人だと思いました。2人の子供については、、真っ当な人間になってほしいと願わずにはいられませんでした。
次の駅では、リュックを背負った男が1人乗り込んできました。その後の展開は、予測された通りのものとなりました。その男はトランプをしていた家族に静かにするように言いました。それでも、その家族はひそひそ声で話しながらトランプを続けました。父親も声をひそめるようになりました。それから、父親のスマートホンに電話の着信があったのですが、彼は全く遠慮というものを知らないかのような大声で話し始めました。バックパックの男は、父親に怒鳴りました。母親は、両手に広げて持っているカードを注視するだけでした。もし、その家族が車で移動していたなら、母親が誤って静かな車両の席を予約するというミスを犯すことはなかったでしょうし、父親が彼女の間違いを咎めることも無かったでしょう。その家族が赤の他人から注意されることも無かったでしょう。とはいえ、たとえ車で移動していたとしても、やはり何らかの問題を起こしていたのではないでしょうか。そもそも、根本的にその家族自体に問題があったわけですから。
私は秋の週末の夕暮れの中で車を走らせながら、息子のスマホに何度も電話をかけていました。何度かけても毎回留守電になりました。直観的にとても悪いことが起こっているような気がし、何か確信めいたものがありました。車での移動でしたので、そのまま運転を続けました。一人で運転しながら、悪いことが起こっているはずはないと思い込もうとしていました。そうすることで、不安な気持ちを一掃しようとしていたのだと思います。
私が家に着いたのは日が暮れた頃でした。刑事2人と制服姿の警官1人が待っていました。16歳の息子が自殺したことを知らされました。あの一週間のことを振り返ろうとすると、なぜか私はいつもハル行きの列車に乗っていたあの家族のことを思い出してしまうのです。ちょうど、スナップ写真を撮る際に通行人が偶然に写りこんでしまうような感じです。かつて私と息子は2人でいろんなところに旅行したものです。しかし、今後、私たちは、静かな車両で騒いでいた家族のように連れ添って旅行することはできないのです。♦
以上
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