3.形態形成の過程の研究
レヴィンは、2008年に教授としてタフツ大学に戻るまで、ハーバード大学フォーサイス研究所で発生生物学研究室を運営していました。2016年、マイクロソフト社の共同創設者のポール・アレンから4年間で1,000万ドルの寄付を受け、アレンの名を冠した研究所、アレン・ディスカバリーセンターを設立しました。その研究所は形態形成に関連する遺伝子コードを解読することを使命に掲げています。また、形態形成の過程には、細胞間で連携して解剖学的に複雑な形状を形成し修復しているが、その仕組みを解明するための研究を行っていました。
私が、パンデミックが始まる数ヶ月前にタフツ大学のレヴィンの研究室を訪れた時、彼の研究成果を特集した沢山の学会誌の記事を拡大したものが掲示されている部屋に案内されました。管理室で手続きをした後、電子顕微鏡室、化学実験室、大規模実験室を見せてもらいました。最後に、私たちは「プラナリア飼育室」に行きました。そこでは、大きな飼育用の機械が稼働して音を発していました。レヴィンは、その機械の中の沢山タッパーウエアが置いてある棚を、前面のガラス越しに指さしました。それぞれのタッパーウエアの中には数千匹のプラナリアが入っていて、ミネラルウォーターが満たされていて、餌としてオーガニックの牛のレバーが与えられていました。彼は言いました、「プラナリアは非常に贅沢な生活をおくっています。」と。
それぞれのタッパーウエアには、水面に小さなプラナリアがいくつも浮かんでいました。奇妙な頭を持つプラナリアが入っているタッパーウエアもいくつかありました。それらは、頭の形が、尖っていたり、管状になっていたり、帽子ような形状であったり、さまざまでした。また、前と後ろに1つずつ頭のついているプラナリアが入ったタッパーウエアもありました。レヴィンはそれらを見ながら言いました、「2000年に日本から1匹のプラナリアを入手しました。そして、それを細かく切り刻みました。この飼育室で飼っているプラナリアは、全てそのプラナリアの子孫です。」と。
生物が受精卵から成体に成長するする時、事前に決められた通りに成長するわけではありません。そうではなくて、動物の細胞は環境に反応して、その環境の中では最善と思われる形で成体になって生きるのです。受精卵は分裂し、分裂を繰り返して、腔所のある胞胚になります。その後、遺伝子は細胞に化学物質を放出するよう指示を出し、他の細胞は放出された化学物質の濃度に反応して、どの場所で、どんな形態で形成するかを決めます。また、その際には他の要素も影響を及ぼします。酸素や栄養素やホルモンや毒素などです。
遺伝子には体と各部位を形成する際の設計図が含まれているという説はもっともらしく聞こえます。しかし、実際には、細胞内にはどの場所でどんな形を形成するかということに関する設計図や指示書は存在していません。レヴィンは私に言いました、「動物は、どういう行動をするかを決定する前に、どのような形で形成するかという決定を下さなければなりません。その決定はとても重要なものです。目をどこするか、脳はどこにするか、脚のどこに何を形成するか等を決定しなければなりません。その際、どこからも指示は飛んでこないのです。」と。アレン・ディベロプメントセンターの分子生物学者ケリー・マクラフリンは、言いました、「研究者が幹細胞を取り出して、さまざまな操作をして皿の上で心臓細胞を形成させることは可能です。それは拍動もします。しかし、それは心臓のほんの一部でしかありません。完全な心臓を形成は、沢山の細胞が影響を及ぼし合うことでしか形成できないのです。小さな細胞が膨大な数集まって影響を及ぼし合って心臓が形成されるのです。それは、小さな水分子が集まって渦を作っているのと同様です。」と。
結晶や交通や嵐は自己組織システムです(訳者注:自己組織システムは自律的に生成したり進化したりするシステムである。 様々な生命体、人格システム、社会システム等が、自己組織システムに該当する)。自己組織システムに精通した数学者やコンピューター科学者は、体の生成と再生の仕組みを理解するための有用な理論を持っています。レヴィンは言いました、「体が生成される際の重要な仕組みの1つが、モジュール性です。つまり、体の各部位は細胞が沢山より合わさったもので出来ており、何かきっかけがあると必要な場所で必要な形が形成されるということです。もう1つは、フィードバック・ループがあるということです。体が生成されていく際に、不具合があると分かるとすぐにその情報は他の細胞にも伝わります。それで体全体で生成の仕方に修正が為され指示が各部位に出されます。それで、各部署の細胞は修正された指示に従います。修正によって違う場所で違う形に形成することになりますが、それは全て隣接する細胞群から伝わってくる指示に基づいてなされます。」と。
ラヴィンは私をプラナリアの飼育室の先にある実験室に案内してくれました。そこには微細注入機がありました。細胞等微細なものにさまざまな物資を注入できる機械です。その実験室では週に2回ほど何千個ものカエルの胚が運ばれてきます。研究室のメンバーがカエルの体の形成の過程を分析しています。生体電気信号を読み取ろうと奮闘しています。2011年、レヴィンの研究室のポスドクのダニー・スペンサー・アダムスは、カエルの胚を膜電位感受性色素(膜電位変化を計測するための色素)の中に浸しました。彼女(ダニー)は、生成した後に顔を形成する組織(細胞群)の生体電気信号のパターンを発見しました。
ダニーや他の研究者たちは、後に顔になる組織に特有の生体電気信号のパターンを他の場所に流したら、そこに顔が生成されるのではないかと推測しました。ダニーたちは、後に胃を形成する細胞群に余分なイオンチャネルを構築させるように誘導し、それによって目を形成するよう指示する生体電気信号のパターンを流しました。すると、そのあたりに、本来は目が形成されるところではないところに、目が形成されました。それに、まわりの細胞群が反応して、視神経が形成されて、余分に出来た目と脊髄が繋げられ、目は脊髄を通して脳と繋がりました
その実験で余分な目が形成された状況を見て分かったのは、顔の形成において、目の形成が非常に重要だということです。1つの部位(上の実験では目)が形成されたことで、まわりの部位が形成されるきっかけとなっていました。どうやら、全ての部位が生体電気信号のパターンの指示を受けて形成されているわけではないようです。レヴィン氏によると、失われた耳や手を再生させる為には、耳や手の形成を指示する生体電気信号のパターンを特定しなければなりません。おそらくそれは非常に難易度が高いことでしょう。しかし、耳や手を形成させるきっかけとなるものを見つけることは可能かもしれません。視神経を形成させるには、その部位の隣に余分な目を形成することで可能となりますが、その仕組みを応用することが出来るかもしれません。
生体電気信号は、体が形成される際に各部位への指示を出す伝達手段です。しかし、伝達手段は他にもあるようです。2018年、レヴィンの研究チームは、カエルの脚を切り取った後で、脚の付け根の部分にイオンチャネルの挙動を変更させるホルモン(プロゲステロン)を24時間投与しました(常時プロゲステンが投与されるようカフをつけました)。その後、そのカエルを1年間ほど観察しました。通常、そのように脚を切り取られたカエルの切り取られた場所から再生されるのは、軟骨で出来た1本の棒状のものです。しかし、この実験に使ったカエルには、9カ月後に水かきの付いた足が再生されました(大きさは少し小さめでしたが)。この実験からレヴィンが推測するのは、この実験で使ったホルモンとカフを使う技術を応用すれば、人間でも同様のことが起こせるのではないかということです。人間に対しても適切なホルモンを探し出し、数カ月だけカフを付ければ、体に再生の指示を出すことができると推測できます。(将来、研究が進み再生のスピードが上がれば理想的です。再生のスピードが遅いと何年間も小さな四肢で不便な生活をすることを強いられてしまいます。)
レヴィンは私にマウスの実験を見せるのを少し躊躇しているようでした。彼は自分の実験が小説「フランケンシュタイン」の中の禁断の実験にたとえられることに辟易していましたので、あまり人に見せたくなかったのです。彼は言いました、「ビクター・フランケンシュタイン博士のように科学者が無責任な創造者になろうとしているとして非難されることも多いんですよ。」と。レヴィンの研究室の実験は多くの点で一般的な実験とは異なるところがあります。しかし、動物を使って実験を行うという行為は広く行われていることです。ある推定によれば、アメリカでは、年間2,500万匹以上の動物が実験に使われています。レヴィンは言いました、「私は多くの電子メールや電話を貰いますが、大別すると2種類です。非難する人もいれば、期待してくれる人もいます。非難する人たちは、動物を虐待しているとか、神を冒涜しているとかさまざまな理由で非難してきます。期待したり賞賛してくれる人は、速く再生技術を確立して欲しいと言います。もっと急いでほしいと言われます。時々、実験台になりたいという人が連絡してくることもあります。そういう人は、人間の脚の再生実験をする際に自分を実験台に使って行って欲しいと言ってきます。それで、何とか自分の失われた脚を再生して欲しいと言ってきます。」と。