知ってた? リンが環境を破壊している!農作物に必須のリン、土壌から河川に流れ出て問題を引き起こしている!

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 地球上で最も長いベルトコンベアは、ブー・クラ(Bou Craa)の町から始まり、西サハラを横断して港町エル・マルサ(El Marsa)まで続いています。なんと長さは60マイル(96キロ)もあります。その辺りは非常に平坦で、草木も少なく荒涼としていますので、宇宙から見てもそのベルトコンベアを識別できるほどです。NASAによると、このベルトコンベアは、「ほとんど何もない風景の中で、しばしば宇宙飛行士の目を引いてきた」そうです。

 このコンベアが運んでいるのは、リンを多く含む鉱石です。ブー・クラで採掘された後、インドやニュージーランドなどへ船便で運ばれて肥料に加工されます。この鉱山がある西サハラの大部分は、モロッコが不法に支配しています。この地域には、地球上で存在が確認されているリンの70%が存在しています。

 西サハラの状況は、ダン・イーガン(Dan Egan)が新著”The Devil’s Element: Phosphorus and a World Out of Balance”(未邦訳)で取り上げている心配事の1つです。イーガンは、ミルウォーキー・ジャーナル・センチネル(Milwaukee Journal Sentinel)紙で長年にわたって五大湖(the Great Lakes)を取材してきたジャーナリストです。エリー湖(Lake Erie)の状況を研究している際に世界はすべてが密接に結びついていると感じたことが、ブー・クラについて知るきっかけでした。イーガンは、イギリスの投資家ジェレミー・グランサム(Jeremy Grantham)の言葉を引用しています。グランサムが言ったのは、地球上のリンのモロッコによる実効支配が、オペック(OPEC)やサウジアラビアを弱者に見せているということです。また、イーガンは、アイザック・アシモフ(Isaac Asimov)が残した言葉も引用しています。それは、「生命は、全てのリンがなくなるまで増殖することができ、それが尽きると、誰にも防ぐことができない不可抗力の停止が起こる。」というものです。

 イーガンが著書に記している通り、リンは農作物の収穫だけでなく、生物の活動にとっても重要な役割を担っています。DNAは、リン酸塩骨格(phosphate backbone)と呼ばれるもので結合しています。この骨格がなければ、二重らせん構造は維持できません。ATP(アデノシン三リン酸)という化合物は、エネルギーを細胞に供給していて、それがイオンの輸送からタンパク質の合成まであらゆる活動で使われています。このATPの中の”P”は”phosphate”(リン酸塩)を意味しています。脊椎動物では、骨はほとんどがリン酸カルシウム(calcium phosphate)で出来ています。歯のエナメル質もそうです。

 リンは、生命に不可欠な他の元素(炭素や窒素など)と異なり、比較的希少な元素です。アシモフはリンを”生命のボトルネック”と表現しました。大気中にはリンはほとんど存在していません。リン酸塩を多く含む鉱石は、特定の地域の地層に限られた量しか存在していません。中国の埋蔵量は世界第2位です。とはいえ、モロッコの10分の1以下の量です。アルジェリアが世界第3位の埋蔵量を誇っています。

 1960年代初頭の”Green Revolution”(緑の革命)以降で世界のリン肥料の消費量は4倍以上になっています。世界の埋蔵量がいつまで持つかは、なかなか予想が難しいところです。というのは、消費量が増え続けるか否かが見通せない状況だからです。地球の人口が増え続け、最近80億人を超えたわけですが、15年後には90億人に達すると予想される中でより多くの人々に食料を供給する必要が出てきます。同時に、含有率の高いリン鉱石が採掘され、肥料の生産に必要なリン鉱石の産出が増え続ける可能性もあります。地中から取り出されるリンの量が減少し始める”リンのピーク”(peak phosphorus)が、今後10年以内に訪れると予測する研究者もいます。一方で、その時期は数百年後と予測する研究者もいます。

 イーガンは、世界がすぐにリンを使い果たすとは考えていません。しかし、アメリカはリンの確保に関しては非常に脆弱であると主張しています。アメリカはもともとリンの埋蔵量はそれほど多くないのですが、それを急速に使い果たしつつあります。アメリカ国内のリン鉱石の多くはフロリダ州中心部に存在しており、この地域ではマンション開発が盛んで、それがリン鉱石の採掘を妨げつつあります。今後30年ほどでそれが尽きると推定されているのですが、アメリカは供給を他国に頼らなければならなくなります。主としてモロッコに依存することになるでしょう。

 そのことは、モロッコにとっては好都合のようです。1975年にほぼ1世紀にわたって西サハラを支配してきたスペインが支配権を放棄した後、モロッコは西サハラの大部分を占領しました。イーガンが指摘しているのですが、モロッコが占領した理由はビジネスのためでした。モロッコには西サハラを占領する前から巨大なリン鉱山があったのですが、ブー・クラ鉱山がリン鉱石をたくさん産出することには辟易としていました(価格が下がるので)。西サハラに住んでいた何万人もの住民は追い出され、そのほとんどがアルジェリアに定住しました。彼らは難民キャンプで暮らしています。その子供や孫たちも難民キャンプで暮らしています。2020年11月に西サハラの独立を目指すポリサリオ戦線(Polisario Front)が、国連(United Nations)の仲介によってもたらされていた停戦を終了すると宣言しました。その1カ月後、ドナルド・トランプは大統領としての最後の行動として、アメリカがモロッコの同地域に対する主権を承認すると発表しました。この決定は国際法違反だと批判されています。多くのアメリカ政府関係者がジョー・バイデン大統領にそれを撤回するよう促しています。しかし、これまでのところ、彼は撤回していません。

 2018年9月1日、フロリダ州南西部のケープ・コーラル(Cape Coral)という街で、アブラハム・ドゥアルテ(Abraham Duarte)という青年がスピード違反で停車させられました。彼は車から勢いよく飛び出しました。彼の前には、運河に面したいくつかのマンションが建っていました。ドゥアルテはいくつかのマンションの前を通ってから回り込むようにして運河に飛び込みました。警察官が彼を追って運河に近づいたところ、彼は泳ぎながらもがいていました。彼は叫んでいました、「助けてくれ!死にそうだ!」と。

 1人の警察官が同情的な声で言いました、「そんなところからは抜け出した方がいいぞ!そうしないと、マジで、死ぬぞ!」と。ドゥアルテは、固形物に見えるほど濃い緑色のスライムで覆われた水面をかき分けながら、岸に戻ろうともがいていました。彼は嘔吐しはじめました。警察官たちは彼を引っ張り上げて、手錠をかけました。

 その時、ドゥアルテが飛び込んだ辺りは、有毒な藻が群生していました。ケープ・コーラル警察が公開したこの顛末の一部始終を捉えていたボディカメラの映像は、大きな話題となりました。多くのニュースキャスターが、スライムの中でもがいている逃亡者を見て苦笑いを浮かべていました。しかし、イーガンがこの件について著書で言及していたのですが、これは笑い話ではありません。悪夢の前兆です。

 耕作地では、リンを散布することで農作物の収量が増えます。また、湖や川や運河に流れ込むリンも植物の生育を促進します。しかし残念なことに、水生植物の中でリンの恩恵を最も受けるのは、誰も目にしたくないような藻などです。リンの問題には2つの側面があります。1つは不足で、もう1つは過剰です。

 有毒な藻類が繁茂すると、光合成を行う小さな微生物が爆発的に繁殖し、吐き気を催すだけでなく脳や肝臓に害を与える化学物質を放出します。藻類が大量に死滅すると、次には、もっと悲惨なことが待っています。死んだ藻類が分解される際に水中の酸素が奪われて、水中にほとんど何も生きられないデッドゾーンができてしまうのです。

 フロリダ州で最もリンが問題となっているのは、鮮やかな緑色のオキチョビー湖(Lake Okeechobee)です。この湖には、生物学者が流入しても問題ないと考える量の約10倍にあたる、年間200万ポンドものリンが流入しています。その多くは耕作地から流出したものです。2018年の夏、デュアルテが運河にダイブをした頃のことですが、オキチョビー湖の表面の90%は有毒なスライムで覆われていました。その湖からカロサハッチー川(Caloosahatchee)やセントルーシー川(Lucie River)を経由して流れ出る水は、多くの人々を病気にしました。それで、フロリダ州知事のリック・スコット(Rick Scott)は非常事態宣言を出さねばなりませんでした。イーガンはその夏、カロサハッチー川をボートで下ることを計画して訪れたのですが、生態学者のジョン・カサニ(John Cassani)にガイド役を頼んだところ断られました。理由はあまりにも危険だと思われたからです。

 有害藻類(Harmful algal blooms:略号HABs)の発生は、エリー湖(Lake Erie)でも起こっていて大問題となっています。そこでは、藻が大量に発生することで、主として漁業や観光業に支障をきたしていました。悪臭を放つスライムが水面を厚く覆うと、観光客に見向きもされなくなってしまいます。その上、2014年にはトレド郡公共水道に藻の毒素が流れ込みました。オハイオ州知事ジョン・ケーシック(John Kasich)は州兵を出動させて対応に当たりました。また、この地域の住民40万人に水道水を飲用しないよう禁止令を出さざるを得なくなりました。

 エリー湖の問題は、オハイオ州北西部のモウミー川流域に点在する濃厚飼料工場(concentrated animal feeding operations:略号CAFOS)が原因です。CAFOSでは、何百万頭もの牛や豚が、リンをふんだんに含んだ大豆やトウモロコシの肥料をリンを含んだ糞尿に変えることに日夜励んでいます。その糞尿の多くが外部に流れ出ています。イーガンの言葉を借りれば、モウミー川は、年間数千トンのリンをエリー湖の最西端に効率的に送り込む「注入器」のような役割を果たしています。

 このほかにも、スペリオル湖(Lake Superior)、シャンプレーン湖(Lake Champlain)、タホ湖(Lake Tahoe)、ウィネベーゴ湖(Lake Winnebago)、セネカ湖(Seneca Lake)などにおいても、最近、有害藻類(HABs)が発生しています。イーガンは著書に記しています、「藍藻 (Blue-green algae)の発生に悩むアメリカの湖沼や河川の地図を作ったのですが、ほぼほぼアメリカの地図と同じでした。」と。アメリカ以外の国でも状況はそれほど変わりません。数年前、スタンフォード大学とNASAの研究チームは、過去30年分の衛星画像を分析し、世界中の約70個の大きな湖沼の状態を調査しました。バイカル湖(Lake Baikal)、ニカラグア湖(Lake Nicaragua)、ビクトリア湖(Lake Victoria)などが対象でした。その結果、調査した湖沼の3分の2で、夏場に藻類の繁殖がピークになっていることがわかりました。

 一方、海ではデッドゾーンが拡大しています。メキシコ湾では毎年夏に大規模なデッドゾーンが発生することが知られていますが、これも耕作地から流出した栄養素が原因です。多くの科学者が、海に流れ込む栄養素の量が増え続け、海が熱くなればなるほど、この問題は悪化していくと警告しています(暖かくなった海水は酸素を含有できる量が減るからです)。イギリスの研究者3人からなる研究チームは、「もしこのまま何も手を打たなければ、いずれ地球上のあらゆる海にデッドゾーンが作り出され、地球は大規模かつ長期的に無酸素状態になるかもしれない」と推測しています。ブラウン大学の生態学教授で、”Elemental: How Five Elements Changed Earth’s Past and Will Shape Our Future”(未邦訳)の著者であるスティーブン・ポーダー(Stephen Porder)は、デッドゾーンの拡大は想像を絶するほどの大惨事をもたらす危険性があると推測しています。