3.リゾットの起源について
リゾットの起源は何か。実は、よくわかっていない。1809年にさかのぼるリゾ・ジャッロ・イン・パデッラ( riso giallo in padella:フライパンで作る黄色いご飯の意)」のレシピが残っている。栄養価の高い少量の骨髄を入れるのが特徴である。これは革新的なものだったのだろうか、それとも長年に渡って伝わっているレシピを文書化しただけのものなのだろうか。原材料はいずれも古くから存在しているものである。米は 15 世紀以降、あるいはそれ以前からイタリアで栽培されている。アラゴン人( Aragonese )、ムーア人( Moors )、サラセン人( Saracens )によって輸入されたのか、あるいはベネ゙チア人( Venetians )がトルコから持ち込んだのかは、現在でも意見の分かれるところである。私たちが知っているのは 1475 年のミラノ公( Duke of Milan )がフェラーラ公( Duke of Ferrara )の使節であるニッコロ・デ・ロベルティ( Niccolò de Roberti )に宛てた手紙である。その中で、米 12 袋を送ることを約束しているわけだが、スープやお玉に関することは何も書かれていない。これだけでは当時既にリゾットが存在していたか否かはわからない。ここで、ミラノ( Milan )で生まれ育った料理研究家アンナ・デル・コンテ( Anna del Conte )が教えてくれた神話を紹介したい。
1574 年にドゥオーモ( Duomo )に住むステンドグラスを作る職人の娘が結婚することになった。見習いの 1 人が、溶けたガラスにサフランのようなイエローを加えることに情熱を燃やしていた。その人物が結婚式の晩餐会で出される何の変哲もないリゾットを、ステンドグラスのように金色に輝かせることを思いついた。彼は晩餐会の会場となる宿の主人にサフランを渡し、リゾットに混ぜるように頼んだ。その結果、美しく黄金色に輝くリゾットができあがった。
残ったものは、木こりの娘が森に住む祖母の元に運んだのだろう。きっと祖母はそれを食べ尽くしたに違いない。今日に至るまで、サフランはリゾット・アッラ・ミラネーゼ( risotto alla milanese:ミラノ風リゾット)の特徴である。ミラノの住人は、この料理の立派なバージョンがミラノ以外で見つかると考える者がいれば鼻で笑うだろう。調べればわかるのだが、リゾットの原型、もしくは基本のリゾットというものは存在しない。それぞれの地域に固有の数多くのリゾットが存在しているだけであり、それらを一緒くたに考えるのは間違っている。昔、ミラノでとある有名シェフと真剣に話したことがあるのだが、彼と彼の従兄弟は異なる地域で育ったため、リゾットに入れるタマネギの種類(白か茶色か)について激しく対立したという。彼はまた、どんなリゾットも祖母のリゾットを超えることはできないとも言った。それは当たり前のことで、誰にとっても祖母のリゾットが最高なのである。
イタリアが統一国家となったのは 1861 年以降のことである。この国では絵画の歴史と食の歴史に共通するところがある。この国は主要な構成要素である都市国家が結びついて出来上がったのであるが、都市国家ごとの特徴は頑なに継承されている。たとえば、ミラノから南へ少し行ったところにあるパヴィア( Pavia )の楽しみの 1 つは、カエルを使ったリゾットである。ゲテモノ料理に思えるわけだが、私は自宅でこれを作ったことがない。理由は、おぞましいレシピのせいではない(レシピには「染色していない糸でカエルが煮崩れしないよう縛り上げる」という記述がある)。この両生類を市場で仕入れることが不可能だからである。しかし、豚ひき肉を使ったリゾット・アッラ・ピロータ( risotto alla pilota )が主流のマントバ( Mantua )で、カエルのリゾットを注文しようとはイタリアの美食家は夢にも思わないだろう。ましてやリゾット・アッラ・アマローネ( risotto all’Amarone:最高級赤ワインのアマローネをつかったリゾット)が王座を占めるヴェローナではなおさらである。
アマローネは赤ワインの中でも最も濃厚なワインの 1 つで、最も力強いリゾットの原料となる。先日、私はその製造過程を見学する機会に恵まれた。その絶好のスポットの 1 つが、ヴェローナ中心部にあるボッテガ・ヴィーニ( Bottega Vini )というワイナリーである。400 年以上もの間、多くの人々がここで酒を飲んでおり、ここのワインリストはグーテンベルク聖書( Gutenberg Bible )と同じくらいの荘厳さがあり説得力がある。対照的にここの厨房は漁船の調理室ほどの大きさしかない。多くのシェフたちの仕事ぶりをぶつからずに観察するために、私は隅っこにじっと立った。セロリの棒のふりをしなければならなかった。
私が見た限りでは、リゾット・アッラ・アマローネは次のように作られる。バターの次に米を入れ、少しの間トーストする。玉ねぎは一切入れない。お玉 2 杯半分のワインを鍋に垂らし蛇のようにヒューヒューと音を立てさせる。この時、シェフ曰く「Sempre con un fuoco vivace(常に火を焚きながら)」ことが重要だという。前屈みになり過ぎて息を吸い込むと、頭がクラッとする。気化したアルコールに酔う。アルコール分がすっかり抜けたら、沸騰しているお湯を加え、続いて野菜のスープを加える。その単純さに驚いてはいけない。焦げないように側面からこする。コンロから降ろす。さらにバターを加え、パルメザンチーズを散らす。そして、意外にもここでアマローネをもう一口加える。これは蒸し上げるためではなく、アマローネのパンチを効かせるためである。その結果、血よりも暗く深い光沢のある紫色になる。これは一見の価値がある。マーク・ロスコ( Mark Rothko:抽象表現主義の代表的な画家)ならおかわりを要求するだろう。
東に向かい海沿いの地方に行けば、リージ・エ・ビージ( risi e bisi )に出会うだろう。ヴェネチア共和国( Venetian Republic )時代には、4 月 25 日のサン・マルコの日( St. Mark’s Day )に、グリンピースの初収穫に合わせてヴェニスの元首( doge )にこの料理が振舞われた。素朴ながら儀式的な壮大さが融合した典型的な料理である。ヴェニスのもう 1 つの挑戦的な名物料理はイカ墨を使ったリゾット・アル・ネロ・ディ・セッピア( risotto al nero di seppia )である。臆病な料理人は代わりにイカを使うだろうが、イカ墨は旨味を与えてくれる。イカの頭からくちばしを抜き、目の上と下を切り分け、触手と喉は取り除く。黒いリゾットの旨さに誰もが舌を巻くだろう。誰もが吸い寄せられるイタリア料理のブラックホールの完成である。1984 年に初めて食したのだが、一緒に食べた両親もその美味さにびっくりして腰を抜かした。その時、私は白いシャツを着るというミスを犯した。そのため、私を見た者は、恨みを持った書道家に襲われたと思ったに違いない。
ヴェローナ風、ヴェニス風、マントバ風などさまざまなリゾットのレシピがあるが、それぞれのレシピはそれぞれに異なる。いずれも材料、作り方等が明確に決まっている。ミラノでは、イカはほとんど食べられない。ヴェローナのシェフの 1 人は、リゾット・アッラ・アマローネの一部を丁寧に取り分けて、カボチャのピュレを加えながら、秋だからこそできるし、秋にはぜひ食べたいと願っていると説明しながら、手早くヴェローナ風リゾットを完成させた。かぼちゃのない季節に甘いリゾットを食すのは、自然の摂理に反するということだろう。1939 年刊行の「イタリアの不思議( The Wonders of Italy )という著書で、遊び心にあふれたミラノの作家で詩人のカルロ・エミリオ・ガッダ( Carlo Emilio Gadda )は、さらに的確なアドバイスをしている。「 9 月最初の雨が降ると、新鮮なキノコをふんだんにリゾットに入れられる。そして、聖マルティヌスの日( St Martin’s Day:11 月 11 日 )の後には、特別な道具でクローバーの葉の形に切った乾燥トリュフのフレークをリゾットに散らすことができる」。
リゾットが地域によって独自のレシピが定まっているなどという堅苦しいことを言ったわけだが、それはイタリア国内に限ったことである。世界中でリゾットは提供されていて、美味しいリゾットを出す店はイタリア国外にもたくさんある。本物の闘牛を見るのにデンマークに行くのはまずいが、美味しいリゾットを楽しむためにわざわざイタリアに出向く必要はないのである。ここニューヨークで空腹になったら、イースト・ヴィレッジ( East Village )で日替わりリゾットを提供するレストラン、サパー( Supper )に予約を入れることをお勧めしたい。水曜日にはマッシュルームとパンチェッタのクリスピーエッグ添え( Mushrooms and Pancetta with Crispy Egg )が提供されていた。日曜日にはビーツとブッラータチーズ( Beets and Burrata )であったが、これはちょっと微妙な気がする。 私は長い間、リゾットが、おそらく他のどの料理よりも、シェフたちに食の芸術を描き出すための真っ白なキャンバスと捉えられていることに面白さを感じてきた。リゾットが教えてくれることがある。物事をより良くするために何もかもいじくり回すことがあるが、それが必ずしも最良の結果を生み出すわけではないということである。まあ、食えないほど不味いリゾットが出来上がってもさほど害はないわけだが、学校、病院、政府機関等あらゆるところで多くの者たちが必死になって不味いリゾット作りと同じことをしている。
イチゴのリゾットが食べたいという者もいる。リゾットの変わり種には枚挙にいとまがない。キャリル・レヴィン( Caryl Levine )とケン・リー( Ken Lee )が著書「ライス・イズ・ライフ( Rice Is Life )の中で 2 つの変わり種を紹介している。玉ねぎのピクルスを添えたメキシコトウガラシ( poblanos )チーズリゾットや、出汁、ホタテ、ふりかけバターを添えた黒米リゾットである(ふりかけバターは、バターを熱して火を落とし、泡がおさまってからふりかけを加えたもの)。6 月にロンドンのアッロンダ( All’Onda )が閉店してしまったので、コーヒー、ブラックライム、スイートブレッドを添えたアーティチョークのリゾットを食すことは不可能になった。これは悲劇的である。その一方で、ある高級ホテルでは、ベジタリアン・リゾットを提供している。私は、見ただけで気分が悪くなった。それは、ブラックライス、てんこ盛り緑色の葉菜、これでもかと言うほどほどのフンギダケ、刺激の強いタレッジョ( Taleggio )チーズを固まりごと使ったものであった。長い湿った冬の終わりに、庭の小屋の床にたまった汚れを彷彿とさせる見た目だったのだ。それを愕然と見つめながら、私はルース・ロジャースが語っていたことを思い出した。彼女が私に打ち明けたのだが、レストラン経営をしていてシェフから聞かされてもっともゾッとするのは、「新しいアイデアがある 」という言葉だという。