バイデンは少し遅れて午後 9 時 15 分過ぎに到着した。彼の車列は、困難な時代を象徴するかの如く、混乱を避けるため遠回りをしなければならなかった。イスラエルのガザ攻撃に反対するデモ行進が行く手を阻んでいたからである。議場内では、ゆっくり歩いて演壇に向かい、満面の笑みで延々と手を振っていた。共和党のマージョリー・テイラー・グリーン( Marjorie Taylor Greene )下院議員が、議場での選挙活動が禁止されているにもかかわらず、MAGA というロゴの付いた赤い帽子を被っていた。驚いたような仕草をし、「歓迎されてないようですから、今すぐ帰った方が良いのかな?」と、バイデンは開口一番ジョークを飛ばした。これは結構ウケた。一部の共和党議員が歓声を上げた。和気藹々とした雰囲気であった。
しかし、この日のバイデンはいつもと違って好戦的だった。それは演説の冒頭で明らかになった。ウラジミール・プーチン、ドナルド・トランプ、ウクライナ支援のための 600 億ドルの予算の承認を拒否している下院共和党議員団、女性の生殖に関する権利を奪う干渉的な裁判官などを激しく非難した。続いて、有権者を喜ばせるべく準備してきた一連の政策公約を次々と説明した。クレジットカードの遅延損害金の引き下げ、処方箋薬の負担上限額の設定、超富裕層への課税強化などである。特に目新しさは無かった。いずれも事前に伝えられていたものであった。この日最も注目を集めたニュースは、彼が一般教書演説の前に発表したことであった。彼は、ガザ沖に仮設の浮桟橋を建設させ、イスラエルの封鎖を回避してパレスチナ人により多くの人道支援物資を届けるよう軍に命じていた。彼は長大な演説の中で、2024 年の大統領選の争点と自身の立場を明確にした。1 月 6 日に連邦議会議事堂を襲撃した暴徒、ウクライナに侵攻したロシア、非自由主義的で反民主主義的な勢力によって自由と民主主義が脅かされていると非難した。彼は、それらを守り抜く覚悟であると宣言した。
この演説で、彼には言及を避けることができないものが 2 つあった。1 つは自身の大統領就任後 3 年間の実績である。もう 1 つは、トランプである。しかし、彼は、トランプの名前を口にすることは無く、「前任者」と表現した。一般教書演説をする直前で、トランプはあらゆる敵を押しのけて共和党の指名を獲得した。トランプ再選の脅威がますます現実味を帯びてきたことが、バイデンの演説の内容に影響を与えた可能性がある。「今は真実を語り、嘘を葬り去る時である。」とバイデンは冒頭で語った。「最も単純な真実がここにある。勝利した時だけ国を愛することはできないのである」。石頭の共和党議員たちがこの最もアメリカ的な感情を称賛することはなく、拍手さえしなかった。
バイデンは演説の至るところにトランプの亡霊を登場させていた。前大統領の最近の印象的な発言をいくつも引用して、それを非難し嘲笑した。銃乱射事件を防ぐために何もしないと言ったこと、防衛費をあまり使わない同盟国に対してロシアが好きなように攻撃すべきであると言ったこと等である。バイデンの演説原稿には「前任者」についての言及が 13 箇所もあり、一般教書演説としては異例だった。トランプとの対決姿勢をより明確に打ち出すことを多くの民主党議員が切望していた。バイデンはそれに応えたのである。バイデンの最高のセリフの 1 つは、演説の終わり近くで出たものである。トランプを引き合いに出して言った。「今、私と同年代で私と異なる見方をしている人物がいる。彼は、恨み、復讐、報復の物語に目を向けている」。
しかし、恨み、復讐、報復の物語を紡ぐトランプが、直近の全国世論調査でも支持率でバイデンを上回っている。バイデンの演説で、急にこれが覆ることは無さそうである。また、バイデンの一貫した楽観主義や超党派の行動を求める特徴的な訴えは、多くの有権者の支持を得られていない。各種世論調査 web サイト「 FiveThirtyEight 」によれば、演説直前のバイデンの不支持率は大統領就任後最高であった。56% 以上が大統領就任後のパフォーマンスに不満を持っている。
このひどい政治情勢の中で、バイデンの一般教書演説によって考えを変える者は多くないだろう。しかし、それはバイデンが攻撃的な演説をした目的ではなかったと思われる。彼は興奮気味に訴えかけ、抑揚をつけて語りかけた。その目的は、説得するというよりは安心させることだった。彼は戦う能力があること、戦意が漲っていること、激しい論戦も辞さないこと、決して歳を取りすぎてはいないことを身内の共和党議員団に示したかったのである。今回の一般教書演説は大統領選の潮目を変えることができたか?一世一代の立派な大演説だったか?いずれも答えはノーである。しかし、その必要はなかったのである。
2023 年の一般教書演説でもバイデンは力強かった(ちょっと長過ぎだったが)。特に下品なジョークが的を射たものだった。超党派の合意形成を求める彼の訴えは誠実かつ建設的に聞こえた。下院で例年になく共和党議員団がやじを飛ばしていたのとは好対照であった。しかし、それによって彼の支持率が改善されることはなかった。去年も今年も共通して言えるのは、どんな立派な演説をしても一夜で状況が一変することはないということである。この後、大統領選当日まで長い戦いが続く。ジョー・バイデンは一般教書演説で良い仕事をしたが、状況は何一つ変わっていないかもしれない。しかし、今後も良い仕事をやり続けるしかない。やり続ければ、自ずと突破口は見えてくるはずである。♦
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