The Endless Quest for a Better Mousetrap
より良いネズミ捕り器の探求は果てしなく続く
Inventors have been refining them for centuries. What are they trying to achieve?
多くの発明家が何世紀にもわたってネズミ捕り器の改良を続けてきました。何が彼らを突き動かしてきたのでしょうか?
By Elizabeth Barber November 24, 2022
1.ネズミ捕り器のあくなき改良が続いている
最古のネズミ取り器のいくつかが、16世紀後半には、カンタベリー大司教の台所係であったレナード・マスコール(Leonard Mascall)という人物が作成したカタログに掲載されていました。マスコールは、家事に関するさまざまな本を出版した人物でした。あらゆる種類の木の植え方と育て方について記した本や釣り針を使った魚の釣り方の本などを出版していました。彼が1590年に出版した最後の本は、「イタチ(polcat)や猛禽類(buzard)やラット(rat)やマウス(mouse)等のあらゆる害獣を捕らえるための罠に関する本でした。その本は、すべての狩猟を楽しむ者にとって非常に有益な本でした。その本にはネズミ取り器に関する記述もたくさんあり、その内の2つは、現在でも使われているバネ式のネズミ捕り器(snap trap)とほとんど同じです。1992年の論文で、動物学者で動物を捕獲する罠に関する著書を数冊出しているデビッド・ドラモンド(David Drummond)は、マスコールがこれらを”dragin trap(無理やりひきずり込む罠)”と呼んでいたことを指摘しました。マスコールがそう呼んだ理由は、おそらく、その罠に鋭い歯のようなトゲが付いていたからでしょう。ドラモンドは、16世紀に罠に使われていたバネは、今日のバネ式ネズミ捕り器に使われているような金属製のものではなかったので、致命傷を与えるほど強力ではなかったので、ネズミの皮膚に穴を開けるには鋭いトゲが必要だったのだろうと説明していました。
米国が特許権の付与を始めたのは1790年で、米国特許商標庁(U.S. Patent and Trademark Office)が設立されたのはその何年か後のことでした。そのため、当時の多くの罠のデザインや意匠に関する資料はほとんど残っていません。しかし、学校の教師で趣味でネズミ捕り器の研究をしていたジョー・ダグ(Joe Dagg)によると、19世紀にアメリカ中西部に入植したヨーロッパ人は、現代使われているバネ式のネズミ捕り器の前身となるものを売りさばいていた可能性があるとのことです。1847年、ブルックリンに住むジョブ・ジョンソン(Job Johnson)という男が、魚を捕るためのバネ式の罠で特許を取得していました。その罠は、餌の付いたフックが噛まれると輪の形になっていた別のフックが始動し獲物を捕らえるものでした。この特許の中で、ジョンソンは、この罠は「あらゆる破壊的または獰猛な動物」を捕らえるために使用することもできると記していました。その後、彼はこの罠をネズミ用に改良しました。平らな台座にバネを取り付けて、強力な顎がカチッと閉まるような形にしたのです。
そのネズミ用の罠の大型版が作られることは無かったのですが、それから半世紀後の1894年にイリノイ州の農夫であるウィリアム・フッカー(William Hooker)が特許を取得したバネ式の罠はジョンソンの罠を大型化したようなものでした。ニューヨーク州イサカ(Ithaca)の不動産業者でアンティーク蒐集家のリック・シッチャレッリ(Rick Cicciarelli)は、現存しているジョンソンのネズミ捕り器の2つの内の1つを所有していたことがありました。彼は、フッカーの罠とジョンソンのネズミ捕り器は非常に似ていたと指摘しています。作家のジャック・ホープ(Jack Hope)が1996年にネズミ捕り器の歴史に関するエッセイで指摘したのですが、バネ式の罠が魅力的だったのは、罠にかかったネズミをどう始末するかという「道徳的判断」を下す必要を排除できたことにあったそうです。フッカーが特許を取ったバネ式の罠は、「Out O’ Sight」トラップという商標名で販売され、説明文には「罠にかかった時点でネズミはほぼ死ぬ」と記されていました。その罠は、人間が見落とすことはなく、動物は罠があることに気付かないもので、ネズミがフックに少しでも力を入れれば作動するものでした。この罠は何度も繰り返し使うことが前提でした。しかし、1950年代になると、この罠は非常に安価に製造・販売されるようになったので、一部の潔癖症の人たちは捕まえたネズミごと罠を捨てるようになりました。かつて動物園の獣医をしていて、ネズミ捕り器の研究をしていて1千個ほどのネズミ捕り器を所有しているジム・スチュワート(Jim Stewart)が私に言ったのですが、フッカーが特許を取得した時期は、鋼鉄の品質が著しく向上した時期と重なっており、そのことが非常に重要であるそうです。「フッカーがネズミ捕り器を設計したタイミングが絶妙だったんです。フッカーの設計はタイミングが命だったんです。」と彼は言っていました。
フッカーが経営していた企業は競合企業の1つと合併し、その後、オナイダコミュニティ(Oneida Community)に買収されました。オナイダコミュ二ティというのは、ニューヨーク州北部オナイダ郡にジョン・ハンフリー・ノイズによって創設された宗教的共同体で、さまざまな事業を行っていましたが、1881年に解体されました。そのコミュ二ティの特徴は、複合婚、私有物と財産の共同所有を実践することでした。鉄製の罠などを製造し、それを販売することで収入を得ていました。最終的に、オナイダコミュニティは銀食器の製造販売に専念することを決め、ネズミ捕り器や罠の製造販売事業を3人の元従業員に売却しました。現在、その会社はウッドストリーム(Woodstream)社と名乗り、現在もビクター(Victor)というブランド名でネズミ取り器の販売を行っています。ワイヤーカッター(Wirecutter:The New York Times Companyが所有する製品レビューWebサイト)では、ビクターブランドのバネ式ネズミ捕り器の1つを”象徴的(iconic)”で”古典的(classic)”と表現し、販売推奨商品としています。
現在、一般的なホームセンターで購入できるネズミ取り器は、数種類しかありません。スナップトラップ(snap traps:バネ式罠)、グルー・トラップ(glue traps:強力糊を使った罠)、電気トラップ(electric traps:感電死させる罠)、バケット・トラップ(bucket tarps:水を張ったバケツに落とす罠)、ライブ・キャプチャー・トラップ(live-capture traps:カゴで生け捕りにする罠)など数種類に限られています。しかし、アメリカでは多くの発明家たちによって申請された動物捕獲器の特許は4,500件以上もあり、そのうち約1,000件はネズミの捕獲を目的としたものでした。多くの発明家が動物捕獲機の特許を申請する際に、対象となる動物を特に限定せずに申請しているようです。おそらく、ネズミ取り器の発明に勤しんでいる発明家の中には、ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)が残した有名な言葉に勇気づけられた者も少なくないでしょう。それは、”Build a better mousetrap, and the world will beat a path to your door.”(よりよいネズミ捕り器を作れば、世間の人たちは、あなたの自宅の門の前まで、きちんと道を整備してくれるだろう)というものでした。しかし、実際のところ、おそらくエマーソンはそんな言葉は残していないと思われます。彼が実際に著書に残していた言葉は、「より良いトウモロコシ、木材、壁、豚、椅子、ナイフ、坩堝、教会のオルガンを売る者がいれば、世間の人たちは、あなたの自宅の門の前まで、きちんと道を整備してくれるだろう。」というものでした。特にネズミ捕り器に言及していたわけではないのです。それでも、ネズミ取り器の発明に多くの者が取り組み続けたのは、ネズミが誰にとっても非常に厄介な存在であったからだと推測されます。
ネズミ捕り器の発明家の中には、ネズミをじかに触った実体験からヒントを得てネズミ捕り器を考案した人もいます。例えば、ネズミを一度に何匹も捕獲できるネズミ捕り器で有名なある会社は、アイオワ州の高校で用務員をしていた者によって設立されました。彼はネズミが生徒たちのランチを食べていることに気づいていました。しかし、ネズミがたくさんいましたので、それを捕るとなるとネズミ捕り器もたくさん仕掛けなければなりませんでした。それで一度にたくさん捕れるものを考案したそうです。2011年にダグという教師によって発表された論文があるのですが、それによると米国で特許を取得したネズミ捕り器はたくさんあったのですが、その中で販売されているものはわずか4%しかありませんでした。市場で流通している多くのネズミ捕り器は特許を取得していませんでした。オハイオ州コロンバス郊外にある罠の歴史博物館(Trap History Museum)には、おそらく世界最大規模と思われるネズミ捕り器のコレクションがあります。そこに展示されているネズミ取り器の中には、手が出ないほど高額で大量生産されなかったものもあります。大量生産されなかった理由は、サイズが巨大すぎることとか、奇抜な技術が導入されていることなどでした。中には、決して少なくないのですが、ほとんど役に立たないものもありましたし、特殊な条件下でしか機能しないと思われるものもありました。ネズミ捕り器とはいえ、中には非常に洗練されたデザインのものもあり、芸術品と言わないまでもかなりモダンな作品もあり、想像できないほどの高い値で取引されているそうです。それらはネズミ捕り器本来の機能であるネズミを捕らえる能力を評価されているわけではなく、骨董品と同じように評価されているのです。美術館に小便用の便器が展示されていたら、そこに小便をする人はいないでしょう。同様に、この博物館に展示されている1908年に特許を取得したネズミ駆除器が実際にネズミを捕らえて役に立つということも起こりえません。その機器は1匹のネズミにジャラジャラといやらしい音を出す首輪を付けるもので、そうすることで周囲のネズミがその音を嫌って逃げ出すという仕組みのようですが、全く役に立たないそうです。
罠の歴史博物館を運営しているのは、かつて消防士と救急隊員をしていて現在は退職して悠々自適の生活を送っているトム・パー(Tom Parr)です。その博物館は、州間高速道路から20分ほど離れた農地に建つ倉庫の地下にあります。私は風の強い春の日にそこを訪ねてみました。その倉庫にはいくつも看板が出ていたのですが、そのほとんどはパーの子供たちが経営する会社の広告でした。薬の容器や救急救命器具等を売っているようでした。ですので、本当にここが博物館なのか否か分からずに当惑しました。ただ、ドアに博物館であることを示す表札が付けられていました。その表札は、中に3,000個以上のネズミ捕り器が収蔵されていることを示唆していました。パーは80歳で、数十年にわたってあらゆる種類の動物を捕らえる罠を蒐集していました。彼は数年前にこの博物館を著しく拡張しました。というのは、ウッドストリーム(Woodstream)社が収蔵していたアンティークの罠のコレクションを一時的に彼に責任をもって預かって欲しいと依頼したからです。その中には、木製のバネ式ネズミ捕り器もありました。なぜ彼に白羽の矢が立ったのかと言うと、当時既に罠の蒐集をしている人たちの間でかなり有名だったからです。
初めてパーの博物館に足を踏み入れた時、私は自分が見ているものが何なのかを理解するのに苦労しました。大小さまざまな動物を捕らえる罠が展示されていました。加えて、膨大な冊数の本、額に入れられた罠等の広告、駆除薬の小瓶、毛皮のコート、森に住むさまざまな動物の剥製などが、灰色のカーペットが敷かれた広い部屋の中に迷路を作るように配置されていました。パーの説明によれば、ネズミ捕り器は独立して展示されており、区切られたスペースにまとめてあるとのことでした。私は彼にそこへ案内してもらいました。そこはそれほど広いスペースではなかったわけですが、収蔵物が多すぎて、私はどこに目を向ければ良いのか分からないくらいでした。本当にいろんなネズミ捕り器がありました。光を発するものもありましたし、素材もプラスチック製、木製、金属製とさまざまでした。いくつかは信じられないほど巨大でしたが、ネズミより小さいものもありました。また、未使用で包装されたままのものもあれば、ぼろぼろの古ぼけたものもありました。とにかく、その数に圧倒されました。家庭で使う特定の用途に用いる器具が数千個も並べられているのを目にするなんてことは非常に稀なことですが、それらが所狭しと並べられていました。
パーは笑いながら言いました、「どうやって展示するのがベストなのかということを常に考えているんですよ。でも、収蔵物が多すぎてどこから手を付けて良いのか分からないんですよ。」と。パーは、歩きながら満足げに多くのネズミ取り器を見渡していました。
彼は私に順序立ててネズミ捕り器について説明することを諦めたようでした。それで、私たちは手当たり次第にネズミ捕り器を見始めました。パーは、キティガッチャ(Kitty Gotcha)と呼ばれるネズミ捕り器を手に取りました。それは、1950年頃のもので、バネ式のネズミ捕り器で、カラフルな猫の形をしていました。現在、ネットでは100ドル以上で売られているようです。それは見た目がかわいいのが特徴なのですが、発売された当時にはほとんど売れませんでした。当時は使い捨てするようなネズミ捕り器の方が良く売れたのです。同じ時期に発売されたビング・クロスビーの名を冠したネズミ捕り器(Bing Crosby Trip-Trap)も収蔵されていました。普通のバネ式ネズミ捕り器にビング・クロスビーのロゴが印字されたシールが貼られているだけでした。ビング・クロスビーは、さまざまな事業に投資していたことで有名です。初期のオーディオ機器やビデオカメラなども扱っていました。そのネズミ捕り器の出来栄えは非常に酷いもので、まともにセットもできないようなものでした。
私が木製のバネ式のネズミ捕り器が数十個並んでいるのを見ていると、「それらは、どれもほとんど同じ仕組みです。ネズミをパチンと挟み込むんです。」とパーは言いました。
私は、同じような木製のバネ式ネズミ捕り器が2つあったので、指差しました。1つは、もう片方よりもほんの少しだけ後に作られたものでした。私は彼に尋ねました、「後に作られた方は、どういった部分が改良されたのでしょうか?」と。
パーは笑いながら答えました、「実は、何も変わっていませんね。」と。
私にとって、ネズミ捕り器は多くの謎に包まれています。ネズミ捕り器というのは、実に多くの発明家によって実に多くの種類が発明されたわけですが、基本的な仕組みや機能は実はどれもほとんど同じで、分類するとほんの数種類に収斂します。ほんの数種類もあれば十分だと思うのですが、どうして多くの発明家がせっせと新たなネズミ捕り器の開発にしのぎを削っているのでしょうか。