3.永久凍土が融解して地面がデコボコになった
永久凍土研究所に勤める32歳の研究者のニコライ・バシャリンと一緒に、私はヤクーツクを車で出発しました。永久凍土の融解がどのように地形を変化させているかを調べることが目的でした。目的地はバシャリンが育った村、ウスン・キュヨル村でした。距離は80マイル(128キロ)ほどでした。彼の実家では、永久凍土の上に建っていたのですが、地下室が掘ってあって肉やジャムや湖の氷(溶かして飲水として使う)などが保存されていました。ヤクーツクの他の多くの家も同じようなことをしていました。永久凍土の上に何年も暮らしているのに、永久凍土のことをほとんど何も理解していなかった、とバシャリンは言っていました。それが永久凍土を研究しようと思った理由だそうです。レナ川を渡るフェリーの始発便に乗るために、夜明け前に出発しました。レナ川には橋が架かっていません。というのは、橋の基礎を土中に築いても、永久凍土の融解の影響がどのくらいあるかということが分かっていなかったので、橋を架けることは不可能だと考えられていたからです。
レナ川右岸の約2万平方マイルの谷間には、永久凍土の一種であるイェドマが大量に堆積しています。 イェドマというのは、氷を大量に含んだ永久凍土のことです。永久凍土の中には、氷や水分があまり含まれていない土壌が凍って出来たものもありますが、イェドマの80%は氷ですので、地表からは窺い知ることはできませんが、地下深くまで、強固なくさび形を幾重にも形成しています。イェドマに含まれている氷には、いくつかの点で問題があります。氷(水)は熱伝導率が高いので、大気中の暖かさが伝わって永久凍土を温めてしまいます。また、イェドマが解けると、地表に窪地が出来てしまいます。それが”thermokarst”(サーモカルスト)という現象です。
また、イェドマには炭素を非常に多く吸収するという性質もあります。過去数万年の間で、有機物が堆積した沈泥や堆積物が凍結したものですから、沢山の炭素が蓄積されているのです。ですので、イェドマが融解してしまうと、イェドマでない普通の砂質の永久凍土と比べて10倍以上の温室効果ガスが放出される可能性があるのです。イェドマは、アラスカやカナダの一部にも存在していますが、シベリア北東部に最も多く存在しています。ヤクートの地表の10分の1はイェドマが占めています。
バシャリンと私は車を走らせていたのですが、イェドマが溶けて水が溜まっているのをいくつも目にしました。いくつかは、小さな池といった感じでしたが、中には湖のような感じの大きなものもありました。私たちは、大きなサーモカルスト湖(イェドマが融解して出来た湖)の端に車を停めました。そのサーモカルスト湖は、干上がってクレーターのようになっていました。そのサーモカルスト湖はイェドマが融解したものですが、その大きさのイェドマが形成されるには、おそらく5千年以上かかったと推測されます。バシャリンによると、先日、その近くにあった小さなサーモカルスト湖の底で樹齢150年の樺の木の破片がいくつも発見されたそうです。それは、数千年かけて形成されたイェドマが、この百年ほどで融解してしまっていることを示唆しています。バシャリンは言いました、「5千年も数百年も、地質学的な視点で見ると、ほんの一瞬です。」と。
私たちは、バシャリンが12歳まで暮らしたウスン・キュヨルまで車を走らせました。木造家屋の前に牛が放牧され、煙突から黒々とした煙が立ち上っていました。一本の道に沿って、高さ3フィート(1メートル弱)ほどの楕円形の塚が点在しているように見えました。塚のように見えるのは、その部分が隆起したわけではなく、イェドマが溶解した際に、氷分が特に多かったまわりの部分が大きく陥没したことによるものでした。バシャリンが言うには、そうした塚が見られるようになったのは20年ほど前からのことだそうです。ちょうど、その頃から近くの白樺林で樹木が蚕に食い荒らされるようになったそうです。それによって、樹木は枯れ、永久凍土が太陽光に晒されやすくなり、温度が上がりやすくなってしまいました。バシャリンは言いました、「当初は、誰もが、来年からは木の実やベリー類が収穫できそうだと言って喜んでいたんですよ。」と。しかし、永久凍土の融解が続き、道はでこぼこで通れなくなりました。道路は、モーグルスキーのコースの斜度をなくして水平にした感じになりました。地盤が緩んで壁に割れが出来てしまった家も少なくありませんでした。何軒かは廃墟と化しました。
ヤクートでは、気象学者が観測を続けているのですが、温室効果ガスの排出が加速していることが分かっています。私たちは、バシャリンの叔母夫婦の家に立ち寄り、昼食をごちそうになりました。叔父の名前はプロコル・マカロフでした。マカロフは、私に言いました、「テレビを見ていると、地球温暖化が話題になっているのを耳にすることがあります。たしかに、私たちは地球温暖化の影響が顕著なこの村に住んでいます。でも、私たちが生活していく上で、最大の課題は冬を越すのに十分なだけの干し草をどうやって確保するかということなのです。温暖化がどうのこうのという話は私たちにとっては関係ない話なのです。」と。マカロフの家が今すぐ倒壊する危険はありませんが、周囲の地表はデコボコしていて、小さな窪みが点在しています。家の周りのフェンスも、波打っています。マカロフは、夏になると土を掘ったり埋めたりして、水平を保つようにしています。彼は言いました、「ここのところ毎年やっているから、もう慣れたよ。」と。
マカロフの家を離れた後、車中でバシャリンが言いました。「住民たちは、永久凍土の融解が進めばどうなるかということを理解していないんです。悲しいことなのですが、融解が止まることは無さそうです。どうにかして、それに対処する方法を見つけなければならないのです。」と。