シベリアの永久凍土融解が止まらない!凍土融解→炭素放出→温暖化→さらなる凍土融解・・・無限ループ完成?

4.シベリアは地球温暖化の影響で気温が上昇

 その3日後、私はヤクーツクからプロペラ機に乗ってチェルスキーに向かいました。チェルスキーは、コリマ川が東シベリア海に注ぐデルタ地帯にある小さな町です。1930年代にチェルスキーは強制労働収容所への中継地として栄え、その後、ソ連の北極探検隊が使う飛行機の基地の町として栄えました。夏の終わり頃でしたので、モスクワ等で休暇を過ごした住民たちもそのプロペラ機に乗っていました。新学期を迎えるために戻って来たのですが、飛行機にはシベリアの最北に位置するこのあたりでは高価で貴重な品々も積み込まれていました。トレーに入った卵、花束、新品のテレビやミキサーなどでした。

 プロペラ機が着陸して、私たちはすぐにチェルスキー空港を出ました。空港には小さな待合室があるだけでした。埃っぽい道にランドローバーが止まっていました。銀色のひげを伸ばし、黒いベレー帽をかぶった1人の男性が、運転席に座っていました。私は、すぐにそれがセルゲイ・ジモフだと分かりました。彼は永久凍土の研究者の間で一目置かれていて、有名でした。彼は、「どうぞ、乗ってください。」と言いました。

 町はずれにある彼が運営している研究所、ノースウエスト・サイエンス・ステーションに車は向かいました。ジモフは、66歳です。ウラジオストク大学で地球物理学の研究をしていたのですが、ソ連末期に妻のガリーナとチェルスキーに移り住みました。ほどなくして息子のニキタが生まれました。ソ連崩壊は、ジモフが経験した大きな出来事の1つでした。彼は、ソ連崩壊は予測できたことだと言っていました。「歴史を学んだ者ならば、ソ連崩壊を予測するのは簡単なことでした。私でも予測出来ましたし、実際、そのとおりになりました。」と。町に到着してからの1週間、私はジモフからいろんな話を聞きました。世界の人口動態の予想やロシアの軍事兵站や金本位制など多岐に渡りました。ジモフは、今は資産を増やしたいなら出来るだけ金に投資するのが賢明であるというようなことも言っていました。

 しかし、ジモフが専門的に研究しているのは、経済学ではありません。彼は、永久凍土に関する研究で名声を博したのです。1990年代初頭に、永久凍土には大量の炭素が含まれていること、その炭素の多くがイェドマが溶解してサーモカルスト湖が出来る際にメタンガスの形で放出されていること(氷の無い永久凍土が溶ける場合は二酸化炭素が放出されるのですが、イェドマが溶ける際には水が存在するが、酸素が存在しないのでメタンガスが発生する)、メタンガスのほとんどが秋と冬に放出されていること(それ以前には、北極圏の気象を研究している者の間では、秋冬の寒い時期には炭素の放出はほとんど無いと考えられていました)などが明らかになりました。ジモフは、そうしたことを明らかにした数少ない研究者の内の1人でした。

 2001年の春に博士課程に在籍中であった米国人のケーティー・ウォルター・アンソニーは、アラスカで開かれた学会でジモフと知り合いました。それで、彼女は、メタンガス排出量のデータ収集のためにチェルスキーに向かいました。「アラスカで初めてジモフを見た時、眉毛が太く好奇心旺盛そうな目をしていたので、とてもワイルドな人だろうと思いました。でも、チェルスキーに来た時、彼がアラスカで会った時のイメージと全く変わっていないことに気付きました。同時に、とても厳しい環境下で生活しているので、現地の人は誰もが眉毛が太くワイルドな目つきをしていたので、それが普通であることにも気付きました。」と、彼女は私に言いました。

 ウォルター・アンソニーは、チェルスキーにあるサーモカルスト湖の周囲に、プラスチックの板で作ったメタンガス回収器を設置しました。「セルゲイ(ジモフ)は、本当に素晴らしいアイディアを思いついたんです。彼は、自分の主張を証明するのに必要なデータを集めていたのです。でも、西側の気象学者を説得するには不十分な量であることが明らかで、さらなるデータの取得が必要だったんです。」と、ウォルター・アンソニーは言いました。彼女は、翌年もチェルスキーを訪れ、秋になって最初の霜が降りるまで滞在しました。

 ある朝、朝食を終えた後でジモフはサーモカルスト湖に行こうと言い出しました。氷はまだ薄く、十分に固くはありませんでした。ウォルター・アンソニーは、その上を歩くことに不安を覚えました。ジモフは彼女に言いました、「大丈夫さ、心配しなくても。秋の氷は優しいんですよ。割れる前に、音がするから分かりますよ。」と。ジモフは下を指さしました。沢山の小さな気泡が見えて、凍った湖面の下に星屑が見えるような感じでした。「湖面の氷を調べれば、メタンガスがどこで発生しているかを特定することができそうです。」と、彼女は言いました。彼女は、メタンガスが発生している場所に正確にメタンガス回収器を設置することができるようになっていました。以前はサーモカルスト湖のほとりに置いていましたが、あれでは必要なだけのメタンガスの回収は出来なかったでしょう。

 ウォルター・アンソニーは、ジモフが最初に見積もった量の5倍ものメタンガスが排出されていることを発見しました。放射性炭素年代測定の結果、排出されたメタンガスは2万年〜4万年前の更新世の頃に生成された有機物から排出されたことが分かりました。そのことから、永久凍土の融解は非常に深いところでも起こっていることと、融解している永久凍土の年代は非常に古いということが分かりました。この研究に関して、2006年にネイチャー誌に論文が掲載されました。その論文は、永久凍土の融解が気候変動に大きな影響を与えることを証明したとして非常に注目を集めました。今でも非常に引用数が多い論文です。

 私がチェルスキーにいた時、ジモフは私を例のサーモカルスト湖に連れて行ってくれました。潅木の中を歩いたのですが、足元では真っ赤なクラウドベリーの実がザクザクと音を立てていました。湖畔でジモフが「水泡が見えますか?」と言いました。私は、水泡を見ることが出来ました。誰でも簡単に見れたでしょう。まるで湖が巨大な沸騰している釜のようで、ゆっくりと、ところどころで水泡が浮かび上がって水面で弾けているのが見えました。しかし、水が沸騰していたわけではありません。メタンガスが湧き出ていたのです。

 ジモフの説明によると、チェルスキーでは厳冬期でもサーモカルスト湖の湖面に張った氷の下の水温は摂氏0度を上回っているそうです。ですので、凍っていない水が存在し、周囲の景色が雪に覆われた後も、微生物が有機物を消化し続けることを可能にしています。また、水には強力な侵食作用があります。「サーモカルスト湖の土手は徐々に解け、崩れます。そうして、永久凍土が少しづつ湖の中に溶け出しているのです。」とジモフは言いました。アラスカ大学フェアバンクス校のウォルター・アンソニー教授は私に言いました、「永久凍土の溶解が、水がたまる窪みが出来るレベルまで進んでしまうと、融解はより深くまで進み、より速く進行するようになります。急に加速する感じです。そうなったら、融解を止めることは出来ません。」と。

 チェルスキーでは過去50年間に年平均気温が3℃も上昇しています。また、積雪も深刻な問題となっています。「雪は毛布のような働きをします。積もった雪が多いと、どんなに厳寒で気温が下がっても、地表やその下はそれほど低温にはならないのです。」とジモフは言いました。気候変動の影響の1つなのですが、チェルスキー周辺の北極圏では降水量(降雪量)が増えていて、1980年代初頭と比べると、年間降雪量は200ミリも増えています。それは年平均気温を2度ほど上昇させていると推定されています。ジモフが主張するところでは、そうしたことの影響によって、元々はマイナス7度だった永久凍土が溶解の危機に晒されているのです。